【学び、創造する製図室】OB・OGインタビュー

OBOG インタビュー①  まざりあう寛容な場 ―竹山 聖―

インタビュイー:竹山 聖 氏(京都大学工学部建築学科1977 年卒業)

聞き手:池内優奈、上田瑛藍、寺西志帆理

2023.08.21 株式会社設計組織アモルフ京都オフィスにて

――建築学科全体のカリキュラムや製図室のシステムについて教えてください。

建築学科の定員が、君たちは80人ぐらいのはずですが、僕らの時は90人だったんですよ。三回生まで必修、四回生が選択になるから、そこで製図室の雰囲気が変わります。二回生はもうみんなただひたすら、まだ設計といっても未熟なものを、それぞれデスクを持って製図室でやる訳ですけど、三回生になると勝手が分かってきて、少し自由なレイアウトとか使い方になるんです。ただね、今必修だとか90人だとか言いましたけど、当時は学生運動のこともあり、ほとんどみんな学校に来なかった。だから90人全員がいる訳ではなく、本当に大学で設計をやろうっていう人たちが製図室にいた。でも製図室には来て授業には来ないっていう人もいっぱいいたので、製図室はクラブの部室みたいでしたね。

僕らが入学した73年には、絵画実習・彫塑実習というのがありました。建築が割と芸術に近いというような感覚をまだ残していた時代でしたから、ある種のアトリエ的な雰囲気が残っていました。その彫塑実習では、本館の地下にアトリエがあって、粘土とかが床の下に保存されていて、湿気があるからそこから粘土をかき出して彫塑をやったり、デッサンしたりということが行われていたんです。だから、今はもっともっとサイエンスオリエンティッドですけど、当時はまだちょっとアートオリエンティッドなところも残っていました。

――四回生製図室についてもう少し詳しく教えてください。

四回生に上がるときの研究室配属の定員は無かったから、どこでも希望したところに入れたんですよね。定員はないって言いましたけど、設計系の研究室はやはり人気で、人員オーバーですから。研究室はもう大学院生でいっぱいいっぱいなんですよ。だからみんな製図室に入り浸っていました。

当時新館と言われていたところがあって、ここが全部建築学教室でした。1階が図書室で、2、3、4階がそれぞれ、二回生製図室、三回生製図室、四回生製図室っていう大きな空間でした。僕らのときに四回生で設計をとっていたのは40人くらいだったんじゃないかな。二回生はきっちりと机を並べるでしょ。三回生になると、割と自由に並べる。四回生になると、何が起こるかっていうと、パーティションというのをつくり始める。機能ボードでパーティションをつくって、それぞれ仲良いグループが押さえていく。

当時の製図室はとっても自由で、何をやっても規制が無いというようなところでしたね。だから、留年生が押さえているところは、何をやってるか分からないし、あんまり入りにくいところではありました。その点、同級生のところはいつでも入れるけど、中にはもう酒を飲んで麻雀して、サボってるばっかりのところもあれば、ひたすら真面目に図面を引いて非常に優秀な設計をしているというところもあるというような感じ。だから、そういういくつかの部室がなんとなくルーズに並んでるような状態が、四回生製図室です。四回生になると設計をやる人間だけが設計演習をやるんですけれども、設計演習をやらない人間も製図室を使う権利を持っていて、そこに鞄を置いたりして自由に拠点にしていましたね。

――四回生製図室についてもう少し詳しく教えてください。

製図室は24 時間やっていますし、特に吉田キャンパスは周りの店もずっと開いていて、明け方の4 時ぐらいまで屋台のうどん屋があったり、桂キャンパスと違ってすごくまちと一体化してるわけですね。いつでも歩いて下宿に帰れるので、ここに忙しい時には泊ってもいいかっていう感じなんですね。その気になればすぐに帰れる。夜中でも歩いて帰れる場所にいるから安心して泊まれる。そういう風な環境、都市との関係っていうのを踏まえて当時の雰囲気を想像してもらえば良いです。

――誰が製図室を取りまとめていましたか。

一応、製図室委員というのを何人か選んでいました。要望とか色々ありますけど、基本的には自治。全く自由だったので、よっぽどなんかぶっ壊したり、いろいろなことをしない限りは、先生たちは何も言わなかった。毎年レイアウトとか、いろいろなものが変わってたと思いますよ。名簿かなにかで6人ぐらい適当に選んで、その中には熱心にやってくれる人もいれば、そうでもない人もいる。製図室委員であったかどうかは別にして、製図室にコンスタントにいて、いつも真面目に図面を引いている人たちが一番製図室にいるので、彼らがなんとなく全体に対しては秩序を守る方向に働いていたと思う。

――竹山先生は東京大学の大学院に進学されていましたが、京 都大学との違いはありましたか。

東大に行った時は、東大の製図室はすごく不便だなと思いましたね。夜10時半を過ぎるまでいるときは居残り届けを出さなきゃいけないんですよ。それで、12時過ぎたら強制的に追い出される。でもね、それは都市構造上、仕方ないんです。京大の場合は、特に吉田では下宿にみんな歩いて15分以内ぐらいで住んでるわけです。そしたら、夜中まで開いてたら使うでしょ。東京の場合はみんな遠くに住んでるから終電があって、12時過ぎていたらもう朝まで泊まり込むしかない。それは覚悟がいるでしょ。東京の大学の場合は、制約をかけられても無理ないね。

