株式会社竹中工務店 総括作業所長/中野達男|仮囲いの中の現場哲学

街中で見かける建設現場。その仮囲いの中の世界をどれだけの人が知っているだろうか。建物を建てるという大きな目的意識のもと、ものづくりの最先端にいる職人を指揮して42年。職人本位の管理手法とプレキャストコンクリートを駆使して多数の大型プロジェクトを成功させてきた中野達男総括作業所長に、現場管理のあり方、その本質について伺う。

吹田市立スタジアム

 

― 現場管理という仕事

―― 現場管理の仕事とはどういったものですか。

中野 私はいつも言うんですけど、監督はあほでも現場はできるんです。いくら管理者が管理面をしたところで、根底で仕事をしているのは職人さん。だから僕らはまず彼らをターゲットにする。例えば、今日は仕上げ業者さんも含めて現場に400人くらい入っていますけど、その人たち全員がモチベーションが低く、90%の力で仕事をしていたら360人で仕事をしたことにしかなりません。でも、120%の力を出してくれたら480人分の仕事になる。その差は一日あたり100人を超えてしまうわけです。そういった人遣いの難しさというか、いかに気持ちよく仕事をしてもらうかが重要な問題になります。それに、職人さんにはみんな個性があって、それぞれに人生がある。まずその個性と尊厳を認めるところから始めて、いかにパーフェクト+αで仕事をしてもらうかが我々の監督力であると言えますね。

―― いかに職人さんのモチベーションを高く保つか、ということですね。

中野 そのためにも例えば、私は現場をよく歩きます。土曜日もほとんど出勤しています。そうするとみんなが「総括は若い時からずっと土曜日も現場に出て、わしらに発破をかけていてすごいな」と言ってくれます。それに、私が自信を持って言えるのは、働いてきた42年間、重大災害を起こしていないことです。私はいつも「君ら(400人の)職人さん、みんなは俺と赤い糸で繋がれとるんや。それを感じて、思いっきり仕事をしてくれ。もし君らに不測の事態が起きたら即、私は会社をやめるだろう。だから私をやめさせないでくれ」と言っています。それを受けてみんなも朝から大きな声で挨拶をしてくれるようになり、私が大声で喋らなくても、私の存在そのもの、パワーやオーラでみんなが動いてくれるようなところがあります。

―― うまく現場を運営していくための力とはなんですか。

中野 大きな現場をやり抜く時には男を力で牛耳るカリスマ性が求められます。非常にレベルの高い「精神論」と「技術論」を現場ではぶつけています。精神論だけでは現場はまず動かない。レベルの高い段取りはもちろん、例えばプレキャストコンクリート(以下PC)も私の発想でやってきましたが、「そういうことをあの人はできるんや」と思わす力。性格、人格、パワー。その辺の能力を集めて、プロジェクトに関わる多くの人たちをいかにまとめるか。それに長けた人こそが、当然の事ながら現場で能力を発揮できる。簡単な話なんですよ。人と人の繋がりっちゅうのは。「挨拶をしよう」とか「大きな声出せ」とか。「お前今日顔色悪いな」とか。常に人を見て、いかに人と接するか。この毎日の何気ない行為が,職人さんの琴線に触れ、最終的に人を使える魔法に繋がってくるんです。何も難しいことはない。これは我々管理者が長年の経験で培い、伝わって来たものなんです。みんなとつくりあげていく感覚と言いますか、そこには基本の筋が通っていなければなりませんが、タテ割りでなく横に広がる、人と人が心で握手しているような世界を構築すべきであると言うことでしょうか。人となり、人生そのものなんです。私の現場に来た職人たちが「異様な現場だ」と言うことがあるけれど、異様じゃなくて、これが本当の現場だと思うんです。

― 現場の今と昔

中野 私が若い頃はもう喧嘩ばかりでした。職人さんが言ったことに対して、自分が間違っていることは分かっていても、「ここでこいつに負けたら絶対あかんな」と男と男の勝負を意識し、我を張っていたんです。そういうことを繰り返しながら徐々に伝え方を変えてきました。

