渡鳥ジョニー×市橋正太郎×柳沢究|定住するノマド、揺れる境界
司会=宇野亜実、高橋温、野村祐司、若松晃平
2022.9.19 京都大学桂キャンパスにて
永田町で都市型バンライフを実践する渡鳥ジョニー氏、アドレスホッピングを提唱し自らも実践する市橋正太郎氏、彼らは非定住の暮らしを実践しながら新たな住環境の開拓に積極的に取り組んでいる。これまで、ノマドという言葉は主に「現代の遊牧民」と訳され、定住生活と対置されてきた。しかし、そもそも定住と非定住の生活は区別できるものなのだろうか。私たちのほとんどはライフステージに合わせて引っ越し、旅行にもいく。本鼎談では、技術の進歩や社会の変化が私たちの暮らしや価値観までも変化させている現代において、人間生活が本来含んでいる移動的要素と生活のありかたについて再考する。実際に非定住生活者として生活するお二方に加え、住経験の研究者で建築家でもある柳沢究准教授を交え、「定住と非定住の境界」というテーマで話をしていただいた。
バンライフと場づくり
ーーはじめにそれぞれが力を入れているプロジェクトを具体的にお聞きしていければと思います。渡鳥ジョニーさんから自身の活動の紹介をお願いします。
渡鳥 僕は家を捨て自作のキャンピングカーで暮らす、いわゆるバンライフという生活をしていました。2014年のフォスターハンティントンという方の『HOME IS WHERE YOU PARK IT¹ 』という写真集には大きく影響を受けました。この書籍がきっかけで海外の若者がバンライフをまねしだしたんですけど、その様子がSNSにあがってきて僕も見るようになりました。当時は札幌に住まいがあり家族との生活も落ち着いていたのですが、その後突然離婚することになり10年ぶりくらいに東京に戻ってきたのです。そこでは相変わらず、満員電車の辛さとか、狭い住宅環境だとか、リビングコストの高さなど、人を幸せにするはずの住まいが逆にそれを阻んでいるように感じた一方、シェアハウスやコワーキングスペースなどシェアリングエコノミーが出始めてきていて、今だったらどのような都市の使い方ができるかを考えるようになりました。そして、必要最小限のプライベート空間である車と都市全体をシェア空間と見立てて東京をハックすれば豊かに暮らせるんじゃないかという仮説の元に、永田町の一等地でホームレス、いや、都市型バンライフを始めました。そこでは車中泊のしんどさは排除して、いかに3畳の空間を住宅に近づけるかを徹底的に考え抜きました。具体的には、立って歩けるほどの高さにし、ベッドや机を収納式にするなどスペースを有効活用しました。とはいえ24時間車の中にいるのは流石に苦痛なので、日中はオフィスで仕事をし、お風呂は近くのジムに通い、寝る時だけ車に戻るという生活を始めました。実際に暮らし始めると最小限のパーソナルスペースとしてのVanと、LDKなどそれ以外の空間や設備はシェアすることで、1LDKや2LDKを借りなくても、VLDKで豊かに暮らせることがわかりました。
渡鳥 そして神戸、横浜、長野などいろんな場所でVLDK生活を実践し、その良さについて確信を得ることができたのですが、車を停められるシェア施設が少ないと感じていたので、次は車両だけでなくそれを囲う場づくりもやりたいと思っていました。その時にその両方が実現できそうな八ヶ岳(LivingAnywhere Commons² )のプロジェクトから声がかかり、場づくりの実験を始めました。
今進めているのが、オフグリッド⁴ の製品開発です。電線も水道も繋がっていない環境で、文化的な生活ができるかという実証実験をやっています。最終的なゴールはインフラがないような荒野でもエネルギーに困らずに生活ができるようなオフグリッド居住パッケージの開発です。
柳沢 お話を伺う前までは、バンライフは移動と不可分なものなのかと思っていました。しかし今の話を聞いてると、最も合理的な生活空間を求めて家を作ろうとしたら車になって、移動するオプションもついてきたということが分かり、なるほどなと。そしてそれが現在の都市の成熟したインフラにちゃんと乗っていて、非常に鮮やかだなと思いました。さらに、そのインフラからも抜け出そうとオフグリッドにチャレンジされているというのは、非常に納得できる道筋だと思って聞いていました。単純な質問なんですけど、どれくらいの頻度で移動されているんですか。
