
製鉄所とローカリティ -見えるもの、眺めるもの、感じるもの-|千葉佑希
i.「製鉄所」というローカリティ
山は、不変の「地域らしさ」を構えている。そして自然に崩落しても、私にとってそれは依然として山である。しかしもし山が開発され、幾多のロープウェイとトンネルが開通すれば、その山らしさは失われる。それはこの話が登山をする私にとっての「地域らしさ」だからだ。主語が変われば、開発されようが山は山としか感じないだろう。
この例のように、地域らしさ、すなわちローカリティはある主体が全体像のある側面を取り出して定義するものであり、誰にとって、どんな、を抜いた状態でローカリティを語ることは不毛だ。
しかしながらどんなかたちであれローカリティはそこに生きる者にとって自己アイデンティティを確立する上で重要な要素になりうるものである。特にECやソーシャルネットワークの普及が加速している今は、「自分の街はなんにもない代替可能な存在」と思いながら生きるより、何かしら自分で肯定できる個性があり、ここでしか手に入らない唯一無二性を主張できる方が幸せになれると思う。
川崎周辺の地域住民にとっての、製鉄所の精神的位置づけとしてのローカリティを考えてみたい。
中高が川崎のすぐそばだった私にとって、川崎は地元のようなものだ。友達の家はもちろん、チネチッタや駅前の歓楽街、発電所の巨大な煙突、湾岸線とつばさ橋。学校の窓から見える建築物と海が織りなす風景は私の原風景となっている。
そんな川崎の街だが、製鉄や化学メーカーが群立する京浜工業地帯を代表する街として有名だ。しかしながら、その一端を担う製鉄所についてはどうだろうか。製鉄所、と言われてその風景やスケール感、機構を想像できる人は少ないと思う。現在この敷地は製鉄所の休止に伴い新しい土地利用が検討されているのだが、製鉄所の真向かいの公園にいる人々でさえ、「あの向かいの建物が何かわかりますか」と聞いても、製鉄所かな、とは返ってくるもののそれ以上のことは知らないと言われた。その数週間前まで私も同じような立場だったことは補足しておきたいが、それでもこの街の大きな個性となるものなのに、なぜこれほど浅い理解に留まっているのか、という疑問が生じた。
高炉の休止がニュースで発表されて初めて製鉄所の存在が知られ、まるで新大陸を発見したかのような描かれ方でテーマパークや新たな港湾施設に使われていくのだとすれば、情緒的な観点でやはりもったいない気がしてならない。
実際に製鉄所をいくつか訪れてみると、その理由にも頷ける。まず、アクセスが非常に悪い。原料である石炭、石灰、鉄鉱石を仕入れるため大抵は臨海部にある。ディズニーランドやUSJに行く際のアクセスの悪さを考えてほしい。製鉄所はその2倍アクセスが悪い。そして実際に目の前に行くと、樹木やフェンス、擁壁に囲まれて中が見えない。外側からでは、それが製鉄所だとは全く想像もつかないのだ。
ところが、関係者へのヒアリングや工場見学を通じて、意外なことが分かった。
川崎の製鉄所のような銑鋼一貫型の製鉄所では原料を整理するところから製銑、製鋼、分塊・圧延と進むのだが、ひとつひとつの建物の規模が最大で高さ100メートルもある巨大な設備であり、単独では機能せず、前後の工程と連動することで意味を持つのだ。公害を乗り越え、70年代から地域産業の先頭を走り、まるでコンピュータの電子回路の中のような精密さと複雑さを持った、ディズニーランドとシーを合わせた面積よりも巨大な生産系が大規模な敷地内で常に連動している「超巨大鉄製造機」が動く姿、そしてそれらが今日私たちが使うすべての鉄製品のサプライチェーンの中核を担っているというスケールの大きさを想像すると、思わず心が湧き立つ。
なにより、従業員が「鉄鋼マン」として誇りを持って働いている。何千度もある鉄を扱い、常に危険に晒される現場はもちろんのこと、多くの関係者が安全な運行を心がけているおかげで今日の鉄製品を我々が利用できていることに対し、敬意を表さずにはいられない。
もちろん、近年では「工場夜景」として製鉄所は注目されている。お金を払って船に乗れば、製鉄所の意外にも繊細なスカイラインを見ることができるのだ。しかしそれは風景や造形美に終始しがちであり、やはり本質的な理解とは距離がある。
