写真家/ホンマタカシ|ニュートラルな写真 

 

確かな視点によってとらえられた写真がともすれば見過ごされてしまいそうなのは、誰もが探したくなる密かな魅力の気づきに満ちてなお、そこにある空間の誠実な記録だからではないだろうか。人、建築、環境、すべてをフラットに写しながら、それらに境界などないことを教えてくれるホンマタカシの写真、その後ろ側にある一貫した姿勢とは。建築家・大西麻貴とともに伺う。

《ロンシャンの礼拝堂 、ル・コルビュジエ》 2002 年

 

― 「東京郊外」から建築へ

――建築を撮りはじめたきっかけは何でしょうか。


ホンマ 1995 年ごろから『東京郊外』というシリーズを三年くらいかけてやっている間に、その郊外の写真の中に現代建築が入ってくるようになりました。たとえば幕張にある坂本一成さんの集合住宅。それが最初なのかな。撮りたい、というよりも、勝手に郊外の風景に入ってきてしまったんです。そこから段々と興味をもつようになりました。建築への興味をもち始めたのと同時期に、アトリエ・ワンの貝島桃代さんがやった、後に『メイド・イン・トーキョー』といわれるような、CAD で描かれたような線のドローイングと、写真と、テキストの三位一体の見せ方を『SD』という建築の雑誌でみました。

その頃は建築についての知識はほぼ何もありませんでした。僕は美大の出身でしたから。僕らの世代にとっては、建築や建築家というものが嫌なものとしてあった。例えば、丹下健三さんの新宿の都庁なんですが、権威の象徴というようなイメージでした。けど貝島さんの仕事をみて、違うな、と。自分の仕事にも関係があるし、自分らの感覚に近いものが出てきたなと感じました。それで会いたいと思って貝島さんに会いに行ったのが96 年ごろです。僕にとってそれが建築あるいは建築家への一番最初のアクセスでした。

今でも覚えているのは、そのとき貝島さんに会いに行ったのに、塚本由晴さんがでてきて、塚本さんがほとんどしゃべっていたんです。「アレ俺貝島さんとしゃべりに来たんだけどな」と思いながら、でも話がやっぱり面白くてそこで二人と意気投合して、貝島さんにも塚本さんにも「建築を勉強するんだったら何の本読んだらいいの?」みたいなことを聞いた覚えがあります。

そこで薦められたのは、ロバート・ヴェンチューリの『Learning from Las Vegas』(1972)、あとは『レム・コールハースのジェネリック・シティ』(1996) という中綴じの雑誌みたいな本でした。日常とか普通のことと建築や都市景観を接続する、みたいなことをコールハースが言っていて、そこに荒木経惟さんの写真も使ってあって、写真に関係する意味があるなって。

後になって気がついたことなんですが、建築の流れと写真の流れって、すごく似ていると思うんです。1980 年代ごろのバブル以前は、写真っていうものは、暗く撮るほうが重みがあって、「芸術っぽい」と言われていたんですが、80 年代に広告会社にいたときには「ホンマの写真は明るすぎる、軽すぎる」とか言われました。でも90 年代以降、僕が意識的に写真を撮るようになったときに、妹島和世さんや伊東豊雄さん以降の明るい建築、軽い建築というのがでてきて、ちょうど時代がリンクしたんですよ。だから妹島さんたちの建築を撮るようになったのはすごく自然なことでした。

《幕張ベイタウン 、千葉県美浜区》1995 年

 

