
【平田研究室】traverse25 Project
研究室改装からみる過去と未来
―研究室改装を終えて平田研の新しい船出―
2016年に始まった平田研究室、昨年度からの研究室改装を終えて研究室の空間が大きく作り替えられた。この変化が生まれるに至った研究室の活動の流れと、これからの研究室活動について平田研修士1年の3人(乾、宇出、三上)で対談を行った。
─「分解・再構築」─
乾:近年の研究室の大きなトピックとして「分解・再構築」という考え方がある。研究室改装もそういうトピックの中心にあるプロジェクトで、「分解・再構築」という概念が平田研究室の中で育っていったのかについて話したい。小千谷図書館の設計のプロジェクトにこの視点の原点があるのではないか。
─小千谷プロジェクトについて─
2021年、新潟県小千谷市の旧小千谷総合病院跡地の整備事業として、新たに建てられる図書館について、「実空間と情報空間の融合」というテーマの下にプロポーザルが行われた。平田晃久建築設計事務所はFloat,Anchor,Roofという3つの要素を組み合わせた提案を行い、プロポーザルを勝ち取った。平田研究室では主にAnchorの設計のために小千谷市でのワークショップに参加し、住民たちに図書館で行いたい活動を聞き、Anchorの配置、形の決定を行った。2023,2024年の研究室旅行で小千谷市を訪れ、2023年は工事中の図書館を、2024年にはオープン直前の姿を見学させていただいた。
三上:分解というキーワードの原点はAnchorの設計プロセスだと思う。
─Anchor
町の人全員で引いた線
図書館の活動の結び目となる9つの箱。響、知、和、博などで名付けられたAnchorは場の特性を共有する活動によって棲み分けられる。平田研究室はこのAnchorの設計のため小千谷市でのワークショップに参加し、住民から新たな図書館で行いたい活動を聞き、その活動を分析し必要な場の特性を見出した。
乾:小千谷のプロポーザルのテーマ自体が形を求めるものではなかったから、提案としてFloat,Anchor,Roofの3つのものを用いたシステムを提案した。平田研が大きく関わったAnchorはワークショップによって作られていったものではあるが、ワークショップに参加した人だけではなく、ワークショップで出た意見やデータを情報的な処理をすることで、なんとなく集団的無意識のようなものを捉えているように思う。およそ33000人の小千谷市民を一つの生命体と捉えたときの意見を見つける挑戦だった。
宇出:その情報的な処理が市民の意見を分解する操作だった。ワークショップで出た活動のアイデアを特性ごとに分類することで一定数の意見の分解を行う、そこから必要な特性を持った場所を再構築することで、大勢の市民の意見を結びつける引力を見つけようとしている。
乾:Anchorの設計プロセスはまるで町の人間全員で行ったように感じるのが面白い。Anchorの位置や個数を決めたのは建築家ではなく、町の人全員で線を引いたと言える。そうしてできた空間が町の中でどのように生きていくのか興味がある。
三上:そのプロセスのおかげか、小千谷図書館は建築が支配的ではない空間になっていると感じる。Anchorの配列は数学的に処理されたモデルで論理的に決められているけれど、その処理は市民の中のアイデアを分解する行為だったから人間的理論によって作られているようにも感じる。
乾:確かに生き物のような理論というか、生命モデルに本当に血が通っていて、その血の通いがそのまま理論として構築されているような感覚がある。だからこそ実際の空間の現れとしていい意味で何か隙があるような気がして、人間の活動が入り込むことができる隙の多い建築に見えた。Grasshopperで作られた数理モデルからそのような空間が出てくることが面白い。
宇出:建築を学んで、線を引くことに慣れている私たちから見ると隙が多いと感じるかもしれないけれど、そうではない市民から見るとどう感じるだろう。
三上:市民にとっても馴染む空間、建築に支配されないような空間になっている。隙の多いAnchorはあるべくしてそこにあるように感じる。巨匠たちの建築における、空間が人を支配するような強さは無いように感じる。
乾:こう使え、とか右に行け、ここに立てとかそういう支配力がないよね。その空間の支配力で以って、その場の質を担保していた時代ではなく、今は建築が解されたようになっている。その場で起こっていることの豊かさに価値があるというのが今の建築のあり方だと思う。
三上:でも平田建築が魅力的なのは、その使い方の余地みたいなものが単なる余白的ではなく、「からまりしろ」として様々な質を持った空間として作られていることだろう。小千谷ではAnchorごとに特性があり、「からまりしろ」と比べて考えると一つまた空間性が違う。太田市美術館図書館に行くと、自由に人が休んでいたり、勉強したりしているけれど、Anchorの場合はある程度室の特性が効いてくるはず。これが「からまりしろ」とどのような使われ方の違いを生むかは興味深い。
宇出:なるほど、一定の方向づけがされているってことね。
乾:方向づけができているのは、市民が出したアイデアを分解・再構築したことからの影響で、そういう作り方でできた「からまりしろ」的なものがどう使われていくのか、それが今後の興味のあるところだな。
宇出:Floatについてはどう思った?
