建設業の元請下請関係に包まれた技能労働者の賃金構造|古阪秀三
前回のtraverse21のキーワードは“巣”であった。
筆者はこの“巣”において、建設業の世界での“巣”として、伝統的に維持されてきた元請・下請関係、しかもそれが専属的に繰り返されてきた関係を中心に拙稿を書いた。
そして、今回のtraverse22のキーワードは“包むもの/取り巻くもの”。まさに、元請・下請関係が「専属的⇔独立的」のなかでどのように揺れ動いてきたか、優秀な名義人/世話役/職人を選別・確保することを考え、その組織化に乗り出し、名義人を中心に特定の元請傘下の協力会が形成されることになった。このような流れのなかで、とりわけ、技能労働者に支給される賃金がどのように変化してきたかが気になっている。そこで、今回のtraverse22では、元請から下請を経由して技能労働者に渡る賃金の変遷について、考えてみることにする。
1.「公共事業労務費調査・公共工事設計労務単価」と「賃金構造基本統計調査」
ここに、農林水産省および国土交通省が例年調査している「公共事業労務費調査・公共工事設計労務単価」と厚生労働省が例年調査している「賃金構造基本統計調査」の2つの調査内容とその結果の資料がある。
「公共事業労務費調査・公共工事設計労務単価」とは、「農林水産省及び国土交通省(以下「二省」)で、毎年、公共工事に従事する労働者の県別賃金を職種ごとに調査し、その調査結果に基づいて公共工事の積算に用いる「公共工事設計労務単価」を決定しているが、この調査を「公共事業労務費調査」という。この調査は、調査月に調査対象となった公共工事に従事した建設労働者の賃金について、労働基準法に基づく「賃金台帳」から調査票へ転記することにより賃金の支払い実態を調べるもので、昭和45年から毎年定期的に実施されている。調査対象工事は二省(独立行政法人、事業団等を含む)、都道府県および政令指定都市等所管の公共工事。調査対象労働者は調査月において調査対象工事に従事した労働者で、元請、下請(警備会社を含む)を問わず、全ての労働者(51職種)が対象。なお、公共工事設計労務単価は、公共工事の工事費の積算に用いるためのものであり、現場管理費(法定福利費(事業主負担分)、研修訓練等に要する費用等)及び一般管理費等の諸経費が含まれていない(法定福利費(事業主負担分)、研修訓練等に要する費用等は、積算上、現場管理費等に含まれている)」¹
その結果の令和3年3月の設計労務単価を含め、平成年度からの設計労務単価の全国全職種加重平均の推移を図1に示す。端的に言えば、平成9年度から平成24年度まで下降を続けた単価はそれ以降令和3年3月まで上昇を続け、その間で56%上昇している。
一方、厚生労働省が例年調査している「賃金構造基本統計調査」は、主要産業に雇用される労働者の賃金の実態を明らかにする統計調査。賃金構造基本統計調査によって得られる賃金の実態は、国や地方公共団体だけでなく民間企業や研究機関でも広く利用されている。賃金構造基本統計調査では、雇用形態(正社員・正職員、正社員・正職員以外)、就業形態(一般労働者、短時間労働者)、職種、性、年齢、学歴、勤続年数、経験年数など、労働者の属性別の賃金の結果を、産業、企業規模別などで提供している。 この調査は、我が国の賃金構造の実態を詳細に把握することを目的として行われているもので、昭和23年以来毎年実施されてきた賃金構造に関する一連の調査系列に属するものである²。
その調査による労働者(年間賃金総支給額の建設業男性生産労働者)の賃金を2000年(平成12年)から2019年(令和元年)の推移で図2に示す。端的に言えば、2000年(平成12年)から2012年(平成24年)まで下降を続けた賃金は、それ以降2019年(令和元年)までほぼ上昇を続けてはいるが、その間での上昇は約18%程度である。
2.公共工事設計労務単価と賃金構造基本統計調査による労働賃金の推移の比較
前章でみた2つの調査結果には、興味深い違いがある。そのいくつかを上げると以下のとおりである。①設計労務単価は各年度の公共工事の発注の際の積算に用いるのに対して、労働賃金は労働者に支給された結果の額が示されていること。ただし、両者の調査の内容には相当程度の違いがあること。②いずれの図でも最低値は2012年であり、その後上昇を続けているが、その伸び率には大きな差があること。③建設業に特徴的な請負を前提とした契約、重層下請構造、法制度上の元請/元方責任の在り方などの影響とそれらへの配慮などである。⁵
3.実際の躯体系専門工事業者(Z社)における設計労務単価と元請労務単価の推移について⁷