― 何を撮らないか、を決める

――ル・コルビュジエをはじめ、過去の建築家も撮影されていますよね。

ホンマ 現代の建築から逆算していって、モダニズムの巨匠たちを勉強していきました。コルビュジエは大建築家っていう印象しかなかったけど、実際に見に行ってみると、スケールがす
ごく小さいですよね。ベッドなんか本当に小さい。日本人のシングルベッドより狭いものがあったり、実際に行ってはじめて親近感を覚えました。
それ以前のコルビュジエ建築を紹介するカタログは、ワイドレンズを使って、小さいものを大きく見せようとしているものばかりだったから、本当にそのもののスケール感が伝わっていなくて、巨大なものをイメージしていました。でも実際はそこにヒューマンスケールみたいなことが感じられて、心地いいと思いました。コルビュジエさすがだなと。
だから丹下健三さんに関しても、コルビュジエに影響を受けていた頃の初期の作品が好きです。そもそも建築が嫌いだったのが新宿都庁のせいだったので、丹下さんの建築を撮ることに対しては違和感がありました。けれど亡くなられて時間が経って、再び見てみることには意味があるのかなと思って撮影したんです。実際に撮ってみると、倉敷市庁舎の中にある講堂や、香川県庁舎もそうだし、体育館もすごくいいと思いました。都庁とは違って、失礼ながら、一種の可愛げみたいなものを発見することができました。
建築を撮るようになってから、いろんな人が建築の撮影の話をもってくるようになって、建築一般のことを話したりしますけど、僕は建築作品全てに興味があるわけじゃないんです。建築写真を撮ってると、建築に興味あるってみんな一緒くたにして言われてしまうんです。
写真って本当によくないと思うのは、押せば写るってことなんです。何でもかんでも撮れてしまう。だから90 年台後半に写真の関係でインタビューされたときも、「何を撮らないか」を決めたほうがいい、って言っていたんです。たとえば僕は安藤忠雄さんの建築は撮りたくないんです。あえて撮らなくていいと思っているんです。地中美術館とかは絶対撮りたくない。一番最初の長屋とか光の教会は好きですけどね。いっぱいお金くれるなら撮りますけど(笑)。
僕はよく女優とかモデルとかも撮りますが、僕が撮ってよく写る人っているんです。だれでもうまく撮れるわけじゃない。大抵のプロカメラマンは「何でも撮ります」って言うんでしょうけど、僕はダメなものはダメですと言います。僕がいいなと思うハードルが高いっていうのもあると思うんですけど、自分の中では確実に、つまんないなとか、撮らされちゃったなとか、写真としては全然かわいくないなとか。実際、そのときは仕事だからいいっていうことになるんですけど、そこから10 年経って残る写真は何かってはっきりわかってしまう。歴も長いし残りも限られてるから、なるたけ無駄なことはしたくないんです。写真って何でも写ってしまうっていうことと同時に、どうやったって写らないという事が確実にあるんです。そのことがもうある程度わかっているんです。それは建築でも同じことなんです。

《サヴォア邸 、ル・コルビュジエ》 2000 年

《ペトロルステーション 、アルネ・ヤコブセン》 2002年

 

― 循環する制作

――建築を撮ることから他の制作に影響してきたことはあるのでしょうか。


ホンマ 写真って何でも撮れるというわりには、細分化しているんです。建築写真とか、料理の写真、ファッション写真、航空写真みたいに。僕はそれはナンセンスだと思っています。建築やり始めたときからモデルの子や子供とかをわざと入れて撮ったりして、建築を撮ることと他のことを混ぜていきたいんです。


大西 建築を撮っているのか、まわりの風景を撮っているのかがわからないみたいに見えますよね。


ホンマ それはすごく意識しています。有名な建築から何が見えるか、反対から撮るというのも僕の中でのコンセプトとしてありますし、塚本さんや貝島さんと話している中で、一つの建築をズームバックしてみる、まわりの環境まで考えてみる、ということにすごく影響を受けました。彼らに教えてもらって、今でも僕の学生とかにも言うのは、「観察と定着」ということです。いろいろリサーチや勉強をして、ものをつくる。大体そこで終わってしまうのがふつうだと思うんですが、それを循環さ
せる。ものをつくった後に、また考えてリサーチしてまたつくる。一連の作業を循環させてやっていくと写真もすごくよくなるんです。
たとえば僕の学生で養護施設をずっと撮っている子がいるんです。その子は大学で写真ではなくて、社会学や介護とか養護施設のことを勉強した人なんですが、それで写真を撮り始めて、またより社会のことを調べたりする。そうするとまたいい写真が撮れるようになる。それがどんどん雪だるまのようになっていくといいなと思っています。自分自身もちょこちょこ教えているんですけど、全部が自分自身のリサーチというか、自分の役に立つような講義の内容にしています。だから僕の中から一方的に何かだして、自分が消耗して終わりみたいにならないように、必ず僕も何かを受け取れるようにしているんです。

― 「建築写真」にないもの

――ホンマさんの建築写真にはどこかリアリティを感じます。


ホンマ それは僕がずるい立場にいるってことだと思います。『新建築』のような既存の竣工写真があるから僕の写真が違ってよく見えるというか。


大西 建築を作っていると、なんとかして敷地境界を超えたいっていうか、与えられた境界の中で切り分けて建築を考えるのではなくて、もっとそれがなかったらどう作るんだろうか?ってことを考えてみたいんです。ホンマさんの写真にはそもそもそうじゃないものが写っているっていうか、超えていると感じます。


