壁画がつくる聖なる空間|猪股 圭佑

Holy Space Devised with Paintings | Keisuke INOMATA

ビザンティンの建築と絵画

 建築空間において壁面や天井面は純粋な内装仕上としてあるだけではなく、本来は空間全体を装飾するものとしての重要な意味を持っていたはずである。ビザンティン聖堂では、どのように神聖な宗教的空間が創造されていたのだろうか。キリスト教の壁画によって形成される聖堂建築の空間について考えたい。
 近代、特に西ヨーロッパの芸術において建築、絵画、彫刻の分化が顕在化したのに対し、古代や中世における芸術はそれらの統合されたものとしてあった。古代の洞窟やエジプトの神殿、ポンペイの住宅などを見ると、建築、絵画、彫刻が渾然一体となって空間が形成されていることがわかる。そこでは建築の壁面や天井面は絵画や彫刻によって装飾されるものであり、逆に絵画や彫刻のある場を形成するものが建築であったともいえるだろう。建築、絵画、彫刻がそれぞれの独立性を強める以前において、壁画による意味によって統合された建築空間の一つがビザンティン聖堂の宗教的空間である。ビザンティン聖堂では建築と壁画が一体的に計画され、壁面や天井面の絵画によって意味づけられた空間が創造された。視野を広くすれば「建築と絵画」の歴史は古代に遡り、中世のビザンティン聖堂建築の宗教的空間において一つの絶頂期を迎え、そして近代にはそれらが独立して「建築」と「絵画」という別の分野として捉えられるようになったとも見える。ビザンティン聖堂においては建築と壁画が不可分の関係にあるから、空間構成について深く知るためには建築と壁画の統合的な理解が必要である。
 ビザンティン帝国とはすなわち中世の(東)ローマ帝国であり、地中海周辺の広範囲に渡る地域に文化的影響を及ぼした。西ヨーロッパが世界建築史及び美術史の主流であると従来認識されてきたが、ビザンティンの文化は西ヨーロッパのそれと並置されるべきもので、現代における異文化理解の視点に繋がる極めて重要な領域といえる。しかし、現存するビザンティン聖堂やその図像史料、叙述史料が極めて少ないこともあり、個々の聖堂における壁画による空間構成についてはこれまで十分に検討されていない。
 ビザンティン帝国の時代は324年から1453年という長期に渡り、1100年に及ぶ歴史を誇る。帝国の領域は大きく変動するものの、一貫してコンスタンティヌポリス(現在のイスタンブール)を中心に、地中海沿岸を国土とした(図1)。時代は大きく前期、中期、後期に区分され、前期と中期の間にイコノクラスム(偶像破壊運動)を経験する。前期はコンスタンティヌス帝が帝国の首都をビザンティオンに移した330年から始まるが、建築、絵画ともに前期のものはその多くが現存しない。726年以降、イコノクラスムが帝国を席巻するが、843年にイコン崇拝派の勝利に終わる。843年から1204年が中期とされ、十字軍によるコンスタンティヌポリス略奪に始まるラテン時代(1204年から1261年)を経て、後期は1261年からオスマン・トルコによりコンスタンティヌポリスが陥落した1453年までとなる。ビザンティンの文化は、西ヨーロッパのロマネスク、ゴシック、ルネサンスと発展する文化と常に交流を持っていたが、建築、絵画とも独自の発展を辿ったことで知られる。西ヨーロッパ中世のロマネスクやゴシックにおける聖堂建築は大規模なバシリカ式の平面を主とするものであり、集中式、特に小規模な内接十字式に代表されるビザンティン聖堂とは異なる建築と壁画の関係を持っていたことが推測される。

図1 ビザンティン帝国領 565年(上) 14世紀半ば(下)(井上 浩一:生き残った帝国ビザンティン, 講談社現代新書, 1990)
ビザンティン帝国の時代は324年から1453年という長期に渡り、その領域を大きく変動させながら、コンスタンティヌポリスを中心に地中海沿岸を国土とした。

ドームを中心とする内部空間

 前期のビザンティン聖堂はローマを中心とする西ヨーロッパの聖堂も含め初期キリスト教聖堂とも呼ばれており、古代の建築の流れを汲んでいる。ビザンティン聖堂としておそらく最も著名なハギア・ソフィア聖堂は前期ビザンティン聖堂の代表であり、その規模も最大である(図2)。6世紀ユスティニアヌス帝による帝国の絶頂期を象徴する聖堂建築であり、ペンデンティヴの完成という建築構法的な面からみてもビザンティン聖堂の代表であると認識されている。一方でハギア・ソフィア聖堂は古代の建築の集大成としても捉えられるべきものである[1]。また、ビザンティン聖堂において建築と壁画が一体的に計画された内部空間を持つという点において、ハギア・ソフィア聖堂はその典型とは言い難い。ビザンティン聖堂の最も重要な特徴は、主に中期以降に見られる内接十字式の聖堂建築における、小規模ながら中心にドームを架け、黄金のモザイクや群青色のフレスコで装飾されたその内部空間にあるだろう。内接十字式では身廊がギリシア十字を内接する正方形平面で、中央のドームから四方にヴォールト天井が伸びる。バシリカ式と同様に西から東への強い方向性を持ちながら、床からドームへの垂直方向の軸が空間の中心となる(図3)。

