海風と直会|根城 颯介

Sea Breeze and Naorai | Sosuke NESHIRO

佐木島(sagishima)
◆曳家祭

 2024年の10月に瀬戸内海に浮かぶ佐木島という小さな島で行われたRed Dot Schoolに参加した。[1] プログラムの主役は、海沿いに建つかつて市営住宅だった空き家。建物が建てられるとき、私たちは地鎮祭を行うが、建物が解体され終わるとき、それは一般的に誰にも祝われず寂しく一生を終えていく。前回の会期では建物の解体を解体祭と称し、ゆっくりとその解体を祝いながら解体作業が進められた。今回の会期では躯体だけになったこの家を1週間かけて半分を解体し、切断し、半分を海沿いの別の敷地へと曳家することだけが決まっていた。家を持ち上げて動かす、それだけのために世界中から人が集まった。
 自分たちの手で家と触れ合いながらゆっくりと一つ一つの部材を外していく。青空が広がった曳家祭の日、そこに広がっていた空間はまさに祝祭だった。島の中を走り回って見つけて来た布や縄や花で建築を飾り付け、自分たちも思い思いのコスチュームを身につける。緊張感と高揚感の中、装飾が海風に揺れ、チリンチリンと風鈴だけが音を立てて鳴っていた。地域の人や地元の大学生も含め30人以上で、2時間も3時間もかけて家を動かし、家が完全に基礎から抜け出して拍手が上がったとき、なんだか涙が溢れた。家は重いが、動く。
 時間も迫っていて、これ以上は続けられないとなったとき、悔しかった。その日の夜のミーティングで、私は家に海を見せてあげたいということを話した。家と触れ合いながら、一つ一つ丁寧に、部材を取り外していくうちに、気づいたらこの家に愛着が沸いていた。70年も同じ場所で建っていて、私たちが来なければその場所で一生を終えるはずだった家が、動いて今は違う景色を見ている。この島で最も美しい景色の一つである海の景色を、彼にも見せてあげたかった。みんなも同じことを思っていた。次の週、万全の準備をして行われた曳家は1時間で終了した。
あの時の海風を、私は覚えている。

佐木島

◆物活論

 “もの”や建築は無機物だ。一般的に私たちが生きていくために必要な「道具」として存在し、それ自体に心があったり、主体性があったり、生きているものとみなすことはない。しかし、私があの時建築に海を見せてあげたいという思いを抱いたように、時にものや建築が生きているように感じたりすることがある。ものを死物とみなして、論理的因果に従う世界観を「機械論(mechanism)」というのに対し、ものを生きているものとみなす世界観を「物活論(hylozoism)」という。[2] すべてのものに霊魂や精霊が宿ると考えるアニミズム的信仰や、ラトゥールが提唱した、人間だけでなく、人工物や自然物などのあらゆるものが相互作用することで社会を構築するというアクターネットワーク論(ANT)にも通じるところがある。
 機械論の方が優勢になっている現代、もう少しこの世界や建築を、ものや建築にも主体性があり、生きているという物活論的な見方で考えることはできないだろうか。私にとってあの佐木島の家は、故郷に住む友人と同じように時折元気にしているかなと考えるような生きている存在である。また、時に街を歩いていると少し個性的な建物や何度もその前を通る建物に、同様に生命性を感じたりもすることがある。建っている場所は同じだけれども、天気や光によって生き生きとした表情を見せる建物、あそこにいけばあの建物に会えると思って少し寄り道してみようと思う建物、長い時間をかけてその建築と関わったわけではないけれど、そのたたずまいから生きているように感じさせる建物が存在する。例えば、そんな風に私たちが生命性を感じる建物が街に沢山あるという状況は言葉で説明するには難しいけれど、なんだかきっと豊かな世界だと思う。機械論的価値観に基づいてバラつきの少ない規格化された材料で効率よく建てられた家。経済的な合理性だけで作られた個性のないビル。一方で、あまり生命性を感じることができない建物が多いのもまた事実である。それでもいいのだけれど、やっぱりどこか少し寂しい。


 柱は柱として生き生きと存在して欲しいし、扉は扉らしく、天井はのびのびと、窓はきらめきを持って存在していてほしい。それらがうまく調和していてほしい。優れた建築家はものや場所の声が聴こえていたのだろう。ルイスカーンは“What do you want, brick?”と言葉を残している。
 ものが生きている、建築が生きているとしたら、私たちとものや建築の関係はどのように変わるだろうか。その時、設計者はどう建築をデザインできるだろうか。


