
自治寮と、「日常記憶地図」
座談会:「日常記憶地図」を共有してみる

各世代の熊野寮OBの方の「日常記憶地図」を作成し、各々のインタビューを終えたあとで、お互いの「日常記憶地図」を全員で共有しました。世代ごとに比較を行って、出てきたエピソードや共通点、相違点について語り合います。
銭湯について
――銭湯のことが多く書かれていますが、当時の熊野寮はあまりお風呂の設備が整っていなかったということで、基本的には近隣の銭湯によく歩いて行かれていたとお伺いしました。
黒田 「踏水会」のすぐ横と、「桜湯」が今でもあって、疎水をちょっと南にいったところにもありました。あと東大路を越えて、平安神宮の東にあるところ。ここは一番よく行っていました。寮生割引があったんです。
松田 銀行の裏にもあったんですけど、それはもうないです。平安神宮の東のは、「寮生です。」って言えば20円安くなるというね。
前田 当時、いくらから20円安くなったんですか?
松田 多分230円とか210円ぐらいだったけれども、今は400円弱ぐらいしますよね。
前田 面白いですね。20円はそのまま引き継がれるんだ。
――今残っているのはこの桜湯だけでしょうか?
前田 銀座湯もありますね。
黒田 平安湯もあります。銀座湯は近衛中の裏くらいのところじゃないかな。私は銀座湯にはあまり行きませんでした。
松田 銀座湯は1時までやっているということだけメリットでしたね。あと定休日が桜湯と違うので行くという。
前田 桜湯は僕も確かにちょくちょく行っていました。
黒田 志賀越道の近くの銭湯は、設備が整っていて、サウナとかがあったりしたんですけど、平日の日中に先生と出会ったこともありましたね。
食事と交流の関係
前田 「からこ」というラーメン屋さんがあって、そのラーメンについてくる唐揚げがおいしかったです。5人で行くとサービスを貰えるから寮生の人を誘って5人でいくんですけど、それが結構交流のきっかけでした。
木村 寮生で色々な店をぐるぐる回るようなカルチャーができたのは最近なんでしょう?京都中のラーメンを食べ歩くとか。
前田 僕たちはやってましたね。銭湯回るとかもあると思いますけど。今やと京都中を食べ歩いたりとかは結構います。そういう意味では行動範囲は何か広がったんですかね。昔はもっと狭かったとか。
木村 いややっぱり、お金がなかったんだと思いますね。
黒田 80年代だと、餃子の王将って京都にたくさんあるけど、その場所の店でないとしか使えない餃子のタダ券というのがあって、それが切符になっていて、京大の正門前で配っているんです。寮生で手分けして、その店でないと使えないから、お前あっちお前はあっちって言ってやってもらって、200人前くらい餃子集めて、寮食堂で餃子だけパーティーというのをしてました。いい感じと思ってたけど、飽きるんです、餃子だから。そんな経験はあります。ちょっと聞いて思い出しました。
前田 僕も王将エピソードあります。おしゃれな王将が烏丸御池ぐらいにあるんです。祇園祭の時にみんなで行って、手分けして30人前ぐらい買ってました。あと、外食するって意味では、ずっと談話室でボードゲームを朝までやった後に、木屋町の朝までやってるラーメン屋さんとかうどん屋さんに食べに行くみたいなこともしてました。
僕の頃は、寮の文化として、何か新入生を歓迎する、手厚く歓迎するみたいなところがあって、円山公園とかで花見をしたり大文字山の上でコンパをしたり、宝ヶ池まで行ったりとかそういうイベント事で遠くの方に行ってたりしていましたね。
木村 そういうカルチャーってかなり後の文化だと思うんですよ。我々の頃って大体食堂で酒飲むなんてこと、厳禁とまではいかんけれども、まず飲めなかった。
黒田 そうだったんですね。私の時は、食堂とかで全寮コンパをやっていましたね。
タテカンについて
――前田さんは、タテカンの規制が厳しくなった時期だったと伺いました。
前田 そう、僕が在学中の頃に、規制がすごい厳しくなりました。僕が中心メンバーだったわけではないんですけれども、タテカンを立てまくるみたいなサークルもありましたね。ただ、当時はもう黒田さんみたいな時代ではなくて、タテカンを立てること、タテカンで何か主張すること自体にも何か政治性を帯びちゃうというか、政治性を帯びちゃうと普通の大学生はちょっと引いちゃうみたいな時代だったので。2018年から規制が始まって、僕は20卒だからラスト2年くらいは、そんな感じでしたね。ちょっと寮のイベントとして、タテカンを夜に立てに行くとか。思い出として残っていました。
黒田 私のころは、サークルが学生課の中にあったんです。学生課の建物に入って行って、その内庭みたいなところにボックスがあって、タテカンを作る時は学生課の建物の中で作ってました。作りかけとかが廊下に置いてあって、その横を職員が歩いていてというような状況でしたね。
前田 僕が入学したころは、イベントとか、受験から入学の時期にサークルの新歓タテカンとかが立てられていました。今は頑張って立てても翌朝にはもう没収されるみたいなのを繰り返していますね。SNSなどもあったりして、なんでもかんでもタテカンを立てて主張をするという時代ではなくなったのかもしれませんね。不特定多数に声を届けるツールとして有用ですし、大学に入ったときの原風景なのでなくなってほしくないですが。
木村 熊野寮で作っていたのは寮のタテカンでした。だから立てても全部大学まで運ぶというのはなかったかな。
前田 もちろん、寮に出すタテカンも、今も作っています。
木村 寮に出すやつはそうですよね。ちょうど入り口のところにかなりでかいの出してきてましたね。
「日常記憶地図」を作ってみて
――「日常記憶地図」を作ってみていかがでしたか?
前田 「ハトヤ食堂」の話も「あけぼの」の話もそうだけど、飲食店は語る思い出が出てきやすいですね。あと銭湯とかも。
木村 熊野寮はかなりの怪物でね。なかなか過不足なくデータを表現するなんてことは難しいと思います。深みのある部分だし、その人の解釈次第じゃないでしょうか。
あと、年代でみると、やっぱり随分変わったかなと思います。とにかく、同釜会が最初始まったとき、ちょっと信じられませんでしたね。ああいう食堂でみんなで飲み合う。そういうカルチャーとは全く真逆のカルチャーでしたからね。自治管理やってて、ふざけたことをさせたら、世間から指差されるから。寮内の話もあんまり外に出さないというような感じでしたね。
松田 話を聞いてて、基本、寮を中心に動いているのはそうだろうなと思いましたけれども、やっぱりみんな街中にはあまり行かないなと。行かない人が選ばれちゃったかもしれない。その土地土地のお店の名前とかは違うけれども、範囲はあんまり変わらないなという印象で、行動範囲はまあ似たようなものかなと思いましたね。3キロぐらいで収まるぐらいしか、やっぱり人が動かないんだなというイメージでいます。
黒田 普通に思い出話をするのとは、やっぱりピントの合い方が違うところがあって、今までだったらぼんやりしゃべっていたこととか、思い出し方が違うような、何かが変わったなと思いました。その意味では、個人的には、大変良い経験をさせてもらったというのがこの感想です。
