メキシコと建築|川上 聡
― レゴレッタ事務所
レゴレッタ事務所は、リカルド・レゴレッタが同級生のパートナー二人と設立し、20 年ほど前から息子のビクトール・レゴレッタ (Victor Legorreta)と二人で舵取りをしてきた。事務所はメキシコシティのローマスと呼ばれる高級住宅街に位置し、丘の上のエントランスから、階段で谷の方へ入り込んでいく。会議室やテラスからは谷への景色を一望することができる。中心には天井の高い段差上の贅沢な所員の作業スペースがあり、会議室の机は3m × 3m の無垢材を継ぎ合わせたもの、大きな図面を広げて作業を行う。
メキシコ国内のみならず、アメリカ大陸を筆頭に世界各地で作品があり、日本でも逗子に住宅作品がある。世界中にプロジェクトを抱えているという事実とは対照的に、ヨーロッパの有名事務所と比較すると国際色豊かとはいえず、外国人は平均1 人か2 人。その外国人もほとんどがスペイン語を母国語とし、事務所内で使用するのは、スペイン語である。私が入所した当時は総勢30 人程度だったが徐々に規模を大きくし、現在では所員は80 名程度である。2015 年には創立50周年を迎えた。
私は入所後、模型作成、PRで写真整理などの雑用をしながら、レゴレッタの過去の名作や進行中のプロジェクトに触れ、3ヶ月後、AutoCAD で図面を引く日々が始まった。当初担当したプロジェクトにラベリント博物館がある。サンルイスポトシの砂漠の乾燥した地にメキシコシティのパパロテ博物館が企画した新しい博物館。ひたすら図面を引いてレゴレッタ建築のエッセンスを学んだ。その後、サポパンの分譲地開発計画、グアダラハラの住宅、アカプルコの集合住宅、カタールの大学都市などの計画を担当。2008 年からは韓国の済州島でのホテル兼週末集合住宅の計画を担当した。8 万平米の大きなプロジェクトで、半年ほど韓国の現場に駐在し、現場管理も行った。
― レゴレッタ高松宮殿下記念世界文化賞受賞、そして死
リカルド・レゴレッタは国内の賞の他、1999 年にUIA ゴールドメダル、2000年にAIA ゴールドメダルを受賞して、2011 年には日本の高松宮殿下記念世界文化賞を小澤征爾やアニッシュ・カプーア( Anish Kapoor)など他分野の芸術家と同時に受賞した。
レゴレッタは2011 年10 月の高松殿下記念世界文化賞の授賞式後、京都を訪問中に体調を崩しそのまま入院、その後病院を転々としながらメキシコまで帰国するが、体調を悪化させ、2011 年12 月に死去。メキシコの建築界、芸術界では非常に悲しい出来事であった。すでにガンを告知されてはいたとはいえ、とても残念な別れだった。我々には建築に対する姿勢、情熱、厳しさを身をもって教えてくれたし、何より、これほど人間味のある建築家の元で仕事をすることができて、本当に光栄だったと思う。歳をまったく感じさせず、若い我々より元気で、エネルギッシュで、パワフルな存在だった。情に深く、皆から愛される存在で、友人も多かった。優しく寛容で、我々所員をどなりつけた後は、いつも笑顔であった。まるで子供と接するように。
レゴレッタの死去、大きなモチベーションを失い事務所退職も考えたが、一緒に仕事をしてきたリカルドの息子のビクトールや同僚のこと、また現在進行中のプロジェクトのことを考えて、レゴレッタ事務所で仕事を続けることとした。所員一同レゴレッタの事務所は健在であることを証明したかった。事務所で一番規模の大きなプロジェクトはキャンセルされたりもした。しかし、これまでも事務所を切り盛りしてきた、息子のビクトールは今まで通り淡々とプロジェクトをこなした。責任感の強い優秀な彼はひるむことなく、父の遺志を継ぎ、レゴレッタ事務所の活動を維持することに成功した。 構造や外部の構成は単純な方法で構築しているにもかかわらず、内部空間の方はダイナミックで、トップライトまで5 層吹き抜け、100 メートル超のロビーなど、普通の建物ではなかなか味わえないスケールを実現し、その中で水や色が光と共演する。壁や家具では色鮮やかな花や植物などの色が用いられ、アートや民芸品が溢れ、メキシコらしい彩り鮮やかな生き生きとした世界が体験できる。 レゴレッタの代表作には、カミノレアルホテルの他、ウェスティンブリサスホテル、モンテレイ現代美術館、パーシングスクエア、ラベリント博物館、住宅では、モンタルバン邸、コロラドの家、モンテタウロの自邸、テコラレスの家などがある。大規模な公共建築から小住宅まで含め、世界中で100 を超える作品を残している。 |
― BBVA リチャード・ロジャース事務所との協働
そんな中の進行中のプロジェクトの一つに、リチャード・ロジャース(Richard Rogers)事務所と協働作品で、メキシコシティに位置するBBVA バンコメール銀行のメキシコ本社ビルがあった。リカルドとリチャードはRicardo とRichard で言語は違うが同じ名前である。昔から親しい交流があった。 レゴレッタで常に壁構造で煉瓦やブロックを積んできた我々にとっては新しい挑戦だった。ロジャース事務所の数人のアーキテクトがメキシコに駐在し協働作業を行い、デザインを繰り返した。 レゴレッタとロジャースといった、全く異なる建築のアプローチをする建築家が協働するのは不可能にも思えたが、結果として、ロジャース事務所の構造や設備といったコンストラクションのシステムを重視した構成の中で、それに加えて、レゴレッタの現象や体験に対するエモーショナルな空間の表現の両方が実現された。構造部材も鉄骨のような線材だけではなく、マッシブなコンクリートボリュームもあったりと、二人の共演が感じられる。二人とも色を使う建築家だが、レゴレッタの好む紫色がアルミのファサードで採用されている。メキシコのハカランダの色である。 |