─Float
本棚が動くことの街スケールでの意味
動く書架と展示台。情報と実空間を繋ぐものであり、新しい図書空間を作り出している。書架はレールに沿って動かすことができ、展示状況に応じて動かしたり、または利用者自らの手で動かされたりすることが想定されている。
乾:Floatは動かないAnchorに対して建築の可変性を持たせている部分で、研究室改装の山車にも通ずるものではあって、2万冊の開架図書に仮の秩序を与えている。これまでの図書館で確立されてきた固定的な秩序の作り方では、もはや図書館とは呼べないほどに多様な活動を盛り込んでいる小千谷図書館では活動を制限してしまう。動かすことによって様々なジャンルの本が物理的に一つの群れになってゆく。ジャンルの混在した本たちが響きあった群れとなり、その響きの中で新しい本と出会うというのが新しい。
宇出:実際に動かされるかどうか、建築の力だけではなくて運営する側の力も重要になってくる。利用者が動かしたいと思えるような仕組みをどう作るか。
乾:図書館の利用者が、自分で場所を作っていく意識があるかどうかが大事で、そういう意味でAnchorの設計プロセスはポジティブなものだと思う。住民が当事者意識を持って形ができているし、Floatは機能するのではないかな。それに、あの町の規模だからこそFloatの提案ができたような気もして、もう少し匿名性や公共性の高い都市の図書館だったら、Floatはもう機能しないのではないか。
宇出:確かに、もっと匿名性の高い都市でFloatのようなものを作ろうとする場合、その動きは全く知らない他者が生み出したものだから、ある意味でそれがより情報として見えてくる気もする。また違う可能性ではあるけれど場所が違えばFloatは違う意味を持ってくるのではないか。
乾:そうだね、Floatを都会でやるとなると、そこには人の意思が介在していないような情報の持つランダム性のようなものとして認識されるだろう。そう考えるとFloatはあの場所でしかできないのかわからないけれど、実際に小千谷図書館を訪れて書架が動いているのを見て、感覚的にはあの場所でしかできないように思った。
三上:情報のランダム性としてしか認識されなければ、それは都市の流れの中のさざ波程度のものになってしまう。情報の持つ特性が空間と融合するのは人と空間のスケールが近い、あの町の図書館だからこそできることかもしれない。
乾:つまりは情報空間と身体性とのつながりが面白い。今の時代における図書館を考えると、昔は図書館というのが知の権威であり情報を最も保有している場所であったが、今の時代情報量としてはインターネットに完全に劣ってしまった。その上で地方に図書館を作るか、都会に図書館を作るかという場所性の観点と、新たな情報との出会い方という意味での図書館の現代性の観点が今の図書館を考える上で重要になっている。小千谷図書館に関して言えば、今、あの場所で本棚を動かすことに意味があって、あの大きさだからこそ本棚を動かすことのによる情報の秩序の変化が手に取るようにわかる。そしてその秩序の動きが、小千谷図書館から見える越後三山の風景とか、雲の流れとか、日が昇って沈むとか、1年間の小千谷の町の祭事を含んだダイナミズムのような流れと響き合っている。逆に都会における早い人の流れや情報の流れの中で本棚が一つ動くことがどんな価値があるのか。
三上:小千谷の街では逆の矢印がある。小千谷の場合は一人の興味がFloatを動かして、Floatが動くことで空間が変わり、それがAnchorの活動を変えるかもしれないし、街へと波及していくかもしれないという矢印がある。一方で都市において本棚が動くことを考えると、何か時代の波みたいなもの、トレンドとか時事とかの先に本棚があってその先に個人がいるような矢印だと思う。このような情報とのランダムな出会いは今も起こっていることである。それが空間化されてできてくるのは面白いかもしれないけれど新しさはないかも。
