芸術家/野又穫 | 空想が語るリアリティ

― 安心を求める

図10 Points of view-24  (2004)

 
 

図11 Ghost-18(2014)

 
 

野又 震災以降、正義感が厄介なものと思い始めてからは、自分が何をすべきか分からなくなってしまいました。今何を目指すのかというと、安心感、目の前にある安心が欲しいという気持ちがすごく強いというのが正直なところですね。不安を呼ぶようなものにあまり関心が持てません。震災のときはあらゆるものが壊されましたけど、そうは言っても直立していた柱はたとえ曲がっても残っていたりして、地面から垂直に立ち上がる物体に力強さを感じました。震災後の瓦礫の山の中に、少しでも直立して残ってるものを見ると喜びを感じるというか。

竹山 大きな動きや流れに抵抗するもの、というニュアンスでしょうか。

野又 うーん、抵抗というか、自分には無い強さ、ということでしょうか。少なくとも絵の中では、圧倒的な根を張っているような安心感を得たいという気持ちなんです。こんなことは建築家の人は絶対正面から言えないと思うのですが、どうでしょうか。

竹山 いやいや、そんなことないですよ。建築の歴史を通して見ると建築物というのは保護の装置ですが、現在は安定した社会、平和という一応の了解事項ができてきて、可能な限り開いた建築、透明な建築、自由な建築という風潮になっています。しかし、社会が変われば一気にそれらは津波のように根こそぎ持っていかれますよね。だから、開いた建築という方が標語としては良いんですけど、本当に人間の自由を守るのはしっかりと守る、プロテクトできる空間だという考え方もあります。テロに襲われたり、いろいろな事が起きたりしつつも、開かれた社会は絶対に必要ですが、開かれた社会を作るのは必ずしも開かれた建築ではないんです。それは明らかです。

野又 その意味で地面は、非常に不安定な社会と比べて、とても安定していると思っていました。以前は地面に対して安心しきっていて真っすぐその上に建物を描いていたんですが、震災以降はそれができなくなってしまって。僕の作品で一番好きな絵(図10)を自分の部屋に飾っているんですけど、これが今、もっとも自分の気持ちに近いですね。空と、その下にはテントがあって、テントには仮設というか自分の地面に対する不安を象徴するような意味合いがあります。ニュートラルで穏やかな気持ちになれる、一番好きな絵です。


田村 人が地球を壊すよりも、もっと大きな力で地球が人を壊す、という話がありました。それで震災後の『浮遊する都市の肖像(2014)』というシリーズがあって、ついに建造物が浮くのかな、と思ったのですが、依然として地面に付いているままですよね。これはどういった意味があるのでしょうか。

野又 2014年に発表した一連の作品は『Ghost』というのがメインタイトルで、実はほとんどの絵の構造物は宙に浮いているんです。変貌していく身の周りの風景と自分の記憶のズレが、あたかも幽霊のように白昼夢のように立ち上がる亡霊のような建造物という意味を込めてタイトルにしました。でもやはり安心というか、慣れたものというか、地面から離れることはできないですね。震災から逃れるといっても、月には住みたくないし、海の上で暮らしたくはないですし。僕は建物と一緒に植物も描いていますけど、植物は余程のことがないと倒れないですよね。そんな植物のような強いしなやかさを得られないかと考えています。

加藤 不安定な地面と安定な空を背景に、建築物が中央にそびえ立っている絵が多いと感じたのですが、震災後に地面の不安定さを意識したときに、空だけをトリミングして、地面は見えないようにするような絵の描き方というのは考えられたのですか。

野又 どんなものでも引き立て役は必要で、空と地面との対比がないと伝わりにくく、思い込みだけでは何を意図しているのか分からなくなってしまいます。夢物語であっても伝えるべきことはしっかりと描きたいと思っています。空といっても、大気も大暴れしたりしますけど、基本的には移ろいみたいなものを絵に取り込もうとしています。人工的な湖を描いた絵では雨を降らせているんですが、移ろうものと土木の関係を描こうとしたんです。決して空は安定しているわけではないけれど、なかなか人間の手が加わることが無いという点で“作品の中では安定”なんですよね。それと、空を見て息抜きするという気持ちも込めています。
 