渡鳥 実のところ僕は移動するのが嫌いなんですよ(笑)。金銭的にも時間的にもコストがかかるのでなるべく移動は最小限にして、1回移動したら1ヶ月から半年ぐらい同じ場所に留まり、そこを拠点に小旅行に行くスタイルでやっています。
柳沢 思ったより移動してないですね。
渡鳥 そうですね。毎日移動してた時期もあるんですけど、すごく疲れてしまいました。それに気に入った場所を見つけたらそこにしばらく定着したいという気持ちもありますね。
1)フォスターハンティントンはワシントン州スカマニア郡出身の写真家、映像作家。ラルフローレンのコンセプトデザイナーや出版社で働いていた。2011 年にファッション業を離れ、生活に必要最小限のモノを VAN に入れ旅を始める。2014 年、バンライフを収めた写真集『HOME IS WHERE YOU PARK IT』を出版。
2)株式会社 LIFULL が 2019 年 7 月よりサービスを開始した、自宅やオフィス等、場所に縛られないライフスタイル「LivingAnywhere」を実践することを目的としたコミュニティ。コミュニティメンバーになることで、複数拠点に展開する LAC を「共有して所有」し、全国の拠点を好きな時に利用することができる。
3)オフグリッド・リビングラボ八ヶ岳全景。2023 年 2 月より、アウトドアホテル「TENAR」と共同でオフグリッド生活を体験できる宿泊サービスを開始。
4)電力、ガス、水道など生活に必要なライフラインの一つ、または、それ以上を公共のインフラストラクチャーに依存せず、独立して確保できるよう設計された建物の特徴やその生活様式。
アドレスホッピングー様々な地域での暮らしと仕事ー
ーー続いて市橋さんのプロジェクトの紹介をお願いします。
市橋 僕は移動を中心にした非定住の暮らしを約5年続けていますが、その生活を「アドレスホッピング」と呼んでます。ノマドも似た意味を指しますが、僕が活動を始めた時、日本の社会ではノマドという単語はスターバックスでPC作業をするような、働き方の文脈で使われていました。でも僕は、場所、家、あるいは所有などの概念から離れたときに、様々な地域の暮らしや面白さ、いろいろな人や文化との出会いがあるという面を伝えたかったんです。そこで半年ぐらい考えて「アドレスホッピング」という呼び方にしました。
アドレスホッパーとして自分の活動を発信し続けていたら、現在の状況に不満を抱えた仲間が集まってきました。彼らは移動生活や家に住まない生活、あるいはシェアリングエコノミー⁵ の中での生活など、自分なりに社会実験・生活実験をしてるつもりだけど、社会からは異端者として扱われた人たちでした。そうしてアドレスホッパーのコミュニティができ、さらには皆でいろいろな地方を巡る中で、よりたくさんの仲間もできました。これらが最初の2年間のハイライトですね。
その後手掛けた仕事が『Hopping Magazine』⁶ です。当時、スタートアップ企業や大手不動産系の会社が新しい居住サービスをつくる動きが出てきていました。そのなかで、僕がやるなら物理的なインフラじゃなくて、文化的なインフラをつくるべきなのではないかと思って、『Hopping Magazine』という雑誌を作り、アドレスホッパーの文化を明示していく活動をしていました。
そうした活動のなかで出会いやきっかけがあって5年間で様々なことに関わりました。一つは、アフリカのマサイ族の村での2週間のホームステイと水インフラの開発です。その村はサバンナのど真ん中にあるのですが、4Gの電波が飛んでいて、皆スマホでYoutubeをかけながら踊ったりしているのに、上下水道の設備インフラが全く整備されていなかったことにとても驚いたんです。その頃に偶然、水循環の設備インフラを開発しているスタートアップに出会い、これがアフリカの村にあれば長期間でも問題なく暮らすことができるのではないかと思って、2年ほどお手伝いをしてました。
もう一つ、KDDI総合研究所と一緒に『FUTURE GATEWAY』⁷ という枠組みを運営しています。ジョニーさんにも以前ワークショップに参加してもらったんですが、新しい暮らしや生活を先取りして実験してるような人たちを「先進生活者(=t’runner)」と呼んで、そういう人たちと一緒に未来のライフスタイルを一般化する活動をしています。例えば、移動式サウナや未来のゴミ捨て場など、様々なプロジェクトが動いています。