宇出:可視化する点では意味はあるのかもしれないけれど、それによって空間とか人の行動とかが変わるわけではない。
乾:つまりはインターネットの中での自動的なレコメンデーションと同じで、そのAIによって個人の趣味嗜好が反映されたものが選別されて表示されることで人間の購買行動が変わるとか、そういったレベルでの訴求力しかない。
三上:かたや小千谷においてはそれとは逆のベクトルを持った人から街への波及効果の実験のようなものだと思う。小千谷の図書館が開いたこと自体がその実験の開始としての意味がある。
乾:固有性を持った地点での本棚の何mの変位が小千谷の街全体のレベルまで波及していくのが小千谷モデルで、仮にFloatを東京でやった時の東京モデルというのは、本を動かすこと自体がすごく匿名的な行為で、そうすることで匿名的な情報が出てきて、それが個人のレベルまで降りてくるという感じか。
宇出:最後にRoofはどうだったのか。
─Roof
町のアーカイブとしての公共建築
図書館を覆う屋根、積雪に耐え、越後三山のパノラマビューを見る舞台にもなる。小千谷縮をモチーフとした形状で、屋根の向きは小千谷市民とのワークショップで小千谷市の行事や来歴を参照し決定された。
三上:小千谷縮の要素を感じつつも、それ以上に平田研究室のスタジオ課題のテーマであった「今ではないいつか・私ではない誰か」みたいなものを考える機会になった。小千谷市の来歴の積み重ねとして、これから先にどんな意味が出てくるのか興味がある。
乾:このRoofを作るプロセスにも住人が関与していいて、Anchorは今の活動のための意見を集めた横軸的なものに対してRoofがこれまでの小千谷を紡いだ縦軸として存在しているのは面白い。それが未来の小千谷の軸となっていくかどうか楽しみ。そういう点でRoofは有形文化財のようなものかもしれない。町の人が大切にしてきた景色とかを守り繋いでいくために必要な構築なのではないか。
三上:だとすると、ある種建築はその町の活動をアーカイブしていくものとして価値があるものでもある。匿名的というか没個性的となってきたような日本において、至る所でそこで大事にされてきたものがアーカイブされた建築が残っていくとすると面白い。
宇出:公共建築が町のアーカイブとして残っていくのは面白い。
三上:確かに、そういう強さは建築にはある。鳴門の増田友也の建築は特にそれを感じる。
乾:平田建築も特にそのような要素が強い。都市の時間の流れ、何百何千何万年といった時間の流れ、その場所にとってものすごく大事で大切にしなければいけない時間の流れという異なる時間軸を重ね合わせるのがすごくうまい。それが平田建築の最近の傾向のように思う。伊勢遺跡とかから。太田市美術館図書館とかは縦軸的な時間性はない。オンタイムの活動で場所ができていて、それもワークショップの成果としてある。一方、伊勢遺跡とかになるとそういった遠くの時間にも触れていて、その伊勢遺跡で培った昔の時間を重ね合わせるということで響きになっているのではないか。
─乾が「響き」についての考えを深めつつも、話題は研究室改装の設計段階へ(改装Ⅰ期)
─研究室改装Ⅰ期(設計)─
小千谷図書館との共通項
三上:実際、研究室改装に携わった人たちはほとんど小千谷のプロジェクトには触れていない。にもかかわらず改装にも分解の考え方や可変性の考え方が受け継がれている。
