【小林・落合研究室】地域に根ざす設計技術・地域に根ざす人間居住
自然災害と人間居住−洪水災害常襲集落の環境適応・アガリヤ
准教授 落合知帆
人々の暮らしは古来より地域の自然環境に適応しながら形成されてきた。特に住居に対する様々な工夫は、自然環境に加え社会文化的影響も受けながら発展し、災害の多い日本において「災害と共に生きる」という生活を定着させた。ここで紹介する「水防建築」も繰り返す水害と格闘してきた集落住民の経験をもとに、世代を超えて受け継がれてきた知恵の結晶といえる。日本の洪水常襲地では伝統的な水害対策として、木曽三川流域の輪中堤や水屋が代表的で類似のものが全国に点在するが、必ずしも全てが把握されているわけではない。熊野川流域に残るアガリヤもそのような水防建築の一つである。
2011年に発生した台風12号によって、熊野川流域の多くの集落が、斜面崩壊、地すべり、河川氾濫などにより多大な被害を受けた。この災害を対象として、住民の避難行動、行政・消防関係者の対応に関する調査(2011年~2014年度)をおこない、その過程で伝統的な水防建築である避難小屋「アガリヤ」の存在を知った。このアガリヤが、どのように建設され利用されてきたのか、集落内の分布や配置、建築形態の実測調査、聞き取り調査により地域の伝統知を明らかにし、現在地域の防災教育に生かす取り組みもおこなっている。
アガリヤは、熊野川沿いの山間集落において水害時の避難場所として主屋よりも高い場所に建設される。水屋や水倉のように屋敷の隅に石段を築き、主屋の背後地のやや高い場所に建てる、もしくは主屋がある敷地から少し離れた地区内の高台に建てるかの2つに大別できる。
所有者は、集落の地主または旅館や商店を営む世帯が主で、平時には家具、寝具、商品、衣類や食料の一部などを保管する場所として利用した。一方、水害時には緊急の避難場所として利用され、所有者家族や親族に限らず、近隣住民も避難を共にする共助としての防災施設として利用された。
アガリヤは、和歌山県本宮町、三重県新宮市、熊野川町、紀宝町の集落内に現存、またはかつて存在したことを調査から把握した。多くは本支流河川の合流地または河川に近い低地で、昔から水害の影響を頻繁に受けてきた集落に分布する。アガリヤの機能は、住居式、倉庫式、住居倉庫式の3つの形態に大きく分けられる。フィールド調査では、主屋とアガリヤとの高低差は最小で1m、最大で約15mもあった。集落古老の話によれば、明治期には既にアガリヤがあったというが、明治22年(1889年)の大水害を契機に多くのアガリヤがつくられるようになったと推察される。現在でも本宮町には約10軒のアガリヤが現存している。
かつては避難場所としての役割を担っていたアガリヤであるが、現在はほぼその役割を終えている。その要因として、昭和28年(1953年)水害以降大規模な水害が発生していないこと、公共工事による治水対策やダム建設が進み、大雨でも浸水することはないという住民意識の変化が起きたことが挙げられる。また、平屋から二階建住宅が普及し、アガリヤへの商品・家財保管の必要性が低下したこと、公共施設への避難が推奨されるようになったことも指摘できる。
しかしながら、近年、深刻な水害が頻発するなか、高齢過疎化が進む集落では早期避難に対応できないケースも多々あり、アガリヤのような近隣単位の共同避難をバックアップ機能として再評価し、防災対策における伝統知活用の可能性を検討している。また、集落住民だけでなく当地への来訪者に対しても、水害の歴史や水防建築を見て歩くタウンウォークを企画するなど、防災教育への活用にも取り組んでいる。