小林一行+ 樫村芙実 / TERRAIN architects|そこにあるもの、そこにはないもの

 

構想した建築を実現するためには、様々な人の考えや敷地の条件とぶつかりながら、それらを紡いでいくことが必要不可欠だ。
発展途上国という人種も価値観も異なる場所で、建築を建てることは容易な作業ではないだろう。
しかし、TERRAIN architects の建築はどこか、他者でありながら「そこにしかできないもの」を構築しているように感じられる。
アフリカ・ウガンダでのプロジェクトを通して、彼らの考える他者との関わり方、建築の在り方を探った。

― 海外での仕事について

―― 海外で仕事をするようになった経緯はどのようなものでしょうか。

小林 事務所を2人で立ち上げて今年で4 年目になりますが、海外で仕事をするきっかけは偶然でした。最初の仕事は、インドネシアの小さな図書室のプロジェクトです。僕が大学院を出た当時、就職も決まっていなくて、お金もなくて仕事もなくて、という状況で。修士制作の打ち上げのときに友人から、「知り合いが海外でのプロジェクトに興味のある人を探している」と言われたんです。僕は学部のときにアフリカのウガンダで一年間NGO の活動に参加したことや、大学院のときに修了制作の一環で西アフリカに行ったことがあったので、友人の紹介でその方に出会ったのが始まりですね。インドネシアで日本語学校の先生をしながら、現地でドキュメンタリー映画を撮影して、その上映会をされていているような方で。そのときは話をしただけだったんですが、設計事務所に就職して1年くらい経ったときに連絡があって。上映会の活動で寄付が集まって、映画の題材になった人物の母校に図書室をつくりたい、というプロジェクトに声をかけていただいたんです。そのプロジェクトが初めての海外での仕事ですね。海外で、というより自分たちに依頼された初めて仕事でした。


―― 学部時代のアフリカでの経験はどのようなものでしたか。

小林 学部3年生が終わってすぐに大学を休学して、あるNGOに所属してウガンダに行ったんです。建築とは関係のない団体で、一年間どう動くかは基本的には自由でした。「君たちをアフリカに送るから、将来のために自分たちで好きなことをやりなさい」と言う感じで、条件としては生きて帰ってこい、くらいでした(笑)。

初めは現地に溶け込むためにホームステイをしたり、とにかく一年間何をするのか見つけるのに時間をかけていました。行く前は建築のことは頭から離れていたんですが、ホームステイした家がレンガ造りを生業にしている家庭だったことや、現地にも建築学科や設計事務所があることが徐々にわかってきて。現地の人と生活をしてレンガをつくったりしながら、現地の建築学科に紛れこんだり、現地の事務所にインターンしたりしていましたね。そのあと日本に帰ってきてからは藝大の大学院に行ったんですが、大学院1年のときにまた休学して、西アフリカのドゴン族の集落の調査、実測を6 ヶ月間していました。


―― 学生時代にアフリカに行ったことが背景としては大きいのですね。

小林 そうですね。自分で、というよりはアフリカ、アフリカって周りに言われて染められてしまった感じでしょうか。最初ウガンダに行く前は特にアフリカ自体に魅力を感じていたわけではなかったんですよ。でも日本に帰ってきて、『建築家なしの建築』のなどの本を読んで、これまでの建築家たちが集落について研究してきた内容を知るに連れて、アフリカにも、もっと色々なものがあるんじゃないか、と思って。それがアフリカのことを徐々に知ろうとしていったきっかけになりました。

―― お二人で仕事をするようになった経緯を教えてください。

樫村 小林とは大学院からの知り合いだったんですが、わたしはアフリカとは全然関係なくて。大学院をでてから、アイルランドに行って一年働いていました。そのとき彼がアフリカで集落調査をしていたので、ヨーロッパから西アフリカなら比較的近いなと思って。ドゴン族の話は以前から耳にしていたので、知り合いが居るならぜひ行きたいと思って、それでアフリカに旅行に行ったのが最初ですね。日本に帰国後はトム・へネガン研究室の助手を3 年やっていました。外国でおもしろそうなプロジェクトがあれば何でもやりたい気持ちだったし、助手として働きながら実務もできたら良いなと思っていたので、彼からインドネシアのプロジェクトに誘われて、一緒に組むことになりました。

ドゴン族の集落

― ウガンダでのプロジェクトについて

―― ウガンダのプロジェクトについて教えてください。

小林 長い期間ウガンダで携わっていた「AU dormitory」というプロジェクトが、一期工事・二期工事を経て、ついこのあいだ竣工しました。現地で引き渡して戻ってきたところです。