乾:やっぱり研究室という一つの生き物として志向性を持っていて、だから研究室改装は既存の家具を分解し再構築することで新しい場所を作るような、そして再構築するものは「山車」として研究室を駆け回り様々な質の場所を提供するようになっている案が選ばれたのだと思う。
三上:新陳代謝を繰り返す研究室の中で、その志向性が生きていることが生き物としての研究室があるように感じて面白い。もちろん頭は変わってないのだけれど、手足となる学生の中でも思考が継がれているのが。
宇出:プロジェクトの案の中にある志向性が案によって引き継がれているということができているのがいいことだと思う。
乾:実際に課題も小千谷と似ているところがあった。「情報空間と実空間の融合」という課題は研究室にも言えることで、スケールは違うけれどそのコンテクストも近いところがあった。そのため小千谷モデルが採用されたのかもしない。でも、そもそも研究室改装プロジェクトの始まりとしては片付けるということが必要だった。すごく乱雑に物が散らばった状態で、ヒトよりもモノが空間の秩序を支配しているのではないかというほどの状態になっていた。
三上:その意味では、以前の研究室は都市的だったとも言えるよね。何かわからない匿名性の高いモノが散らばり、物理的にも心理的にもモノが支配していた。それを解消して本来の研究室の環境を取り戻すために小千谷モデルに辿り着いたとも思う。無意識的に人間的な環境を求めていたということかもしれない。
乾:確かに、毎日研究室に来ていたけれど、以前の研究室は自分の身体性の中でしか活動できない場所だった。よく知らないものに囲まれて周辺にある物事とのインターフェイスが全然ないような状況だった。
宇出:そうだね、M1は最初ほとんど研究室の奥に入らなかった。
乾:雰囲気が良くなかった。平田研究室が閉じているような雰囲気が研究室の外にも漏れ出ているような感覚。こんなに人がくる研究室ならば、もっと田舎のように近いコミュニティになってもおかしくないのに、都会のような希薄さを持っていた。そこに分解、再構築の話を取り込んで小千谷モデルの実践を行ったのが改装Ⅰ期だったのではないかと。
そこで、一番の課題だったのが匿名的なものにオーダーを与えるということ。その手段として選ばれたのが山車だった。山車は無意識的に小千谷モデルを引き継いでいて、山車は人やモノが絡まりつく塊のようなもので、かつ動くことができる。動くことができるのが重要で、研究室という場所は小千谷よりも激しい時間の流れを持っていて、しかも人が入れ替わる。それに対応するために山車が作ったのは単一の秩序でも無秩序でもない、たくさんの秩序という新しい考え方だった。
三上:僕らが作ったのは山車だけではなくて、山車と山車の間(あわい)でもある。Floatのように動き、かつAnchorのように役割を持った山車も重要だが、その間としてできる大きな空間も同じくらい必要なものだった。
宇出:それが改装プロジェクトの特異性みたいなものだよね。
乾:まとめると、改装プロジェクト、小千谷ともにAnchorの作り方にあるような縮減を行なっていて、空間に求める多数の要望を小さな空間で満たすために分解再構築という手法を用いている。研究室改装では桂キャンパスの特性でもある高い天井高とかを活かしながら一つの形態を決めていった。そして研究室改装で小千谷と違う点としてもう一つ挙げられるのが、もともとこの部屋に僕らがいたこと、そしてこれからも僕たちがこの部屋にいるということだ。だから新しい資材を投入して大きく空間を変えるということはできなくて、元々ある物を捨てようというのも違うから既存のオフィス家具を分解して再構築するという手法が選ばれたのだろう。
―宵山ゼミで得た気付き─
〈仮〉から生まれる揺らぎ