図2 ハギア・ソフィア聖堂(532年~537年、コンスタンティヌポリス)
ドーム・バシリカ、すなわちバシリカ式と集中式の複合であり、直径31m、高さ55mのドームをペンデンティブにより支持する。
図3 ミュレレオン修道院聖堂(920年頃、コンスタンティヌポリス)
平面図(左下、シリル・マンゴー, 飯田喜四郎訳:ビザンティン建築, 図説世界建築史第5巻, 本の友社, 1999)
断面パース(右下、Cecil L. Striker : The Myrelaion (Bodrum Camii) In Istanbul, Princeton University Press, 1982) 内接十字式聖堂の典型。

神と人を繋ぐ図像

 現存するビザンティン絵画の図像史料、叙述史料は極めて少ない。その要因の一つは、ビザンティンのキリスト教がイコノクラスムを経験したことである。これは旧約聖書でモーセが神から授かった十戒に由来する。十戒によって神の似姿を描くことが禁じられており、また、常にビザンティン帝国を脅かし、一方で文化交流のあったイスラム教の諸国では偶像崇拝の禁止が徹底されていたことの影響もあったとされる。100年以上もの間、宗教上の議論を重ねた後にイコン崇拝派が勝利することになるが、そこで整備された教義はイエスが神であり人でもあるという両性論である。イエスは人でもあるから、一般の信者と同じように母親から生まれ、信者のいる現実の世界に眼に見える姿で現れた(「受肉」)。神が人の姿で眼に見えることはすなわち神の恩寵であり、だからこそイエスを絵に描くことができるし、描くことがそれに報いることになる[2]。このように843年以降、イエスを描くことで神を表現することが可能になったが、ビザンティンにおいて神の姿そのものが描かれることはなく、イエスを描くにしても写実的な姿を描くことや、まして彫刻でイエスが彫られることもなかった。イコンの表現としての絵画にも立体的なものではなく平面的・二次元的なものが好まれた。西ヨーロッパのロマネスク、ゴシック、すなわちカトリックがイコノクラスムを経験せず、イエスだけでなく神そのものが(主に老人の姿で)描かれたことと対照的である。
 20世紀半ばのオットー・デムスによる研究で、ビザンティン聖堂のモザイクによる装飾の大枠として、キリスト教絵画における垂直方向の位階制、すなわち「三段階理論」(図4)が議論された。「三段階理論」において、内接十字式のビザンティン聖堂のモザイク装飾には三つの位階的構造があるとされる[3]。第一の位階はドームとアプシスである。ドームに「パントクラトール(万物の統治者)のキリスト」が描かれ「神としてのキリスト」を示す。アプシスには「聖母子」が描かれ「人としてのキリスト」を示す。第二の位階は聖堂内の比較的高い壁面で、キリストの物語などの説話的な図像が描かれる。キリスト伝図像は、文字を読むことのできない信者に対して、キリストの生涯を視覚的に表現し、キリスト教の教義をわかりやすく示す機能をもつ。第三の位階は人間と同じ高さにある低い壁面で、聖人図像が描かれる。聖人図像は、信者の祈りを直接に受けとめ神に伝達し、神と信者をつなぐ役割を果たす[4]。

図4 三段階理論模式図
オシオス・ルカス修道院聖堂カトリコンを元に作成。ドームの「パントクラトールのキリスト」とアプシスの「聖母子」、この二つの図像によって不可視の神が受肉したこと、つまり「両性論」が表現される。