―― 現地でのコミュニケーションは、スケッチや模型で行っていたと思うのですが、日本と違うところはありましたか。

小林 僕はこのプロジェクトに関してはかなりの日数現場に常駐して、設計監理をしました。樫村も代わりに2 か月ほど滞在して監理したこともありました。現場でのコミュニケーションの方法として模型やスケッチは日本でも当たり前に使うと思うので、そんなに特殊なことをしたとは思っていません。図面だけでは伝わらない事を、その場その場で必死になって伝えていました。
日本の現場で大工さんにも、「これじゃわかんねえよ」って言われて必死になって説明することはあるので、そこに関してはそこまで障害を感じたことはないですね。一番大きな違いは、日本の大工さんや職人さんは、積み重ねた経験はもちろん高い技術を持っていること。アフリカだと積み木をしているみたいな感じで始まるから( 笑)。でも、僕たちもそうなんですよ、現地の人と同じで。現地で積み重ねた経験があるわけではないので、材料とかをその場で試してみたりして、ある程度大枠の図面はあるけど、想定していた素材が手に入ることの方が稀なので、本当にその素材で成り立つのか、現場の人ができること・できないことをその場で取捨選択しながらやっているというか、現場でつくりながらイメージを形にしています。


―― 素材として、レンガを使用していることが印象的です。

小林 いまのウガンダの一般的な建物は、平屋であれば、レンガ自体が構造として使われています。レンガが雑に積まれて、モルタルもはみだすように塗られていて。レンガがむき出しになっているものは、お金ができたらこの上にモルタルを塗ってペンキを塗られる予定のものでしかない。彼らはこれを見せるという意識もないし、仕上げのモルタルが塗れてないっていうのは、お金がない象徴なんです。「AU dormitory」のプロジェクトの発想の原点はここにあって、このレンガの表情みたいなの
は実は綺麗なんじゃないかと。

ウガンダの街並み

敷地周辺にあるレンガ造の構造物

― 変わっていく役割

―― レンガについても、日本の規格よりも大きいですよね。

小林 レンガの大きさは、ウガンダの中でも地域によって違いますね。この規格は敷地周辺の一番スタンダードなものです。敷地周辺では同じサイズの木型枠でつくっているので、レンガ自体もそのサイズになります。


―― 現地規格の素材を使うことで、建築のスケール感や、周りとの調和が自然と生まれるということでしょうか。

小林 そうですね。大きさも周辺にあるものと同じだし、レンガ以外も特殊な素材を使ってないので。あとは、現実的な問題として、周辺で手に入らない素材を使えばそれだけ輸送費がかかる面も、スタンダードな規格のものを使う理由です。

―― それは設計段階で決まっていたんでしょうか。それとも現地に行って手探りで決まっていくのでしょうか。

小林 レンガに関しては、初めからその表情を何とか見せたいという気持ちが強かったですね。

樫村 この場所らしいものをつくりたかったんです。レンガのテクスチャを活かすこと、丁寧に積んでいけば、「僕たちのレンガでも、それだけで綺麗だ」ってなるといいなと思って。私たちは外国人として現地に入っているので、「新しくて良いものを持ってきたよ」ということじゃなくて、「あなたたちがやっていることは格好良いと思います」という姿勢で、最終的な成果物も彼らのものとして出来上がってほしいと思っています。その一つとして今回はレンガに焦点を当てた、という感じですね。

―― このレンガを使うことに関して、現地住民の反応はどうでしたか。

小林 仕上げとして使うことに関しては、最初は理解されませんでしたね。一つひとつのサイズもセンチ単位でちがうんですよ。精度がミリじゃないっていう(笑)。写真ではちゃんとしているように見えるけど、実際に見ると結構石も入っていてぼこぼこしているし、表面にも積んだ人が描いた数字とかも書いてあるし。それを表面にだすなんて、「何でわざわざそんなことするんだ」という雰囲気ではありました。

樫村 ウガンダは都市近郊なので、都市部の工場でつくられたいわゆるファクトリーメイドの部品も届く範囲ではあるんですよ。だから、「そんなにレンガがきれいなら、こっちをつかえば良いのに」って現地の設計事務所の人にも言われたんです。でも、つくられ方を含めて「地元のレンガが良いんじゃないか」ということを時間をかけて伝えていきました。

―― 現地の人も徐々に理解してくれるのでしょうか。

小林 ほぼ完成という段階になって、やっとですね。一期工事が終わるまでは、結構何回もやり直しをしてもらいました。こんな風景になるというのは、僕らは想像しながらやっているけれど、彼らは一つずつ手元しか見ずに積んでいるのでわからないんです。「まっすぐ積む」ということと、「色合いができるだけバランスよく並ぶように、黒っぽいのが固まり過ぎないように」とか、「色を分けて」っていうのを指示して、うまくいかない箇所は一人一人の職人に伝えていきました。

でも、レンガ積みのリーダーみたいな職人が、徐々に僕らの言おうとしていることを理解してくれて、「あいつが思っているのはこういうことだ」というふうに周りに伝播していったんです。

だから二期工事は、僕がレンガの色とかについては指示しなくても積めるようになりました。竣工した後に訪問客が来たんですが、「こんなきれいなレンガは、どこかから輸入してきたものなんじゃないか」と言われて、職人たちはとても喜んでいました。

現場でレンガが積まれている様子

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