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【平田研究室】traverse24 Project
時速32km のイエ
四回生 乾 翔太
プロローグ
三回生まで、私は実家のある奈良県から吉田キャンパスまで毎日およそ48kmの道のりを、片道1時間半かけて通っていた。朝学校に行き、夕方アルバイトをしに一度帰宅。そして設計課題を進めるため、終電でもう一度学校に行くという生活が2年ほど続いていた。そんな生活をしているうち、イエという概念が次第に希薄になっていた。家に帰ってやることと言えば、寝ること、風呂に入ることくらい。毎日そうした行為を済ませるためだけに滞在している家の中での記憶よりも、移動中に車窓を眺めながら思索にふける時間のほうが、自分にとって意味のある時間となっていった。「こんな人間が、家を設計していいのか。」そんな葛藤から、この設計は始まった。
移動と定住、その先へ
以下、「家」と「イエ」という表記を用いる。前者は建築そのものとしてのいえ、英語で言うところの“house”にあたり、後者は精神的なよりどころとしてのいえ、“home”を指す。忙しい現代人にとって、イエは定住のための場というよりも、「寝るための箱」であると考える。例に漏れず、筆者もその一人である。そこで、現代人の生活とイエをもっと響かせたいと考えた。イエは定住のための場であるが、それが形骸化している現在、日々行われる家と目的地の往復運動である移動こそが、我々の生活をゆたかにするのではないかと考える。移動中に車窓を眺めながら、夕方家路につくいつもの道で、考えたこと、感じたことは、イエの中で過ごし続けるよりもはるかに刺激的でしばしば生活に大きな変化をもたらすことがある。各個人が持つそれぞれの「移動の経験」が、イエの中でも再現できれば、イエは「寝るための箱」という状態を脱することが可能なのではないだろうか。
設計対象
移動の経験をイエという形式で再現するにあたり、移動中に流れてゆく風景を抽象化し、それをエレメントとして家を構成する。これによって、移動中の思考のめぐりや回想を疑似的につくりあげることを目指す。今回設計対象としたのは、自分自身の移動の記憶である。一回生から三回生までの3年間、合計1000回以上にわたって往復してきた奈良県の自宅から吉田キャンパスまでの48kmの通学路を参照し、移動の記憶が響きあう一軒のイエを設計した。
プロセス
設計にあたり、Step1として、通学路の風景を俯瞰的に分析するため、通学路の楽譜のようなものを作成した。(図1)楽譜と呼んでいるのは、これを通じて通学路の経験が追体験できることを目標として作成したためである。続いてStep2として、通学路における様々なエレメントを抽出し、それらを8つの感情を用いて分析した。(図2)各風景がもつ感情をチャート化し、より多くの感情を引き起こす風景を抽出、通学路の風景のなかでも重要な要素として重みづけを行った。
チャート化し、3つの階級に分類された通学路のエレメントは、それぞれ抽象化の過程を経て、一軒の家を構成するためのパーツとなる。
図3に示す通り、各階級のエレメントは全て抽象化という共通の操作が行われているものの、その度合いが異なる。分析によって特に多くの感情と結びついているとされた通学路における支配的な要素ほど、抽象化の度合いが大きく、もはや第三者がみれば参照した風景は感じ取れないかもしれない。しかし、この操作こそが、「ものの響き」には重要ではないかと考える。
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階級ごとの抽象化風景をそのまま移植するような操作では、その光景を見た際にある固定化された認識しか想起されない。風景Aと風景Bを抽象化し、それらを混ぜ合わせた立体Xこそが、「Aにも見えるしBにも見える」という状態を達成し、多義性(≒響き)を獲得するのではないか。
展望
この建築は、筆者自身の記憶からのみ創造された、きわめて独善的なものであるが、現代の「寝るための箱」を解体するヒントがあると考えている。今まで交わらなかった移動と定住という2つの行為の関係性を構築し、各個人がもつ移動の風景を代入すれば、住まい手にとってより能動的に働きかける家が誕生する。そんな新しい住宅を作るための手法の提案である。
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