小林一行+ 樫村芙実 / TERRAIN architects|そこにあるもの、そこにはないもの

― 「そこ」で何をすべきか

―― 国内外の仕事を経て、建築家として独自のスタンスを持たれているように感じます。

樫村 日本と海外を行き来していると、「そこにしかないもの」には敏感になっていると思います。長く居るとあたりまえになっていることでも、日本ですら帰国直後は外国のように感じて、やっぱり良いな、とかやっぱり嫌だな、と改めて思うことはあります。それは建築だけじゃなくて、食品やサービスや色々なことについて。建築の仕事は長い時間がかかるので、短期滞在で抱く好きとか嫌いという感覚とは違っていますけど、「そこにあるもの」をどう活かすか、ということに関して真摯でありたい気持ちは一貫して持っていたいなと思っています。新築であろうが改築であろうがそれは変わらなくて。昔つくられたものでもどうにかして活かしてあげたい、ということを考える姿勢はありますね。

小林 スタンスという意味では、僕たちの世代では建築家像っていうのがあまりはっきりしていないかもしれない。いまは建築家の職能がいろんな範囲や領域に広がっていますよね。設計して、こういうものができます、と言ってすぐ実現する時代でもないと思うし。一方で、ウガンダでも建築家の存在意義について考えさせられることはあります。現場でレンガを積んでいけば家が建つし、現地ではどちらかというとデザインや快適さを求めて設計する存在というよりは、現場で工事会社が悪いことしないかを見張る役として仕事をしている建築家が多いんです。
日本とアフリカの両方にいて、「建築家って何をする人間なのだろう」と考えるときに、自分たちの仕事の必要性について悩むこともありました。でも仕事をしていると、はっきりは言えないんですけど、僕たちが何かを見つけて、それを形にすることで状況が変わることが結構あることを特にウガンダでは感じてきたんです。僕たちが何かをするというよりは、客観的な視点を持ちながら、ものづくりに参加することによって環境や状況が変わる事が多いんじゃないかと。そういう視点を持ちながら
新しいものをつくりだす役目として、建築家の存在は必要だと思えるようになりました。

―― 何かをつくることによって、周りに新しい影響を与えていくのですね。

小林 確かに僕らは「作品」をつくることに関してだんだん否定的になっている時代のなかで建築を学んできたし、日本にずっと居ると、その空気に染まってしまっていたと思います。正直なところ、ウガンダのような場所で仕事をしていることで、建築が建ちあがる喜びや、建てたものが周りに還元できる可能性を純粋に感じられるのかもしれません。

樫村 いま東京藝大の学部1年生を教えているんですが、課題では前川國男さん渡辺仁さんなどの戦前・ 戦後の建築を見に行って、そこで設計する課題にしていて。1 年生にとっては古めかしい「近代」建築だけど、タイルのごつごつしている感じとか光の当たり具合を見て、空間がすごく豊かなんだ、ということを確認すると、1年生もすごくそれに反応するんですよね。そこの豊かさや強さについては信じたいというか、歴史の積み重ねによって、より豊かな建築が生まれて良いはずだから、過去につくられたものの中にアイディアがあれば、それはやっぱり大切にしたいです。

小林 僕は学生のときよりも、実際に建築の仕事をはじめてからの方が建築の素晴らしさや面白さを感じるようになりました。日本では考えられない様な、雑な工事で建てられた建物をウガンダでは目にする事もあるし、現場に居ると、こういうものはこうしないと建ちあがらないんだ、見えない部分でも基礎はこうしないと崩れてしまうんだ、というように日本では見えにくくなっている部分も見ることができます。僕が通っていた武蔵工大や東京藝大は割と実物大のものや大きい模型をつくる機会のある学校だったけど、課題だけじゃなくて、実際にものに触れて「建築ってこういうことか」と気づくこと、そして建築するという行為について考える機会は貴重だと思います。そのためにも、学生とのワークショップはこれからも続けていたいですね。

「AU dormitory」, ウガンダ共和国

「AU dormitory」, ウガンダ共和国

「AU dormitory」, ウガンダ共和国

「ENDANG BUNKO」, インドネシア

「磯子の家」, 日本

ウガンダでのワークショップの様子

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