―― 現場で喧嘩をしていた頃から今の考え方に至るきっかけみたいなものはありますか。

中野 数年前、社員組合の執行委員長をやっていた頃ですが、「メンタルヘルスをみんなの目で」というポスターに私の経験談を書かせていただきました。私は30 歳から34 歳の時、課長代理になったぐらいの頃ですが、仕事と家庭の問題で重圧に耐えられなくなって、精神安定剤を飲まないと仕事ができなかった。でも、それがきっかけで、自分の苦しみだけでなく、特に人の苦しみが見えるようになって、それから優しくなれたというところはあります。そういう、人生の大問題にブチ当たった時に、変われるか変われないかで、その人の人生の大きさは決まってくるんじゃないでしょうか。

―― 職人さんも変わっていった、ということはありますか。

中野 職人さんの仕事自体はほとんど変わりません。現場はものづくりです。指と、足と、目で仕事をします。あとは伝えるべき内容が変わってくるので、職人達が言うことを聞いてくれるかどうか。そういう点からみると、(職人さんの)意識の方はどんどん変わってきましたね。昔はなんか言ったら喧嘩になった。それが今では、喧嘩にはならへんけど、心の中で納得していない。だから、現場に入ると電線が切られていたり、配管の接着が雑になっていたりする。そうなると何年か経ったらその配管は漏れてしまうんです。そうさせないようにするために、今はメンタル面の強化、職人さんの我を認め、その能力を尊重しながら、「ちゃんとしたものをつくってくれ!」とずっと言い続けること。そこが大切だと思いますね。

―― そういったことのために中野さん自身はどのような取り組みを試みていますか。

中野 職人さんとのスキンシップですね。いろんな個性の職人さんがいます、引っ込み思案・強面などなど多種多様です。その人達の気持ちを一つにするために、朝の挨拶、巡回中の声かけなど、コミュニケーションは欠かせません。なかでも名前を呼んであげることはとても大事なことです。そうすることで、その職人さんの適性を見極め、能力をつかむ。ほとんどの人が私と初対面でも1か月もすれば昔から私と付き合っているがごとく笑顔で会釈してくれるようになります。

―― 現場の近隣の方々への対応も変わりましたか。

中野 現場というのは、ホコリは出るし、時に建築材料の臭いもします。ゴミも出ます。職人さんも現場で一日ドロドロになって働いていますので、電車に乗ると嫌がられたりもするんです。だから私の現場ではシャワールームを設置して、シャワーを浴びてから帰ってもらうようにしています。「3K」 という言葉があるように、周りの人は現場で働いている人を嫌がって見ていると思いますから、そんな目を少しでも払拭するために、現場で継続している活動があります。1つ目は現場の中に畑をつくって、収穫した野菜を周辺の住民の方にお配りしています。朝採りのものを出すと、すぐになくなるんですよ。

ば50m級の鯉のぼり、冬はクリスマスツリー等。ガンバの現場2つ目は季節折々に現場に大きな絵を揚げています。5月ならば50m級の鯉のぼり、冬はクリスマスツリー等。ガンバの現場には仮囲いが1kmくらいありますので、「ガンバ地蔵」をシートに印刷して工期中に貼りました。そういったことを通じて近隣のみなさんに喜んでもらえればと思っています。職人さんに喜んでもらう。お客さんに喜んでもらう。設計事務所にも喜んでもらう。すべて「喜んでもらう」ことに行きつくんですね。

―― ゼネコン自体も変わってきたように思います。

​中野 ゼネコンはKKD(勘、経験、度胸)で管理していた時代から、ZD(無欠陥運動)、TQC(全社的品質管理)、ISO(国際規格)と様々な運動を行ってきました。でもKKD、ZD までは「どうにでもなる」というような自信満々な体質だったんですね。様々な技術の変化と客先の要求品質の高度化の結果、ゼネコンも時代に対応しつつ進化し続けてきました。私自身、さらに進化し前進しなければならない。まだ終わりではないのです。まあ一生勉強ですよね。

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