ホンマ 「丹下健三 伝統と創造 瀬戸内から世界へ」( 香川県立ミュージアム、2013 年) のときに過去の丹下さんの写真も結構みましたけど、いい写真あんまりなかったですね。工事中の写真や石元泰博さんの写真で何点かいいのはありましたけど、あとは本当に撮らされていて、あまりよくなかった。

僕は最初からコールハースの『ジェネリック・シティ』なんです。それって建築のことを考えているんだけど、それこそ荒木さんのまちの写真が入っていたりとか、つくる過程みたいなことや存在する理由、その周辺みたいなことが他の写真で入っているんですよ。だから僕が考えるのは、ある一つの建築のカタログみたいなのをつくることになったとすると、竣工写真があってもいいんだけど、そのまわりの風景写真が同じ分くらい入っていても、いいんじゃないかなと思うんです。そういうことってされないじゃないですか。でも僕は基本的にそういったところからアプローチしているんです。


――竣工写真のような写真が建築を高めてきた流れの中で、そこにないものをホンマさんの写真ははっと気づかせてくれるのかなと思うのですが。


ホンマ そう言ってくれると嬉しいけど、やっぱり最初からずるしているんですよね。みんながやってきたところに出してる。でもそれはなんの世界にもあると思うんです。

たとえば同じ比較になりますけど、以前に雑誌で『あまちゃん』(2013 年) の能年玲奈さんを撮ったんです。女優とかタレントを撮るときってすごいんですよ。マネージャーとか編集者とかがたくさん来て、こう撮れ、ああ撮れって。「これは絶対だめ」とか、なぜかわかんないんだけど、「口の中見せちゃいけない」って。変に管理社会が行き届いているんです。だからたぶんほとんどのカメラマンは事務所に怒られないように撮ると思うんです。最初から萎縮しちゃったり、それか媚を売ったりして。でも僕はまったくそういうことは気にしません。能年さんを撮ったとき、ヘアメイクをし終わった担当の人がベッドに腰掛けていて、逃げられなかったから「写んないな」と思って座っていたんだけど、わざとその人の肩まで入れて、男の人がいるって感じさせるような写真を撮ったんです。それは事務所NG だったけど、編集者が頑張ってOK にしたんですよ。それが結果、評判がよくって。建築を撮るときもまったく同じことだと思っています。

《ミニハウス 、アトリエ・ワン》  1999 年

 

― 1995 から現在へ

――『東京郊外』を撮り始めたのは、どうしてでしょうか。


ホンマ 写真やり始めたころは、荒木さんとかみたいに、「下町の横丁の猫とか、子供だったら鼻垂れ小僧が元気に遊んでるところを撮らなきゃいけない」とか、散々言われました。もっとひどい場合は、中国とかタイの田舎に行って少数民族撮ってこいとか。でもそれは絶対間違っているなっていう感覚が僕の中ではあって、しかも間違っているってことを証明したかったんです。だから東京の郊外っていう当時としてはまったく絵にならないものを写真にしたいと思っていました。僕自身も西東京の郊外育ちでしたから。
そのときは、郊外って悪い場所だから、「なんでそんなとこで撮るの?」とか、そういうよくない場所ってことが前提でインタビューされたんですが、僕がそのときにも繰り返し言っていたのは、「そんなことを言ってもすごい規模で広がっていて、そこで生まれて育ってる人たちがいるんだから僕はそれを撮りたい」って話をしていたんです。
ちょうどいま35 歳くらいの人たちが世に出て発言とかをするときに、『東京郊外』に影響を受けたって言ってくれる人がでてきてくれたのはすごく嬉しいです。塚本さんの教え子の藤村龍至くんとか、別の分野だと千葉雅也くんとかいるんですけど、そういう人たちが社会に出て表現しはじめていて、話を聞くのは、当時の評論家に評価されたことよりも全然嬉しい。