図12 交差点で待つ間に|Listen to the Tales (2014)

 
 

図13 波の花|Bubble Flowers(2014)

 
 

 

― 渋谷交差点から

野又 最近は大規模な商業施設ができてメディアに取り上げられていますが、古くからある周辺の街が分離してしまっているような気がします。巨大なビルはそれ自体で一つの街になっていたりして、その中の利便性だけはあるのだけど、古い街とのつながりがなくなっていて、街全体としてみると連続性が無くて居心地が悪いです。逆に古い町並みの方は流れが良くて、安心感があるんですよね。昔からある電車の沿線の町なんかは気持ち良く歩けますし。例えば以前の渋谷駅周辺は混沌の中に秩序立った流れがありましたけど、開発が始まってから急につながりが悪くなってしまって、過渡的な状況だとしても今は非常に違和感があります。

川本 この絵(図12)が渋谷駅前ですよね。

野又 そうですね。渋谷は子どもの頃から一番馴染みのある街なのでいつか作品にしたいと思っていました。どういう絵かというと、ハチ公の目線で描いた絵なんです。ハチ公が見た未来というストーリーです。ピラネージ(Gionvanni Battista Piranesi)の有名な古代アッピア街道の絵画註4があるんですが、以前から大好きで、渋谷の交差点に置き換えてみようと思ったのがこの絵を描き始めたきっかけです。いろいろなストーリーを込めています。例えば109のビルの中に実は原発の装置が入っていたり。人間がいなくなった世界だとか、SFの色んな妄想を表現しています。もう一方の、光で描かれている渋谷の絵(図13)は、現代という設定です。光は人々が持っている携帯電話の明かりを表していて、光の点々がそれぞれの携帯電話のつもりで描きました。渋谷はほとんど広告看板の街ですから、建造物の周りを、常に情報を送受信する携帯電話の光で描くことで、街がメディアによって構成されていることを表現しています。

竹山 すごく批評性を込めてあるんですよね。

野又 わからないように、綺麗に隠しています。

竹山 あんまり表に出すと煩わしいですからね。

野又 煩わしいです。そんなの本当に嫌ですから(笑)。

川本 これからの建築への期待や、建築に対してどう考えておられるかを教えてください。

野又 現場から建築を面白くしてほしいですね。プロセスの初めから終わりまでを通して、メッセージを発信してほしいと思います。時にはアンチテーゼも必要だし、仕事の大きさに関わらず自分のヴィジョンを失わないでほしいと思う一方で、アートのような建築は嫌だという気持ちもあります。物をつくる人間は自我が強いですし、そうでなければ新たな創造は難しいと思うのですが、建築の場合は個性が強過ぎると街並を壊してしまいますから。魅力的な建築に出会ったときに強く感じるのは勇気と知性です。近頃は、以前にも増して現実空間のリアリティが失われているように感じているので、過剰な演出のない、土地固有の歴史と街とのつながりを大切にした提案をしてほしいと思っています。非常に保守的な考え方かもしれませんが、文脈のなかで納得できる建築が今の自分にとっては理想的です。

 


 

 

1)1883-1965。アメリカの戦間期から戦後にかけてのプレシジョニズムの画家、写真家。人工的な風景を、やや抽象化しつつも、写実的な筆致で描写する作風が特徴。

2)東京都江東区佐賀に存在した食糧ビルディングの空間を再生し、1983年から2000年までの17年間、現在進行形のアートを発信した日本初のオルタナティブ・スペース。森村泰昌、大竹伸朗、杉本博司など多数のアーティストを輩出した。2011年には千代田区外神田の「3331 Arts Chiyoda」内に「佐賀町アーカイブ」として、これまでの活動と資料、作品コレクションなどを展示する新たなスペースが開設された。

3)1878-1935。ウクライナ・ロシア・ソ連の芸術家。戦前に抽象絵画を手掛けた最初の人物で、晩年に、顔の無い農夫の絵画を多数描いている。

4)『古代アッピア街道とアルデアティーナ街道の交差点』(1756)
(l’incrocio delle strade dell’antica via Appia Antica e via Ardeatina)

『PIRANESI as Architect and Designer』, John Wilton-Ely , The Pierpont Morgan Library and Yale University Press , 1993 , pl.34.

 

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