珠洲(suzu)
◆飯田町燈籠山祭り

 2024年1月1日、能登半島で震度7の地震があった。ちょうどその時私は卒業設計のスタディ模型を作っていて、京大桂キャンパスでも揺れがあったことを覚えている。それから能登半島は度重なる豪雨にも襲われた。度々起こる天災に対して、ニュースを見ながら自分の無力さを感じたり、自分に一体何ができるのかということを考えていたと思う。それから時間が経って2025年5月、私は能登半島の先端珠洲市を訪れ、ある大工集団の元でスズレコードセンター[3]という場所の施工のお手伝いをしていた。壁を剥がして新しく作る。雨漏りしているところがあれば屋根に登って直す。みんなで珪藻土を取りに行き、(能登半島の3/4が珪藻土でできている)それを漉して壁の左官に使う。昼は地域の食堂のご飯を食べて、お店の人と交流して街の魅力を発見したり。夜は近くのスーパーで採れたての魚を買ってきてみんなで捌いたり、ご近所さんからもらった野菜を使って料理をしたり。時には食卓で意見をぶつけながら、各々が考えていることを共有して、共に暮らしながら、ある場所を一緒に作っていく。その建築の作り方が自分にとって新鮮で、それから能登のご飯が本当に美味しくて、人は優しくて、海や空は美しい景色を見せてくれて。1週間に満たない滞在だったけれど、気づいたらこの場所が特別な場所になっていた。いつか工事は終わるけれど、その痕跡やかけた時間の分だけ私たちはこの土地や建物と親密になることができる。


 建築を作るという行為には一種の祭りのようなところがあると思う。大きな建築が作られる時、足場やクレーンがワッと建って、建築が作られて、新しい街並みができるという風景は祝祭的だし、木造軸組構法の建方の日はそれもまた祝祭そのものである。時にもっと小さな建築、あるいは建築未満の仮設的な建築に強く祝祭性が現れる時がある。私の興味で話すと、吉田寮や西部講堂で行われるイベントの空間や、唐十郎の紅テント、劇団維新派の巨大劇場、どれも混沌とよくわからない状態を作り出しながら祝祭的で、祭りが終わったら跡形もなく消えてしまうものに惹かれる。ここでの本質は出来上がったものではなく、そのプロセスだ。自分の場所を自分の手で作るという在り方。即興的に、みんなで作るという在り方。廃材やあるものを使って工夫して作るという在り方。参加型で暮らしながら作るという在り方。在野で離散的で決して正規の建築史には残るものではないけれど、そんな建築の、ものづくりの在り方に可能性を感じている。


 何回もこの場所に戻ってきたいし、この場所のことを応援したい。それもひとつの被災地との関わり方だと思う。7月、私たちは再び珠洲に戻ってきて2年ぶりに行われた飯田町燈籠山祭りに参加した。各町内がもつ山車と、高さ20mにも及ぶ燈籠山一台が3日間街中を練り歩く。地域に入り込んで、町の人たちと一緒になって担ぐということに最初はハードルがなかった訳ではない。それでも一緒に朝から夜まで、炎天下の中ずっと縄を引いて歩いていると、段々と関係性がほぐれてきて、祭りの一体感が生まれてきて、最後は皆で楽しく掛け声を掛け合っていた。きっと入り込んで、自分の目で見て、長い時間を共に過ごさなければわからなかったことが沢山ある。
 傾いた電柱と空き地が目立つ街並み。それでも笛と太鼓の音が鳴り響き、山車の背後に見える珠洲の海と空が本当に美しくて、やっさーやっさーと叫ぶみんなの顔が生き生きと楽しそうで、あの時の海風を、今でも覚えている。

珠洲

京都(kyoto)
◆直会(なおらい)

 直会とは祭りの最後、神様にお供えした食べ物や酒をみんなでいただくことで、皆で日常に戻るための儀式のことをいう。燈籠山祭りの日、ある男性からこの言葉を教えてもらった。能登では「かすもみ」というそうだ。祭りはいつか終わる。区切りをつけて終わらせなければいけない。みんなで食事をして語らいながら、楽しかったね、また来年も。と日常に戻っていく。
 久しぶりに京都の家に帰る。ふと窓を開けると風が入ってきて、あの時の海風を思い出したりもする。佐木島と珠洲、二つの祭りと、海風。祭りが終わって日常に戻る。それでも、あの時の熱気や見つけた大事なことは私たちの心の中に残っていて、あのときの思いを抱えたまま、私たちは日常を生きていく。大事なことは心の中に留めたまま、進む。今はゆっくりと、”祭りのあと“を考えている。

[1] 京大建築出身の河野直さんらが主催する2週間の国際WS。国内外から集まった学生達と共同生活をしながらデザインビルドを行う。毎年5月と10月にスタジオが開講される。
[2]ギリシア語でhylē(物質)とzōē(生命)という意味を組み合わせた造語。概念自体はそれ以前よりあるが、17世紀にイギリスの哲学者Ralph Cudworth によって作られた。
[3]奥能登国際芸術祭の縁を紡ぎ復興に繋げていく奥能登珠洲ヤッサープロジェクトの一プロジェクトとしてスタート。被災前の写真や映像をアーカイブし、珠洲や奥能登のこれからを考えるための「記録(レコード)」の場所。施工は関西の建築集団「々」が担当。


根城 颯介(ねしろ・そうすけ)
京都大学大学院工学研究科建築学専攻、小見山研究室修士2年。北海道出身。卒業設計「明日の記念碑」で武田五一賞受賞。
惹かれるもの:仮説建築物、祭り、光、海、よくわからないもの、刹那的で消えてしまうもの、永遠なるもの、美しいもの

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