渡鳥ジョニー×市橋正太郎×柳沢究|定住するノマド、揺れる境界

住経験と移動生活

ーー最後に柳沢先生のプロジェクト、研究の紹介をお願いします。

柳沢 今、重点的に取り組んでいるのは住経験の研究です⁸ 。例えばこれから家を建てようというときに、子どもの頃からいろいろな家を転々としてきた人と、ずっと実家暮らししてきた人では、つくりたい家は当然違う家になるのではないかというような話です。それは家に求める条件が違うということもあるだろうし、空間の感じ方が違うからかもしれない。地域に対する接し方や想定する将来的な変化の幅なども違ったりする。しかし、これらは今のところ住宅を設計するときに十分に考慮できてないと思います。それは設計者の勉強不足ではなくて、むしろ住んでる本人でさえあまり考えてなかったり、言語化できてなかったりするんです。住経験に基づいてつくればいい家ができるというよりは、振り返る機会をつくりましょうということが前提としてありますね。

家のあり方の幅や選択肢は、たぶんものすごく多様なはずで、それこそ家を持たなくてもいいじゃないかという発想にも、自分の生活を振り返ることからたどり着きうると思います。個室がなくてもいいし、半分ぐらい外で生活するのだっていいという人がいてもおかしくない。多様な生活の仕方だとか、空間を体験していって、そういう生活をしたことがすごく楽しかったことをちゃんと自覚できれば、いろいろな生活を選ぶ選択肢が広がるだろうということを考えてるんですね。しかし一方で、住まいの経験を増やすのは、引っ越すのもお金がかかるし、なかなか動けない人もいるのでそんなに簡単ではないですよね。そのなかで一番簡単にできるのは旅行することです。違う土地に行ってそこのゲストハウスでも民宿でもいいし、ホームステイできれば一番いいですけど、そういう違う文化の家で生活する経験をたくさん増やしていくと、その人が将来的に選べる家の幅が広がる。そして、そのような人が増えれば世の中にもっと面白い家が増えていくに違いないと考えています。そういう意味で、定住する社会の中に移動する生活が適度にあるということは、社会全体の生活や住まいの質をかなり上げることになるのではないか。今の話を聞いていて確信を持ちました。

今取り組んでるのは学生アパートを改修して自分の家にすることです。名古屋の大学に勤めている時に、ずっとここにいるだろうなと思って家を買ってフルリノベーションしたのですが、住み始めてすぐに京都に来ないかという話がきて。母校に戻れるという嬉しい話なんですけど……。3年間頑張って単身赴任しながら住んだんですが、結局合わせて4年しか住めなかったんですね。3年前にそれを売って家族も京都に来て、今は借家暮らしなんですけど、そろそろちょっと落ち着く場所が欲しいなと思って昨年から家探しを始めました。

家探しをしてあらためて感じたのは、なかなか住みたいと思う家がないことです。また、自分の価値観にフィットした借家とか貸アパートが各地で見つかるような状況があると、アドレスホッピングとまでいかなくとも、もっと気軽に移動しやすくなるんじゃないかということです。あるいは、自分で手を入れられればもっともっと良くなるのにという家があっても、今はなかなかそれが難しい。結局、同じようなマンションの中から立地・面積・築年で選ぶか、かなり古い貸家に運良く巡り合うかしかない。学生なら、ほとんどがワンルーム以外の選択肢を持ててないですよね。

そういう状況を感じているなかで、この1975年築の学生アパートに出会ったんですね。風呂なしでトイレ共同、流し共同で、ワンフロアに四畳半の部屋が6つある2階建ての建物です。接道条件を満たしていない再建築不可の建物なので、一戸建てくらいの値段で出ていました。

改修前_VR.png

​改修前のアパートVR撮影


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​元学生アパートの外観(改修前)

柳沢 これはもう見た瞬間に面白そうだなと思いました。面積が140平米ぐらいあって、うちは子ども3人の5人家族で100平米もあれば十分なので、少し大きすぎるのですが、2階で基本的に生活が完結するようにして、下のフロアは小部屋に分けたまま子ども部屋に使い、子供が独立したら1階を全部貸し出せるような設計を考えています。お店を入れたり、あるいは近くに芸術大学があるので、貸しアトリエにしたり、それこそ旅行者や留学生の一時居住の場にできたらいいと思っています。