市橋 最初の2年間は海外にもよく行っていましたが、2020年以降はコロナ禍の影響で移動しづらくなりました。そんな時に妻と出会い、結婚したんです。これを機に、それまでの一人で自由に移動するスタイルから、一つの地域に数ヶ月滞在する、そんな移動スタイルに切り替えました。そこから2年経って、親の介護や子供の出産があり、またライフステージが変わったことで、京都、左京区浄土寺に一旦、落ち着いています。すごく居心地がいい地域で、子どもが大きくなるまで、一つの拠点にしたいと考えています。
柳沢 アドレスホッピングを始めた最初の頃は相当な頻度で移動して回っていたのでしょうか。移動生活の様子があまり具体的に想像できていないので、例えば、ある1年間ではどういう動きをどれくらいの期間でされていたのか教えていただけますか。
市橋 月に平均4から8都市を巡っていました。例えば2019年の年末は、スペインのサンセバスチャンでお腹いっぱい美食を堪能した後、翌週にはケニアに飛んでスラム街の視察をしたり、タンザニアでサファリを見に行きました。3週間ほどアフリカに滞在した後、帰国してすぐに福岡から長崎までサウナ巡りをするツアーを敢行して、その後、関わりのある秋田県大館市に移動して自治体の人たちと地域創生の議論をし、すぐ東京に戻ってマガジンのリリースパーティを開催しました。これが1ヶ月から2ヶ月間の話ですね。
柳沢 めちゃくちゃ移動してますね。
市橋 めちゃくちゃしてました(笑)。
柳沢 例えば1週間の中で仕事してる日と、観光する日があると思うのですが、この2つは週にどのくらいあったんですか。
市橋 場所によりますが、半々ぐらいです。大体午前にまとめてミーティング入れておいて、空いた時間で散策したり、地元のごはん屋さんに行ったりしてました。でも、あまり観光という観光はしないんですよ。行った土地にはそこに住んでる感覚でいたいので、地元の人が行っている店とかに行って、隣で出会った地元の方と乾杯して二軒目に行ったりしてました。なのでその土地で自由に過ごす時間はあったんですけど、観光したという記憶はないですね。
柳沢 延々とワーケーションが続いてるみたいですね。
市橋 今風に言うとそうかもしれないです。仕事とプライベートの境目が全くないんです。
柳沢 移動生活の中では基本リモートでの仕事が多いと思うのですが、具体的にはどういう仕事を受けられるんですか。
市橋 活動を始める前まではマーケティングや新規事業の立ち上げをやっていたので、その経験を生かしたいわゆるコンサルティングの仕事が多いですね。それを完全にリモートでやってます。先ほどの『FUTURE GATEWAY』もKDDI総合研究所からそういう枠組みをつくりたいと相談を受けたのでそのつくり方のサポートをしていました。
柳沢 クライアントは日本の会社が多いと思うのですが、日本の会社の企業戦略をアフリカで考えていたら、その内容にも変化が出てきそうですね。私は建築の設計も時々するんですけど、日本の家を海外に滞在しながら設計していたら、絶対その場所からの影響が設計の内容に反映されると思います。各地を移動しながら仕事をしていると、自分の仕事の幅や内容にもポジティブな効果がありそうだなと思いました。
市橋 それは大いにありますね。今もそれを感じていて、京都に住み始めてから、土地柄なのか、表現活動をしたい気持ちが強くなってきたんです。京都には親の介護をきっかけに拠点を構えたんですが、仕事を一旦整理したこともあって、稼ぐための仕事じゃなくて自己表現のための仕事や、社会や地域のための仕事しかやらないって決めたんです。なので、これからどうなるのか、自分自身とても楽しみなんです。妻には迷惑をかけるかもしれませんが(笑)。
5)一般の消費者がモノや場所、スキルなどを必要な人に提供したり、共有したりする新しい経済の動きや、そうした形態のサービス。
6)Address Hopper Inc. 2020 『Hopping Magazine』
7)FUTURE GATEWAY は、ニューノーマル時代のライフスタイル提案に関した取り組みを行う KDDI 総合研究所の研究拠点「KDDI research atelier」と、先進的なライフスタイルを取り入れている個人、一連の取り組みに賛同する KDDI のパートナー企業の 3 者を基盤とする共創プロジェクト。