【牧研究室】traverse24 Project

糸魚川市駅北大火からの復興をもとに考える、これからの「にぎわい」

矢ノ根 知佳

「にぎわい」とは何か

「まちのにぎわい」「にぎわいの創出」といった言葉は、今やしばしば耳にする文言である。これは災害復興の文脈においても同様で、復興計画の基本目標として掲げている自治体も多く存在する1)。

しかしながら、「にぎわい」とはいったい何なのだろうか。どのような状態になれば、まちは「にぎわっている」と言えるのだろうか。そもそも、少子高齢化・人口減少の現代においてまちの「にぎわい」は目指すべき姿なのだろうか。糸魚川市駅北大火からの復興では、こういった根本的な問いが大きな課題となった。

1)たとえば、南三陸町(東日本大震災)、宇土市(熊本地震)など

インタビューで見えてきた「にぎわい」の 難しさ

糸魚川市駅北大火は、2016年12月に新潟県糸魚川市で発生した大規模火災だ。中心市街地の約4haが延焼し、被災世帯数は120世帯にのぼる。被災エリア一帯は旧加賀街道沿いを中心とする昔ながらの商業エリアであるが、近年は高い高齢化率や空き店舗が問題となっており、大火を機により一層中心市街地が衰退することが懸念された。2017年8月には「糸魚川市駅北大火復興計画」が策定され、3つの方針である①災害に強いまち、②にぎわいのあるまち、③住み続けられるまちをもとに復興事業が実施されている。

牧研究室では2022年6月~7月にかけて、災害対応にあたった市役所職員の経験を記録することを目的として糸魚川市役所職員21名へのインタビューを実施した。災害対策本部、避難所運営、がれき処理、復興計画策定など災害対応に関する様々な経験談をお聞きしてきたが、特に印象に残ったのは方針の一つである「にぎわいのあるまちづくり」に苦労したという次のようなエピソードである。

「厄介なのがこのにぎわい。簡単に使うじゃないですか、にぎわい、にぎわう。誰がとか、そういうことを考えずに、にぎわう。ギリギリやられるともうアウトですよ」「ゴールのない議論ですよね。何がにぎわいかがわからないので。…(中略)…全ての皆さんが思うにぎわいが分からないので、はい。なので地域にご説明に行っても、なんだそりゃ?っていうのは何度も」

…などなど、糸魚川市の職員は復興事業を実施していく中で「にぎわい」という言葉の難しさに直面したと述べた。 

解釈の多様性

では、一体この言葉の難しさとは何だったのか。順を追って考えていきたい。

まず大火の直後に作成された復興計画の素案となる資料において、復興の3つの方針のうちの一つとして「中心市街地として賑わうまち」が掲げられている。これが「にぎわい」という言葉の初出であり、当初は商業の再建や新規店舗出店の促進といった「商業の復興」を意味する言葉であった。その後の復興計画策定過程においても、商工会議所の重役が検討メンバーであったことや、そもそも被災エリアは商業中心地であったことから自然と「にぎわい」の施策は商業系メインで進んでいった。しかし、この段階で改めて「にぎわい」とは何なのか?という議論は行われておらず、「にぎわい」=「商業」という図式が市全体で共有・決定されていたわけでもなかったという。

その後、晴れて復興計画が策定され、基本方針「にぎわいのあるまち」に沿って事業が実施されていく。事業のメインとなったのが「にぎわい創出広場」と称された施設(現在の駅北広場キターレ)の整備である。(図1)

施設の整備計画をするにあたり、糸魚川市はこの言葉に向き合い始めた。「にぎわい創出広場」とは言うけれど、一体どんな施設をつくればよいのか。市は住民や関係団体を巻き込んだ複数のWSを実施し、そのイメージを収斂させようとした。

しかし、そこで浮かび上がってきたのは「皆が思う『にぎわい』などない」という事実である。「多様な人がゆっくり集まれる場所がある」「若者がチャレンジできる」「子供が自由に遊べる」などなど、復興計画策定段階では商業復興のイメージに留まっていた「にぎわい」という言葉は、WSをすればするほど多様な側面を見せていった。一方で、商業地域として活気があったかつての姿を記憶している高齢世代では「沢山の人が店を訪れている」「人口が増えている」といった人の数の多さをベースとしたイメージが挙げられ、上記のような定性的な楽しさを挙げる若者世代との間にギャップが生じていたという。

以上のように、糸魚川市の事例における「にぎわい」という言葉の難しさとは、その解釈の多様さであった(図2)。特に高齢世代と若者世代でイメージする「にぎわい」には大きな乖離があり、復興事業である「にぎわい創出広場」の整備に当たっても、合意形成が難しいという課題が生じた。さらに「人口が多い」「多くの人がまちを訪れている」といった人の多さをベースにした「にぎわい」の考え方は、少子高齢化・人口減少が進む糸魚川では実現することが難しく、市の現状と目指す「にぎわい」の姿に大きなギャップがあったといえる。

糸魚川市の事例からの学び

この事例からの学びとして、二点挙げたい。

一つは、「にぎわい」という言葉そのものへの向き合い方である。冒頭でも述べたように近年多用されがちなこの言葉であるが、その解釈は非常に多岐にわたる。「にぎわいのあるまち」とは具体的にどんな状態を指すのか?「にぎわい創出」とはいったい何をするのか?具体的に検討したうえで文言を使わなければ、事業実施段階になって非常に苦労されると考えられる。

もう一つは、これからの社会が目指す「にぎわい」の姿である。少子高齢化・人口減少が進んだ地方都市にとって、従来のような「人の多さ」を前提とした「にぎわい」、もしくは「人の多さ」に基づく活発な商業を前提とした「にぎわい」の考え方は実現が難しくなってくるだろう。こういった状況に対して、糸魚川市の場合は、商業・買い物ではない形の「にぎわい」として「若者のチャレンジ」や「子供や親の交流」といったキーワードを導き出していった。

このように、人口増の時代の「にぎわい」のイメージから脱却し、各々の地域にとって独自の「にぎわい」を導き出すことがこれからの地方都市にとっては必要なのではないだろうか。

図1 駅北広場「キターレ」の様子  撮影:矢ノ根 知佳
復興計画における「にぎわい創出広場」として整備された。スタートアップの場としてのシェアキッチンや大火の記録展示を備える全天候型広場。「にぎわい」とは何か?の答えの一つとして、「やりたいことが叶う施設・だれでもチャレンジできる施設」をコンセプトに運営が行われている。
図2 大火からの復興過程における「にぎわい」のイメージ  作成:矢ノ根 知佳
ラフスケッチでは商業復興のみを意味していた「にぎわい」という言葉は、地域住民らとのWSを重ねるにつれて、複数の意味を帯びていったことがわかる

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