①まずは、設計労務単価とZ社の元請労務単価(元請支払いの平均値)の推移を、図3(建築工事と土木工事の土工)、図4(建築工事と土木工事の鳶工)に示す。これらの単価には社会保険等の経費も含まれている。図3では各年の土工の設計労務単価と各元請との間での土工の元請労務単価の平均値が、図4では各年の鳶工の設計労務単価と各元請との間での鳶工の元請労務単価の平均値が、平成24年から令和2年の間の各元請がZ社に支払った元請労務単価の平均値の折れ線図となっている。
②これらのことから次のことが分かる。
・設計労務単価に比べて、元請労務単価は建築、土木(更に言えば土工、鳶工)共に10% ~30%低いが、明らかにそれが建築においてより低いことが分かる。その差がどこから出ているかにはいくつかのことが考えられる。土木工事の場合、ほとんどが公共工事であるため、設計労務単価を通常の契約においても活用している。それに対して、建築での公共工事は、通常、市場単価制度であり、また、民間工事では設計労務単価に関してほぼ利用していることがない。このことが最も大きな理由ではないか(図3および図4)。
・図3、図4では分からないが、元請労務単価の元請間での差異は10%程度あり、建築、土木のいずれにおいてもある。
・また、図3における建築工事の土工では、設計労務単価は年々上昇しているにもかかわらず、元請労務単価は平均で平成24年~平成27年まで上昇しておらず、設計労務単価と元請労務単価の差異並びに変動の具体的な要因を検証する必要性は高い。
・このようなことがなぜ起こるのか。それらの要因を明らかにすることは、今後の技能労働者の実質賃 金の上昇を検討する上で、欠かすことができないことであろう。
③Z社における元請労務単価のベースになる要因
・元請からの仕事を請けた後、二次下請(協力会社)に仕事を出す場合も請負契約を原則としている。
・元請としては複数の企業と取引があるが、指名競争入札が基本となる。
・技能工等も社員として雇用している。
・労働者を守るのが専門工事業者の役割である。
など、二次、三次下請を含んでの元請労務単価でないところに、今後の下請となる専門工事業者のあるべき姿の一端を見ることができる。
4.現在までの元請下請関係における技能労働者の賃金の問題
結局、“巣”あるいは“包むもの”のなかで技能労働者の賃金はどのように変化したのか。
建設業の世界の“巣”、そのなかで伝統的に維持されてきた元請・下請関係、それらはまさに、建設活動を緩やかに“包むもの”として揺れ動いてきたわけであるが、その重層下請構造のなかで技能労働者に渡る賃金の変遷はなかなか改善されず、とりわけ民間工事においてそうである。一般に公開されている資料ならびに意欲ある専門工事業者のなかといえども、元請と重層下請の間ではなかなか透明性を持ったものとはならず、今後の課題として残っているといえる。
端的にいえば、元請から下請を経由して技能労働者に渡る賃金の変遷は曖昧模糊としており、包み込むものとしてではなく、重層構造の改善とともに、技能労働者への明快な制度に基づく賃金とすべき時代であるといえる。
その残っている多段階にある技能労働者の賃金構造はどのように動くことが出来るのであろうか。ここに、2つの第一歩が始まりつつあることを紹介しておく。
①「技能者の賃金確保へ標準単価を」という建設産業専門団体連合会(建専連)の活動⁴
2021年9月3日の「建通新聞(電子版)」によれば、建設産業専門団体連合会(建専連)は、技能労働者の処遇改善に向け、技能労働者のレベルごとの最低賃金と現場ごとの標準単価を合わせて設定し、2021年度末に公表する方針を固めたとのことである。その際の最低賃金と標準単価は会員団体(全34団体)がそれぞれで設定する。技能者の処遇の見通しを示すことで将来の担い手確保につなげる。また標準単価が民間工事で活用されるようになれば、技能労働者に支払う賃金をより適切に担保できるといった経営者側のメリットもあるとしている。このような動きがようやく始まった背景には、「職人のキャリアパスを賃金的に示すには、その原資を確保しなければならない中小企業の経営が安定していないことが問題」、と指摘。その上で、「標準単価が広く認められるようになれば、下請業者は職人への賃金支払いの原資を適切に担保できるようになり、不当に労務費を削られるようなダンピング行為を防ぐことにもなる」と考える。こうした取り組みを急ぐ背景には、若者の入職を促すための技能労働者の処遇改善を進める一方で、ダンピング受注が散見される建設業界の現状がある。(技能者の賃金確保へ標準単価を 建専連|建設ニュース 入札情報、落札情報、建設会社の情報は建通新聞社)
②全建等元請建設業者団体の元請・下請契約ならびに契約約款における精緻な書面化や専門分化の実質化