コーラ修道院聖堂における「祈り」

 コンスタンティヌポリスの北端にある、コーラ修道院聖堂(図5)の設立は6世紀頃と考えられている。11世紀後半に建てられた内接十字式の聖堂が地震により崩壊した後、12世紀前半に建設された十字式の聖堂が今に残っている。その後、1316~21年頃に宰相テオドロス・メトキティス(1270-1332)によってナオスのドームの修復と、内ナルテクス、外ナルテクス、パレクレシオン(葬礼用の付属礼拝堂)などの増築が行われ、その際に現存するモザイク、フレスコが製作された(図6)。15世紀以降は壁画の上に漆喰が塗られてモスク「カーリエ・ジャミイ」として使用された。1948 年から1958 年にかけて壁画を隠していた漆喰の除去や発掘調査、保存作業が行われた後、「カーリエ博物館」として一般公開されていたが、2024年に再びモスクに戻ったとのことである。
 コーラ修道院聖堂パレクレシオンでは、献堂者の墓室のある葬礼用礼拝堂として聖母マリアの「予型」「最後の審判」「復活」が壁画の主題として選択され、ドームで「聖母マリアによる執り成し」が、ヴォールトで「審判」が、アプシスで「キリストによる救済」がそれぞれ表現されている(図7、8)。これは、先に述べたように本来は神の世界であるドームに座すべきキリストが、地上の世界にある墓室へと手の届く高さまで下りてきたとも解釈できる。14世紀の増改築、その際に製作されたモザイク、フレスコによって複雑化した建築空間において複数の壁画による意味連関が生じ、これにより建築だけでは表現することのできない神聖な宗教的空間が実現している。増改築によって生じた非整形で複雑な建築空間と、相互に繋がりを持つ壁画によって構成される意味空間が重なって、それらが互いに関係し合うことにより、3次元のビザンティンの宗教的空間をより豊かなものにしているのである[5]。ビザンティンの人々が神聖な宗教的空間において表現しようとしたものの意味、コーラ修道院聖堂でいえば聖母マリアを介してキリストに捧げられた「祈り」、それはビザンティン聖堂の「建築と壁画」に込められた最も重要なものの一つなのであろう。

図5 コーラ修道院聖堂(1316 年~ 21 年頃、コンスタンティヌポリス)鳥瞰(İ. Akşit : Chora : Byzantium’s Shining Piece of Art, Akşit Kültür ve Turizm Yayıncılık, 2010)
写真手前が南側に増築されたパレクレシオン。
図6 コーラ修道院聖堂平面図(R. Ousterhout : The architecture of the Kariye Camii in Istanbul, Dumbarton Oaks Research Library and Collection, 1987に加筆)
図7 コーラ修道院聖堂 「冥府降下」
キリストが死者の国にいる人々の魂を救い出すという奇跡が描かれている。キリストが中心に立ち、右手でアダム、左手でエヴァを引き上げる。
図8 コーラ修道院聖堂パレクレシオン合成写真

ビザンティンの建築的空間

 ビザンティンのキリスト教絵画はそれぞれが独立した絵画空間としてその画面の中でキリストや聖母マリアの物語を表現する。全ての絵画は様々な図像の組み合わせであり、個々の図像がビザンティンの伝統にもとづいた宗教的意味を持っている。それらの図像が合わさって一つの絵画を構成するが、その構成の仕方も、また多くの図像が組み合わさってできた一つの絵画が表現する意味も、ビザンティンの伝統にもとづいたものである。ビザンティン聖堂では、複数の壁画が関係し合うことにより、一つの壁画では示し得ない神学的意義を表現するとともに、さらに壁画が建築とも関係づけられることによって神聖な空間をつくりだしている。この建築と壁画によって構成された空間は、時代によって変化し、過去に意味付けられた空間の上に新たな建築と壁画との関係性が重なって、より複雑なものになる。聖人の加護を求めること、世俗の統治者を地上における神の代理人と見立てること、世俗の信者の救済を願うこと、これらの壁画における表現はいずれもビザンティン聖堂のもつ重要な特徴を示している。首都コンスタンティヌポリスに端を発するこれらの特徴をもつ神聖な宗教的空間は、地中海を超えて広がり西ヨーロッパにも影響を及ぼした。ビザンティン聖堂における「空間」は、建築だけでなくそこに描かれた壁画によっても構成されているという意味において「建築的空間」というべきであろう。ビザンティン聖堂が世界建築史の主流になることはなかったが、壁画の配置によって構成されたその建築的空間は、西ヨーロッパの聖堂建築にも継承されていると考える。

参考文献
[1] シリル・マンゴー, 飯田喜四郎訳:ビザンティン建築, 図説世界建築史第5巻, 本の友社, 1999, p5.
[2] 益田朋幸:ビザンティン聖堂装飾プログラム論, 中央公論美術出版, 2014, p55.
[3] O. Demus : Byzantine Mosaic Decoration: Aspects of Monumental Art in Byzantium, Boston Book & Art Shop, 1955, pp.16-29.
[4] 益田, 前掲書, p54.
[5] 猪股圭佑, 岡﨑甚幸:コーラ修道院聖堂におけるパレクレシオンの空間構成-墓室と絵画との関係に着目して-, 日本建築学会計画系論文集, 第82巻, 第738号, pp.2151-2161, 2017.8.


猪股 圭佑(いのまた・けいすけ)
京都大学大学院工学研究科建築学専攻准教授。専門は建築設計、建築論。聖堂建築と壁画を一体的に分析し、儀礼空間や墓所などが増築によって重なり合ってできた複雑な内部空間が、壁画による意味によって統合されていることを解明する。

関連記事一覧