研究室改装の設計が佳境のタイミングで2024年の宵山ゼミが行われた。
宵山ゼミは毎年祇園祭宵山の日に行っている平田研究室のオープンゼミで(岸研究室から引き継いで開催)、今年はゲストとしてアーティストの手塚愛子さん、京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史さんにお越しいただき、「 〈仮〉のダイナミズム 」というテーマでディスカッションを行なった。それを踏まえて研究室改装にどのような学びがあったのか。
乾:宵山ゼミでの学びとしては、作るものがガチガチに固まった物でなくてもいい、巻き戻せるものでもいい、〈仮〉の姿であることに気付かされたことかな。自分の中ではそこが大きかった。
三上:それこそ手塚さんの作品のような、結ばれていくのか解かれてゆくのかどちらに進むかわからないような見せ方がその気づきをくれたところもあるし、あれだけ織り重ねたものを解いていくことでまた美しさが現れてくるという意味では、またこの研究室がどこかで改装されるなんて未来も面白いかもしれない。その可能性まで含めて設計していくのも興味深いことで、建築が強く確固たる形として残っていく時代ではないであろう現代においてどのような物を作るべきかみたいなことを再確認できた。
乾:それは大きかった。やはりその時期は設計が佳境で、形を決めるということに集中していて、思考が硬直してきていた感じはあった。そこに対して、この設計はまさに〈仮〉のダイナミズムの一つの形態であって、2024年の平田研究室においてその時起こったメタモルフォーゼの一つの過程であることに気付かされた。それで、今自分たちが行なっている活動が肯定されたような気がした。それともう一つ、藤原さんからの学びとして、分解者の話があって、研究室改装の場において我々は生産者でも消費者でもなくて分解者の立場にいることに気付かされた。分解者としての自覚が出たことで今作っているものも壊してもいいという感覚ができた。それまでは結構生産者側の思考だった。改装プロジェクトにおいて自分たちは場所を作っていかなければならないと強く感じていた。でも分解者として崩しながら作っていくような流れを起こせれば面白いモノができるのではないかと思考が変化していった。
宇出:ガチガチに作らなくても、これからの研究室の活動の中で壊されて違うものになるかもしれない、というのが先に話した活動に合わせて山車を動かすというコンセプトにマッチしていた。
乾:そうだね、〈仮〉の動きの中にあるというところとか、未完成であることによって引き起こされるような効果みたいなものが改装にはあったような気がして、未完成であるが故にそれを補完する思考が使い手の中に生まれるみたいなところが、研究室が常に成長していくための余白となり得ると思う。そういった隙の多さみたいなものは小千谷で感じたもののような気もするし、小千谷でもFloat, Anchorが実際に使われていく中で建築として完成していくような感じが改装と似ていると感じた。
三上:手塚さんは宵山ゼミでのディスカッションの中で、どこまでほどくのかということに対して鑑賞する人にその織られたものの時間の揺らぎを感じさせることができるようにと答えていた。研究室改装も近いところがあって、完成させるとはいかないラインまで設計しているからこそ、入れ替わっていく研究室のメンバーが常にこの研究室の進んでいく感覚、現在地の揺らぎみたいなものを感じさせることができることができるのではないか。
―研究室改装Ⅱ期(施工)―
身体的に理解したこと
宵山ゼミでの学びを確認した上で、最後は研究室改装Ⅱ期(施工)の話へ。
乾:先の話で改装Ⅱ期の話もしていたけど、実際作っていく過程でどう思った?