そのころはそういう社会的なテーマをやっていたけど、最近は写真自体の原理みたいなことに興味が移ってきました。たとえばカメラオブスキュラのシリーズをやっているんですけど、レンズを通さない生の光がフィルムにダイレクトに露光されるので、ふつうのカメラで撮るのとは、質感が全然違います。あと作家性っていうところからも自由になりたいという気持ちがあって。暗くしてその部屋の制約でやるしかないから、僕がどうこうするっていう問題じゃない。部屋の全面にイメージがあるんですよ。だからどこにフィルムを貼るかというフレーミングの問題はあるんだけど。
たとえば、いま太宰府で展示を頼まれていて何回か今年行くんですけど、結婚式の控室みたいな部屋を暗くして、外の木みたいのをカメラオブスキュラで反対に受けるんです。そこにちょうど4枚細長い襖があって、外の木が天地逆に写るんです。そこで風が吹くと動くんですよ。そこが写真と違うところで、あたり前だけど動画なんです。本当はそれをなんとかしたいんですが、とりあえず今回はそれをフィルムで撮ってその襖をつくろうと思っています。反対側に写っている外の風景の襖です。冬になったら葉っぱが落ちちゃうから、ちょっとわかりづらくなりますが、「これが外だな」って多分わかると思うんですよね。カメラオブスキュラってある意味で建築的でもあるんです。丹下さんの広島のピースセンターを撮ったとき、その斜め向かいのビジネスホテルのシングルルームから撮ったんです。
実際はその部屋の壁に天地逆に写っているんだけど、これを斜め向かいのビジネスホテルから撮ってるから、結局は建築を建築で撮ってるってことになります。だからすごく面白いなって。いまはそういうことに興味がありますね。

他にも最近では建築のムービーシリーズをやっています。チャンディガールでピエール・ジャンヌレがやったバスターミナルで、朝から晩まで人がワサワサ動いているのを撮ったんです。それを二倍速で見せると、最初は人の動きを追っちゃうんだけど、段々建築がたってくるんですね。建築って動かないところをあえて動画で表現できないかなって。映像を撮れるデジタル一眼レフがでてきて、映像と写真を同じような気持ちで撮れるようになりました。もともと僕の写真の撮り方が映像っぽかったというか映画っぽかったんです。だから写真と映像は分けて考えていません。

― 自生性

ホンマ 「映像の自生性」という言葉があります。みんな撮り手とか作家のこと考えるけど、映像の特質としては、勝手にどんどん評価が変わっていくんですよね。特にフィルムなんかは、ワインみたいに色とか雰囲気も変わってくるから、完全に撮った人の気持ちを超えているときがあるんです。「自生性」って言ってるくらいだから自分ではどうにもできないことなんですが、それをどうにかなるようにしておきたいなっていう気持ちがいま一番強いです。
僕の写真と、たとえば『新建築』の人たちの写真ってやっぱり違うじゃないですか。でも撮り方って基本的には同じなんです。ちゃんと水平垂直を出して撮るんだけど、水平垂直に撮っておくっていうニュートラルさが何十年後かには生きるんじゃないかと思ってやっているんです。下手にいまの作家や流行りみたいに、たとえば曲げて撮ったり、色を変えたり、コントラスト変えたり、いろんなことできると思うんですけど、それをすると10 年後や20 年後には全然ダメになってしまうんじゃないかなって。「ギリギリつまらなくフラットに撮りつつ、でもなんかいいな」っていう難しいところを狙ってるんです(笑)。10 年経つと意味が勝手にいろいろとくっついてきてしまうから、最初から何かくっつける必要はないと思うんです。


――それは建築だからニュートラルな撮り方をしているということでしょうか。


ホンマ 違うんですよ。実は女優のときでもいつも水平垂直に撮ってるんです。みんな結構びっくりするんですが。


大西 そのニュートラルさは坂本一成先生の建築にもすごく似たようなことを感じます。センスがよくないとできないなって。

― 「ダメだったらしょうがない」

――基本的にたくさんは撮られないんですよね。


ホンマ 最初から結構少ないですね。最初のころのアシスタントがすごく嫌がっていましたね。一枚しか撮らないと、現像とかで失敗があったら困るから。


――建築の場合は限られた枚数では難しいと思うのですが。


ホンマ あるコーナーを撮るのに何カットも撮ったりはしませんが、全体としては撮れるだけ撮りますよ。でも僕は「ダメだったらしょうがない」っていうつもりでやっています。それって野球で例えるとホームランを狙ってるんですよね。だから思いっきり振らないといけないんですよ。でもいっぱい撮る人って単打を狙ってるんですよ。だからいくら撮ってもホームランが打てない。