僕らの時、京大生は9割が下宿生、東大生の場合は5割は自宅生。都市圏が大きいから埼玉とか千葉とか神奈川はみんな自宅から通う。東京には良い高校がいっぱい近郊にあるので、下宿しなくても通える。大学から15分以内に住んでる下宿生がほとんどの学校の雰囲気と、自宅から通ってる人たちが半分ぐらいいる学校の雰囲気は変わりますよ。そうすると製図室も変わる。

――最後に、竹山先生が考える創造の場について教えてください。

僕は、建築教育の一番根っこには、やっぱり自由であることとひらかれてることっていうのがあると思うんですね。他の領域からの刺激とか。他者とのコミュニケーションって気取った言葉だとそう言うんですけど。一つのことに集中して成果が出るような工学部の領域もある訳ですよね。ひたすら毎日顕微鏡を覗くとか、コンピューターを叩くとか。でも建築の場合はそこに人間が暮らすわけですから、理系も文系もそれからアートも技術も、複雑怪奇なものを扱うんですね。思いがけないクリエイティビティっていうのは、いろいろなことを扱っている時に出るエラーから生まれると僕は思ってるんです。製図室はそういうことが起きる場所であってほしいなと思いますよね。他の学科ではやっぱりきっちりとしたカリキュラムがあって、目的を達成をするための手段や行程が一本道に決まっていることが多い。ひたすらビーカーで培養して決まった場所にセットして、一定時間待つというように。もうほんとにそこに集中して初めて突破口が開けるっていう分野もありますよね。でも建築は、集中はまあするんだけど、集中する時もあればしない時もあるし。横の人と話をしたり、いろいろなことに寄り道をしたりすることが重要な感じがします。例えば本屋に行くとね、目の前に本がいっぱい並んでるから、本来買いに来た本以外にも目が行くじゃないですか。Amazonで買ったらちゃんとすぐ届くけど、新しい出会いはない。そういう出会いの面白さみたいなことが建築分野の本質にはあると思うし、そういうことを経験した方が、将来建築のどのジャンルに行くにしても良いと思うんだよね。最終的には物と人間とを同時に扱うからね。政治や時代背景によっていろいろな影響を帯びるけれども、製図室は常に自由でひらかれた場であると良いだろうなって思ってます。実際に製図室を使っていてもそれは感じると思うんですね。建築は勉強だからパーティションがある方がいいという意見もあるけど、隣に人がいるのに、刑務所みたいな完全に檻に入ってるような場所だったら嫌でしょ。だからといってむやみに干渉されながらやるのも嫌だし、一つの場所で一つの同じテーマばっかりやってる人たちがいるのも嫌だよね。だから、閉じることと開くことが同時に起きているような場が欲しいんですよね。人間は強い心を持ってる時と弱い心を持ってる時があるし、いろんなことがあるから、一人ひとりの中に持ってる複合性というのが、良い意味で緩やかに許容されるようなスペースがあるというのが、製図室のあるべき姿なんじゃないかなと思うね。

均質空間批判っていうのがあってね。原広司先生の論なのですが。ミースファンデルローエが完全に均質な空間を自由に間仕切りして使えばいいんだっていう提案をしたんだけど、結局それは誰が間仕切るんだというときに、管理者が間仕切ることになるんですよ。オフィスなら、部長がここに行って、課長がここに行ってみたいな。ミースファンデルローエが提案したような自由なスペース、均質空間ってのは、実は管理のための空間になってしまうんじゃないか。それを脱却するには、やっぱりちょっとした「とりで」が一つひとつ必要だと思います。ただその壁はいつでも取り外せて、ずらせたり開いたりする窓やドアがあるような壁であるべきだろうと。そういうのが僕らの時代からずっと続いて言われてきたことです。だから、建築も2000年ぐらい、特に東日本の震災ぐらいから、ひらくとか繋がるとかがよく言われ始めた。でも、本当にひらいて繋がって、なんでもフリーにネットワーク化されるのもなかなか大変なことですよね。ひらく繋がるってシュプレヒコールみたいに言ってる人たちに対しては、やっぱりある程度遮断して閉じることの重要性が必要だと思っています。

以前もtraverseでそんなことを書いたと思いますが、その時は境界とか壁っていうテーマを与えられたので、こちらは壁の大切さとか境界の重要性みたいなことを言いたくなりました。でも今回のテーマは割とストレートに学びの場というか、クリエイティブな場だから、これはどう考えてもポジティブな場だと思うし、そのポジティブでクリエイティブな「気持ち」を、あるいは「状態」をどうやってつくっていくか。「気持ち」っていうのは、実は自分が個人として保ち続けるのは非常に難しいものなんですね。人間っていうのは、気持ちを強く持つって言っても、虫歯1本痛くなったらそれどころじゃないんです。人間ってのは、いろんな状況に左右されながら、自分の気持ちをうまく養っている。その場所が気持ちが良かったり、その景色が綺麗だったり、そういう「状態」であることによって、心というのは適度なアクティビティを持つんだよね。それが建築の可能性でもある。建築で完全に「気持ち」をコントロールすることはできないけれども、建築である程度は誘導することができると思う。製図室は、そういうことを学ぶための場でもあると思うね。

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