三上:純粋に木が重かったとか(笑)
乾:でも、結構それは大事だと思う。自分たちが分解者として自分自身が運べるものの重さを知っている人間か否かというのは、今後我々が設計をやっていくうえでものすごく大事な気がしている。
宇出:(同時並行で行っていたプロジェクトにて)左官仕上げをしても感じたけれど、自分がこれで設計しようと考えた時のその決断の重さみたいなものを学ぶ機会になったかな。
乾:図面に線を引くという行為も、研究室改装の前と後ではその重みの違いがわかるようになっていると思う。その一本の線が引き起こすことを身体的に理解しているかということはとても大事なことだから。
三上:そうだね。あとは見えていないものの多さというか、自分の手を広げていた空間の狭さとか、寸法通りに感じる研究室の広さとか、それも身体的なスケールで空間を体感できた。図面やモデルの寸法だけでなく実際の寸法を作る行為を通じて学べた。収納についても実際に物を出してみるとその多さや重さに圧倒された。
乾:持てる持てないとか、入る入らないとか、何ができるかのボーダーラインを割と正確に掴めるようになったと思う。
三上:あとは重力の強さも実感した。これに抗って建築を作ることの大変さみたいな。
乾:確かに、構造的にもそうだったし、この世を支配する重力場の中に異なる引力を持った山車を作って空間に秩序を与えようとしていたわけで、なかなか重力に勝てなかった。どうしても重力に負けてものが広がっていってしまう。その強い重力の支配と真摯に戦った経験ではあって、それは自分が持てる量を知ることとかにも共通することだと思う。今後、そういった学びが可視化されているような研究室になっていたら嬉しいな。
―平田研究室の未来―
平田研のGhost
平田研究室の履歴とともに研究室改装を振り返ってきたが、最後に平田研の未来についての話題に。
宇出:今後の研究室はどうなっていくだろうね。これまで積み重ねられてきたものが広がってきていたのを一度整理したけれど、これまでの研究室の履歴は確実に残っているし。
乾:それこそ今後もそういう履歴を発掘していける研究室だといいと思う。自分の手で研究室の履歴を発掘し学びを得られるような。
宇出:発掘されるものは私たちが知らない物語を持っていて、得体の知れない重みみたいなものを感じたよね。
乾:その得体の知れなさに魅力を感じることもあった。それは手塚さんの作品にも通ずるところがある。全然文脈の違うものが同時存在的にあって、絵文字と出島が重なっている作品(「閉じたり開いたり そして勇気について」)もそういった雰囲気がある。さまざまな履歴のようなものを紐解いていくっていう、その発掘的な視点の楽しさもあるし、紐解いていった上で秩序を与えて、それを同じものとして重ね合わせて置いておくみたいなところが似通った面白さではある。今のキッチンの山車の上の雰囲気が好き。研究室改装の山車の模型と、北大路ハウスの模型が隣同士に並んでいるのが、8年間ではあるけれど時間的に異なるものが重なっていくのが、毎年人が入れ替わっていく研究室という場所では意味があることのようで面白い。
三上:確かに、そういった他者性のようなものが重なり合いながらも、模型ひとつとっても作り方が似ていて、ここまで話してきたように小千谷からの3~4年が一つの志向性を持っているような生き物のような研究室がある。手塚さんの「Ghost I met」という作品は異なる文脈に見えて共通性があるものが織り重ねられていて、そこにその層を彷徨っている幽霊がいる。平田研の志向性もこの幽霊みたいなものかもしれない。多層に重なるプロジェクトと研究室のメンバーの中で引き継がれていく幽霊みたいな。研究室改装によってできたこの空間も、その幽霊が取り憑いて引き継がれていく空間になっていればいい。
乾:まさにGhost I metだよね。何これ、と思いつつも数年前の人が本気で取り組んでいた人の手の温もりとか熱量とかが宿ったものが大量に研究室から出てきた。それが今目の前にディスプレイされて、その熱が研究室に充満していて、僕らにも伝わってくる。この空気の中で作ることで平田研のGhostの要素が宿るような気がしていて、顔も知らない他者が作った模型や空気が研究室に満ちることで一つの生き物としての平田研の息吹を取り戻したように思う。新しくなった研究室でこれまでの平田研のGhostと出合いながら平田研究室としての進化を遂げていきたい。