確かな視点によってとらえられた写真がともすれば見過ごされてしまいそうなのは、誰もが探したくなる密かな魅力の気づきに満ちてなお、そこにある空間の誠実な記録だからではないだろうか。人、建築、環境、すべてをフラットに写しながら、それらに境界などないことを教えてくれるホンマタカシの写真、その後ろ側にある一貫した姿勢とは。建築家・大西麻貴とともに伺う。

《倉敷市庁舎 講堂 、丹下健三》 2013 年

 

― 変容する写真

――竣工写真のような既存のイメージに影響されることはある
のでしょうか。


ホンマ 竣工写真みたいなものは僕にとっては単なる資料で、特に影響は受けることはありません。建築家の意図どおりに撮る竣工写真を撮っている人たちって本当に真面目でいい人たちだなって思います(笑)。
それでも『新建築』が何周年かで写真展か何かやりたいから「アーカイブを見て相談にのってくれ」と頼まれて見に行ったんですけど、たとえばオリンピックのころまで遡ると、空撮とかもあって結構面白いと思いました。当時はつまらない竣工写真だったのかもしれないけど、まわりの環境が写っていて、それが今とは全然変わっているんです。そういう写真の変容ということもあるから、やっぱり撮っておいた方がいいのかなとも思います。


大西 ガウディが亡くなったときのサグラダ・ファミリアの写真が残っていて、それはまわりに何もたってなくて、塔が三本くらいだけあるんです。今のサグラダ・ファミリアを見るとまわりがバルセロナの街になっているから、全然違っていて、すごくびっくりしました。あれだけ長い期間建設していると、まわりが変わってしまうんですね。

― 写真でしかできないこと

《広島平和記念資料館 、丹下健三》 2013 年

 

ホンマ 建築を撮るときは、一つにはまわりの環境を含めた風景として撮りたいということ。そして空間の話で言うと、自分が気持ちいいなと思うところを写真にしたいと思っています。
説明するのは『新建築』の人にお願いしておいて。
現代建築を撮るようになった最初のころに、建築家と一緒には行かないほうがいいんだなと気づきました。その建築のことを全部説明してくれるから。少なくとも僕が撮る場合は彼らの意図とは関係なく自分がいいと思ったところを撮る。それこそデジカメで誰でも撮れるわけですから、僕がその上からまた撮る必要はないですよね。
建築家の意図した空間のよさに共感できないわけではないです。ある種のねらいがあって建築をつくっているわけですから。もちろん説明を聞いてなるほど、と思うけれど、でもそれを写真で可視化するのって難しいんですよね。だから写真は写真独自のよさを使った方がいいと思う。


――「写真独自のよさ」とはどういうことなのでしょうか。


ホンマ あくまで建築は三次元で、写真は二次元だから、その中で建築家が思ったことを一発で写しこむっていうのはやっぱり難しい。それよりちょっとした部分でも、「すごくかっこいいな、かわいいな」と思う部分だけを撮って残りの全体は想像してもらったらいいんじゃないかって、僕は思うんです。


大西 ホンマさんの本『たのしい写真―よい子のための写真教室』(2009) を読んだ時に、「写真でしかできないこと」とか、ある技術があってそれでしかできないことみたいなことが形として表現されたときに、写真が変わっていっているのかなという感じがしました。建築の場合も、ふつうに建築をつくってもなんとなくできてくるんですけど、建築でしかできないことってなんだろうって考えて、それが形になってあらわれるときに変わっていくのかな。モダニズムがでてきたときもそうだと思うんです。


ホンマ 「自生性」のことを言うと、建築もそういったことってあると思っているんです。僕はいま吉村順三さんが設計した集合住宅に住んでいるんですが、メゾネット式になっていて階段をトントンと上がっていくと、そのコーナーの上に、1m 角くらい四角いトップライトがあるんです。それってもちろん採光のために作ったと思うんだけど、階段あがって暗いと嫌だから。でも僕がそこに住んですごくいいなと思ったのは、雨の日なんですけど、そこのトップライトのところだけに雨の雫の音が聴こえるんです。それがすごくきれいな音で。でもたぶんそのことは吉村さんも気づいてなかったと思う。当たり前のことだけど、建築って行ってちらっと見ただけじゃわからないですよね。何度も何度も見ないとわからない。もっというと住まないと分からないですよね。
そういう建築家の気がつかないところで建築が自生していくようなこととか、勝手によさが内蔵されていたりするとか、それを発見することが僕みたいな写真家の仕事なんじゃないかと思っています。

関連記事一覧