【学び、創造する製図室】製図室調査④|学年が入り混じる場

インタビュイー:渡邊さん(千葉大学 大学院修士1年生)、松本さん(千葉大学 学部4年生)

聞き手:池内優奈、下地杏花、谷口颯一郎、千葉祐希、杉本春佳

2023.09.02 オンラインにて

大学について

―― 建物について教えてください。

南北に連なる工学部棟のうちの1つが建築学コースの建物です。5階建のうち4階が全て製図室になっています。今後工学部の再開発により、建築学コース棟の改修がされて、まず建築学棟の改修が行われる予定です。

――人数構成について教えてください。

1学年の人数は70人ほどです。製図室を使えるのは1年生後期からです。3年生前期までは全員に席が割り当てられますが、3年生後期からは建築学コースを選択した人のみになります。4年生製図室は10個のブースに分かれていて、そのうち6つは大部屋、4つは小部屋という構成です。大部屋というのは長辺40m近くある大きな部屋を間仕切りで区切ったような空間です。それだけなので隣の部屋の声は筒抜けですし、逆にそのおかげで壁越しに会話をしている人たちもいます。一方で小部屋はしっかり区切られた部屋になっていて、閉鎖的で集中しやすい環境です。大部屋と小部屋でブースの雰囲気も違いがありましたね。

製図室について

――「11 ブース」について教えてください。

4年生は本来は製図室に席を持てないんですが、私たちの代が通称「11ブース」と呼ばれる部屋を作って、4年生を中心とした製図室としていました。元々は今年5月に行われた大学間講評会の代表者3名が模型制作の場所として貸し出されていた部屋を、講評会後も皆で集まれる場所が欲しいと先生にお願いしたことが始まりでした。研究室が分かれた仲間と本棚や卓球台を作ったり、1〜3年生と同じ階なのでエスキスをしてほしいと訪ねてくる後輩がいたりもします。今ではこの11ブースを前身としたAZLという団体を立ち上げ、大学図書館での卒業制作展や株式会社ZOZOとの共同制作を行ったりしています。

――卒業制作の際はどういう使われ方をしますか。

4年生は製図室に席がないので、各自研究室で取り組んでいます。1 月末くらいに製図室が衣替えをして、卒業制作を行う4年生のためのレイアウトになります。その時期を境にメインの大きな模型を作り始める人が多かったです。ちなみに卒業論文で卒業する人には製図室は与えられないので、みんな最後まで研究室で取り組みます。

――発表等はどこで行うのでしょうか。

課題の発表は楓ホールという別の建物で行うことが多いです。ただし卒業制作に関しては、提出後に製図室の椅子や机を全て外に出して、そのまま発表・展示会場として使われます。

 

――製図室の管理は誰が行っているのでしょうか。  

毎年3年生から製図室長が選ばれて、担当の先生と連絡を取りながら製図室を統制しています。

――ゴミ捨てはどのような管理がなされていますか。

ブースごとにゴミ箱をつくって、処理場に持っていくルールでした。各ブースに委ねているので、いつも綺麗な部屋もあれば、整理されていない混沌とした部屋もありましたね。

――大掃除はあるのでしょうか。

長期休み中は製図室が使えなくなるので、年2回だけですが、その直前に大掃除がありました。毎回厳しく先生にチェックされ、私物はほとんど置いておけない状況になります。

――印刷室などはあるのでしょうか。

千葉大の場合は利用制限はありますが、建築学科に限らず全学生がA0プリンタを使うことができる環境になっています。印刷室は工学部棟とは全然違うところにあるので、課題の締め切り直前にはみんなダッシュで往復しています。

――製図室で先生と関わることはありましたか。

基本的に先生が製図室に来ることはありません。ただ私たちの世代はコロナ対応があったので、頻繁に先生と連絡をとって利用時間などの交渉をしていました。

――学生間での交流は盛んでしたか。

千葉大の製図室は学年の縦割りで使うので、それぞれのブースに1〜3年生がいるという学年が混ざった状態です。そのため一緒にスタディをしてもらったり、通りかかった先輩がエスキスしてくれたりと、先生のいない研究室のような雰囲気でしたね。千葉大は2年生から図面を引くのに手書きよりソフトを使う人が比較的多い印象ですが、これもブースの先輩から教えてもらえる環境があるからだと思います。

――製図室の空間づくりのお話をお願いします。

千葉大の場合は製図室の運営が学生主体ということもあって、学生は自由なことをやっていました。家電を持ち込んだり勝手にサイン計画をしたり、改修前ということもあって壁を傷つけてもいいと言われていたりいなかったり…。実験住宅ならぬ実験製図室のような側面もありましたね。

――コロナ禍では製図室はどのように開かれていましたか。

コロナ初期は完全に封鎖され使えませんでした。その後10時から22時までなど徐々に製図室が解放されていきました。

――コロナ禍の授業はどのように行われていましたか。

エスキスや講評会はオンラインで行われていました。それでも学生は製図室で会えていたので、学生同士でもエスキスできたのはよかったですね。

関連記事一覧