製鉄の歴史を調べると、元来はもっとオープンだったことがわかる。企業秘密の保持や安全の観点から外周を守らなくてはならず、「臭いものに蓋をする」発想で、60年代の公害問題以降、壁は高く、濃密な樹木でカモフラージュ、色は爽やかに、という、本来の生々しい姿を隠すためのコードが各社で継承されていく。
ii. 概念から視覚へ、視覚から体験へ
ここで、製鉄所が、その外観だけでなく背景のシステムも包含するものとして地域住民のローカリティとなるにはどうしたらいいのか、ということに主軸を置き、住民が製鉄所の存在を理解する過程を五つに分けて整理してみる。
①机上・・・これは地図、教本、ニュース、講義などによって製鉄所の地理的位置や存在の認識、役割の遠隔的な理解を指す。
②喪失・・・これは製鉄所が無くなり、次の開発が行われることで逆説的に製鉄所の存在を知ることを指す。
③遠方からの視認・・・これは航空機、船、展望台等による製鉄所の視認を指す。
④間接体験・・・これは「会社からの帰り道、いつもあの巨大な煙突を見てたよ」「近所の銭湯には、いつも工場の人がたくさん来てたよ」などのような、製鉄所があることによる間接的な体験を指す。
⑤直接体験・・・これは製鉄所を見学したり、間近で見たりすることで得られる、地図だけでは捉えられない立体的な形態の理解、振動、音、熱、匂いなど五感を伴う体験を指す。
これらをもとに再考してみると、どうも私の地元の製鉄所は①,②,③すなわち机上、喪失に伴う認知、遠方からの視認にとどまっているのだ。④,⑤のような体験が欠落すると製鉄所が動いているシステムや、私たちの生活とのつながりが見えてこないし、散歩道に溶け込むような日常の風景にはなれない。逆に、①と⑤の組み合わせとして、工場側が視覚的なデザインに工夫を施すことで、巨大なシステムの片鱗を垣間見たり、どこに危険があり、どこが汚染を取り除くための装置なのか、といった露出に関するデザインをすることもできるだろう。そうなれば、たとえ断片的であっても余計な不安や誤解を取り除くものとして寄与する可能性は高い。やはり①から⑤までの全角度からの理解があって初めて、確信を持って得られる「わがまち」感、そして長期的な視点での産業と地域の暮らしの共生が生まれるのではなかろうか。むろん、そういう文化や感覚は時間をかけて地域スケールで醸成されていくものであり、それができていない状態で後付け的に歴史資料館で補おうとしても手遅れなのだ。
リンチの「都市のイメージ」を思い出してほしい。日本の港湾部の製鉄所に対しては、「おそらくこれくらいの面積で製鉄をやっているのだろう」というディストリクト、陸側から見た際に港湾の最端部として表れる壁としてのエッジ、夜景観光のようなシチュエーションに表れるランドマーク、といった具合に、現状においても製鉄所を視覚的にイメージすることは可能である。
ところが港湾空間の構造的に、よほど近くに住んでいない限り、普通に歩いて製鉄所の目の前を通る機会は少ない。そして製鉄所を概念としてイメージしたり、個人的な象徴的意味づけを与えたりすることは可能でも、最終的にどのような構造で製鉄所が稼働しているのかという理解までほとんどの人が辿りつかない。言い換えると、製鉄所は本質的なイメージアビリティに欠ける存在なのだ。先の分類は、そうしたイメージアビリティにまつわる状況を整理する際に役に立つ。
iii. 結
ローカリティには、単に個人のアイデンティティ形成のみならず、同じ地域の人間や営みに対する愛着やひそかな連帯感が、確かな地理的感覚を伴って育めるという価値がある。だからこそ、これだけ大規模に展開してきた製鉄所には、関係者だけが惜しむ存在以上の価値があると思う。
同調圧力と言われればそれまでなのだが、そうしたものに、郷愁なり怒りなり、何かしらの感情を抱き、去りゆくものに敬意を払うことこそが人間らしく、その街に根を張って生きるということなのではないか、と思う。今回は住民が製鉄所の存在を理解する過程を分類することで、私の住む地域において製鉄所がローカリティを獲得するのに既に満たしているものとこれからの課題について考察したが、今後は製鉄所に限らないこうした考え方の応用や、地域の人が気軽に「聞いたことある」以上の関わりを持つことができ、間接体験と直接体験をが部分的にでも誘発するようなデザインの実践について考える必要性は、依然として残っている。