自治寮と、「日常記憶地図」

1980年代 黒田さんの「日常記憶地図」

黒田さんについて
熊野寮在籍期間は1982年7月〜1987年3月。大阪府公立高校教員として教鞭を取る。学生時代はアルバイトをして自活していた。反原発運動に取り組んだ。

聞き手:川本晃、閑念真優


 

寮食堂/丸二食堂
 食事は、普段寮食堂かな。当時は土曜も大学の授業があったから、土曜も寮食堂は営業していました。もちろん生協食堂も利用するんだけど、食べたい時間に混んでることが多いから、だんだん嫌になってくるんです。寮食堂は混んでると言っても知っている顔だし、あるいは「残置」という、食事を取置きしておいてもらえる特別な仕組みがあって、食べる時間を自分で選べるんです。
 その残置に関していうと、当時は人の残置を盗む学生もいて、争いが起こったり、あるいは濡れ衣を着せたりといった野蛮極まりない感じもありましたね。あいつがやったに違いないって張り紙が貼ってあったりもしましたよ。
 日曜日や祝日に関しては、寮食堂はやってなかったので、「丸二食堂」(a)によく行ってました。この「丸二食堂」は人の家に上がり込んで食事するような大衆食堂で、小上がりみたいな座敷にちゃぶ台があるんですよ。そこにお店のお子さんが散らかしたおもちゃがそのまま転がってたりしてました。ある時ここで食事をしていたら、アイドル女子寮生のKさんとばったり会ったんですよ。「せっかくだからお茶飲みませんか?」って誘ったんですね。ご飯を食べて、帰りに「サンタクロース」(b)っていうジャズ喫茶に二人で寄って帰った思い出があります。
 今では先生たちの建物ですけど、「楽友会館」(c)って当時は実は吉田寮と繋がっていて学生も普段使いできる食堂でした。あと、今は御蔭通りにある「ひらがな館」は当時一乗寺にあって、少し高いのでデートの時に使っていました。一乗寺は今のようにラーメンの街ということではなかったですね。ただ飲み会の締めに「天下一品」に行くことはままありました。

安全センター
 当時、「反原発学習会」に参加していました。
 「安全センター」(d)っていう組織があって、学生課の建物の中にガス水道電気全て通っている場所を持っていたんです。これは70年代の学生運動の成果として、私より上の代の学生が獲得したスペースで、「反原発学習会」はそこを拠点にして活動していた団体の一つでした。そこに出入りする猫がいました。いろんな人がかわいがっていたんです。みんな勝手に名前を付けていて、僕は安全丸って呼んでいたけど文学部の人はハンスって名前を付けていました。
 1982年、1回生の時の11月祭企画で、高木仁三郎さんという方の講演を聞いたことが団体に参加した一番のきっかけです。あの頃、11月祭企画として、講演会や学習会企画で活動家の方や反原発派の学者を呼んでパネルディスカッションがよくありました。今はあまりないかもしれないけれど、当時の11月祭ではそういった硬派企画があったりして。
 あとは、集会をして自分たちの考えを知らしめるということや、ビラを撒いたりタテカンを作ったりしていました。あまり人は集まらないんですけど、「まあそんなもんか」と思ってやってました。
 タテカン作りでは、M君がベニヤと角材で大工仕事をしてくれて、文字を書くのが私の仕事でした。当時はタテカン作るのは当たり前で、このように活動家が自分たちの考えを知らしめるためにも作られていましたし、4月になるとサークルが新入生を募集する目的で作られたり、入試の時期には自分の出身高校を応援するタテカンを作ったり、とにかく何でもかんでもタテカンを作っていましたね。
 今でいうSNSほどの双方向性はないにしても、毎日視覚的に訴えかけることができるし、それが風景の一部でしたよね。学生運動には無縁の人でも、何かを訴えたくなったらタテカンを出していました。

通学路・普段よく使っていた道
 通学は自転車でした。例えば教養部に行ってた頃は、寮から丸太通りに出て東大路通を少し北上したところで東の細い道の住宅街へ入っていき、聖護院門横を通り、その辺りを適当に通って近衛通りまで出てから構内に入っていました。こういったルートをよく使っていたんですけど、やっぱりすいてるところがいいんですよ。

塾/らんたん
 長岡天神駅前で塾のバイトをしていました。場所が離れていたのはあまり気にしていなかったんですけど、当時、塾の授業が22時前くらいに終わって、打ち合わせとかして帰ってくると24時くらいになってました。寮の辺りは今に比べると街全体として宵っ張りで、深夜営業・終夜営業してるお店も多かったんです。さっきの「残置」を食べるのもいいんだけど、例えば東大路通を少し北上すると、「らんたん」(e)というラーメンのお店があって、ここが夜中の2時までやっているんですよ*。今は当時のマスターの娘さんが切り盛りしているのかな。こんな感じで深夜までやっているお店というのが当時はたくさんあったなと。
*「らんたん」は現在は11:00〜14:00の営業。

生活圏について
 北は、映画が好きで一乗寺の京一会館のあたりまではよく行っていました。南は、四条のあたりまでですね。もう少し密度の高い生活圏で言うと、大学と寮とを囲うような範囲です。四条に大きな壁を感じていて、ここより南になるとあまり知らないし、一乗寺より北になってもよくわからないですね。

愛着のある場所
 やっぱり熊野寮ですね。私は厳密には入学は情報工学科入学で、転学科して数理工学科を卒業したんです。でも「京都大学工学部情報工学科入学、熊野寮卒業」っていうのが本当に自分をよく表しているなと思っていて、今では本当にこう自己紹介するんですよ。

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