解体_壁.jpg

元学生アパートでの解体ワークショップの様子

8)詳しくは以下など参照。「住経験論ノート(1):住まいの経験を対象化するということ」(traverse 新建築学研究 no.19、pp.26-31、2018)、「住経験論ノート(2):親の住経験をインタビューすること」(traverse 新建築学研究 no.20、pp.112-117、2020)、「住経験論ノート(3):異文化の住経験に触れることーデルフト工科大学における試行」(traverse 新建築学研究 no.21、pp.112-119、2021)

 

移動生活におけるライフステージの変化と価値観の変化

ーーそれでは鼎談に移らせていただきます。

渡鳥 市橋さんにお聞きしたいのは、アドレスホッピングを開始する前と後での価値観の変化、あるいは予期していなかったことなどはあったかということです。僕は移動することで様々な人と出会えることもバンライフのメリットと思っていましたが、八ヶ岳での場づくりを経験し、移動せずともそこに人が集まってくることに気づきました。そのような価値観の変化はありましたか。

市橋 最近、「定住」と「所有」と「労働」の3つはワンセットの価値観だなとふと思ったんですよ。逆に言うと、「非定住」「非所有」「非労働」はワンセットなんです。人間は約1万年前、農耕が始まったあたりから定住を始めて、その時に所有、労働という概念が生まれました。それ以前は、狩猟と採集が生活の主だったから1日数時間だけ働けば食べていけるし、皆が移動生活をしていたし、山や川は共有財なので、定住や所有という概念すらなかったと思うんです。僕自身、移動生活を始めたら仕事の仕方とか、物の所有に対する考え方がつられて変わりました。定職についてひとつの場所で働き、自分の財産を蓄えていくというような価値観ではなくなりましたし、ものに関していえば、本当に必要なものは限りなく少ない、ということも実感できました。これは、暮らし全体が農耕思考から狩猟思考に変わったからだと考えています。そこは想定外の変化でした。

また、結婚や出産というライフステージの変化からも大きな学びがありました。やっぱり家族が増えると、移動コストが上がるんですよね。金銭的な意味だけでなく、単純に子供がいると移動は大変ですし、お互い体力や気力にも差があります。行き先も全員で合意形成して決めないといけないし、時間もかかる。そうすると、これまでみたいに気の向くままに移動しまくるということは難しくなってきて、もう少しペースダウンして、じっくりその土地に向き合いながら、住む場所を変えていくというスタイルに変わってきました。数ヶ月間、その土地に住んでいると、地元の人たちと深く交流ができて、どうすればもっとその地域をよくできるかと考えるようになってくるんです。移動しているからこそできる役割があるんじゃないかな、と。

その一環として今、京都の浄土寺で活動を始めています。地域で長く活動されている方々と一緒に「ホホホ座浄土寺座」という社団法人を作って、地域福祉や空き家問題、食育や健康に関する取り組みなどを始めようとしています。移動生活をしてきた我々にしかつくれない価値を、地域コミュニティで生み出せたらいいなと思っています。

人生のそれぞれのタイミングで生活スタイルが変わったことで、結果として訪れる土地との向き合い方が変わりましたね。

左京区浄土寺で活動する「ホホホ座浄土寺座」のメンバー

渡鳥 ありがとうございます。僕も結婚をきっかけに価値観が変わったというのは同じですし、バンライフを始めたのも離婚したときだったので、その考えには共感する部分があります。

市橋 移動する生活の中で、結婚生活が合意形成の連続であるということも再認識しました。定住をしてると、ある程度固定的な要素が多いのですが、移動をしてると日々が意思決定の連続だから、宿泊場所から移動方法から全部すり合わせていかないといけませんでした。幸い、考えてることもセンスもすごく近い人と一緒になれたからほぼすれ違いはないんですけど、最初は価値観をすり合わせるのがすごく大変でした。

柳沢 パートナーと一緒に移動することで運命共同体としての側面がより強まってしまうんですね。一人だと身軽だけれど、複数だと結束あるいは拘束の力がより強く作用する。それは確かにやってみないと分からないですね。

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