①と必ずしも連携しているわけではないが、全国建設業協会では元請・下請間での工事請負契約に関して、工事下請基本契約書/工事下請基本契約約款、個別工事下請契約約款、工事下請注文書(注文書・注文請書・注文書(控))を用意しており、さらにより洗練されたものとして改正される方向にある。重層下請構造のそれぞれの下請契約ならびにその約款をどのようにすべきかの検討に入る。これが技能労働者の処遇改善にどのような影響が出るかには注意を払う必要がある。
さらに、民間(七会)連合協定工事請負契約約款委員会においても「民間(七会)連合協定工事請負契約約款」のもとに、工事下請契約約款の作成の検討に入ろうとしている。
あとがき
2001年4月16日に日本CM協会が設立された。その際の最も重要な目標としたものが2つあった。その1つは健全な建設生産システムの再構築、もう1つは倫理観を持ったプロフェッショナルの育成であった。さらにいえば、 「健全な発注者、設計者、コンサルタント、ゼネコン、サブコンの結集であり、それにもまして、建設生産システムを支えている職人さんたちの技能と賃金を守ることにあった。
そして、その前途にはなかなか難しいものがあったし、現在もその真っただ中にある。しかし、技能労働者の高齢化、若者の職人離れの下で、技能労働者の透明性のある処遇改善が急務である。
【参考文献】
1) 建設産業・不動産業:公共事業労務費調査・公共工事設計労務単価について|
国土交通省:https://www.mlit.go.jp/totikensangyo/const/1_6_bt_000217.html
2) 賃金構造基本統計調査|厚生労働省:https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/chinginkouzou.html
3) 古阪秀三,建設業の歴史と巣,traverse21,2020
4) 技能者の賃金確保へ標準単価を 建専連,建通新聞(電子版),2021.9.3
5) 古阪秀三,公共工事設計労務単価について考える[前編]専門工事業者の声,建築コスト研究108号,建築コスト管理システム研究所,2020.1
6) 古阪秀三,古阪秀三,公共工事設計労務単価について考える[後編]発注者、元請建設業者、CM会社、報道機関の声,建築コスト研究109号,建築コスト管理システム研究所,2020.4
7) 古阪秀三,元請・下請関係の変遷と技能労働者の実質賃金の変動について,建築コスト研究111号,建築コスト管理システム研究所,2021.1
古阪秀三 Shuzou FURUSAKA
Shuzo Furusaka was born in 1951 in Hyogo, Japan. He was a Professor of Architecture System and Management, Department of Architecture and Architectural Engineering of Kyoto University. He had worked in construction industry for two years as a site manager, before returning to the University. He has been working in academic field for about forty five years. His main research themes are “Integration of Design and Construction”, “Restructuring Construction Industry and Construction System in Japan”, and
“Project Management”. He was a President of Construction Management Association of Japan and Chairman of Committee on Architecture System and Management of Architectural Institute of Japan. He is now a Representative of The International Study Group for Construction Project Delivery Methods and Quality Ensuring System and Chairman of General Conditions of Construction Contract Committee.