渡鳥ジョニー×市橋正太郎×柳沢究|定住するノマド、揺れる境界
移動生活から見えてきた日本の住居の課題
ーー移動生活を通じて住居を決める際にどのようなことを考えるようになりましたか。
市橋 僕は「住居」を決めているという感覚はあんまりないんですよ。「住居」じゃなくて、「環境」を選択している感覚の方が強いです。今、自分はどういう環境で過ごせば生き生きするのか、自分にはどういう環境が必要かという観点で決めています。
今僕が浄土寺にいるのも、夫婦で食や健康に関する取り組みをしようと思ったときにすごく面白いエリアだと感じたからなんです。面白い飲食店も多いですし、ちょっと足をのばせば大原でいい食材を調達できますし、大文字山に登ったら野草やキノコが採れます。それに個人で表現活動を行っている人も多いです。そういう人とか町とか自然とか、環境から得るものがすごく多そうだなと思って、長く住みたいと思うようになりました。周囲の環境から何を感じ、何を得られるかが重要なんです。
ーージョニーさんはどうですか。
渡鳥 住居を決めるにあたって、日本の住居には柔軟性がないと感じています。日本の住居では、賃貸か持ち家の二択ですし、しかも賃貸だった場合には原状回復が求められるわけです。海外であれば、リノベーションして住まいに付加価値をつけることが文化として根付いていますが、日本は経年価値のある古民家すら壊してしまいますよね。勝手にリノベして価値ある空間に仕立てていくというのは、空き家時代には求められていくのではないでしょうか。
また、現在の一軒家の仕様だと、家族の人数の変化や、柳沢先生のような急な引っ越しなどライフスタイルやライフステージの変化に柔軟に対応できないですし、シェアハウス暮らしの人だとか、あるいは結婚しない人だとか、人間や家族の関係性は複雑化してますよね。今まで住居では一人で暮らす、あるいは結婚して家族で暮らすという考え方しかなかったと思うんです。でも人間関係の多様化によって住居も多様化してよいはずですよね。暮らし方や働き方が新しくなり多様化しているのに住居としての建築がついていってないとも感じるので、その点でも柔軟な建築が現れて欲しいと思っています。逆に、建築をつくる側から多様化に対応する提案をして、生活スタイルを作っていくことも十分できると思うんですよ。
柳沢 僕たちが頑張らなきゃいけないですね。
市橋 これまでに実現されてうまくいった、土地に根付くかたちの柔軟性の高い建築はないのでしょうか。
柳沢 柔軟性のある建築は20世紀の初めぐらいからたくさん研究されてきたんですが、結論としてきちんと成功したものはあまりないという感じています。最近解体された中銀カプセルタワー⁹ のように、大きなスケールではやはり難しいですね。小さなスケールで言うと、DIYやちょっとした改修でおおきな変更ができるという意味では、日本の木造住宅はすごく柔軟性が高いです。そのような木造住宅は日本にたくさんあるので、もう少し好き勝手にカスタマイズするのが当たり前な感覚になると、家の扱い方に対する発想の自由度が、つくる側・住む側のそれぞれで上がっていくんじゃないかなと思いますね。
渡鳥 海外についてはどうなんですか。
柳沢 私はインドや東南アジアの都市の旧市街地に行くことが多いんですけど、改修されていない家がほとんどありません。元の状態があまり良くないというのもあるんでしょうけど、一生のお金をはたいて買うというよりも、そのときに払えるお金で家を手に入れて、お金に余裕が出てきたら継ぎ足していくという家のつくり方をよく見ます。現在日本では家をもつということに対して、有り金をはたいて清水から飛び降りる覚悟でというイメージがありますが、本当はもっと気軽にできるべきだと思います。
9)黒川紀章が設計し、世界で初めて実用化されたカプセル型の集合住宅でメタボリズムの代表的作品である。一度もカプセルが交換されることなく2022年に解体された。
移動と教育
ーー次に移動と教育についてお伺いしたいと思います。市橋さんは『Hopping Magazine』で教育について話されていて、柳沢先生も准教授という立場で教育に関わっておられます。移動しながら教育することに対しての考えや、定住と非定住における教育の違いについてお伺いしたいです。
市橋 『Hopping Magazine』のテーマが実は”Move to learn”というもので、移動と教育について様々なインタビューをしました。2歳、4歳ぐらいの就学前の子どもを連れながら移動生活をしている家族と話した時は、「子どもは自分が育てるものではなく勝手に育っていくもの。自分たちは環境だけ用意してあげればいい」と言っていました。海外の公園などで言葉が通じなくても、子供は言葉の壁を超えて海外の子供たちと仲良くなれるそうです。一方で、SANUというライフスタイルブランドを創業した本間貴裕さんに話を伺った時は、これから子供達が世界で何かをやっていくにはコミュニケーションスキルが最も重要になるとおっしゃっていました。異なる文化の人々と対等にコミュニケーションをとるスキルそのものが一番の武器になる。そのためには、文化固有の対話方式を学ぶ一方で、普遍的な対話方式、つまり、ディスカッションの進め方やコミュニケーションの方法論などをまず教えるべきで、そのさきに何を深めていくかは子供達次第でいいんじゃないかということでした。
僕自身、子供と一緒に移動生活をしていくことを考えると、何をどういう形で教えるのが良いのか、既存の義務教育の枠組みを超えて考えなければならないと思っています。日本の教育に限界も感じていますし、これからは世界で活躍できる素地が必須とも思います。その中で、移動が寄与できる部分は多いと思いますし、「かわいい子には旅をさせろ」ではないですが、旅先から学ぶことは多くあります。実際、教育者としては、移動と教育の関係性にはどういった可能性を見出されますか。
柳沢 移動するということは、今いる環境とは違う環境に身を置くので、生活全般において経験の総量を増やすことになります。移動を伴った学習はとてもよい、というのが私の基本的な考えです。文化の違いから、それまで培ったコミュニケーションスキルが通用しないということもあるでしょう。でもこれに関しては、考える時のベースとなる言語をある程度安定した環境で学び、基礎を固めることができていれば、それが良い方向にはたらくのではないかと思います。移動と定住のどちらかを選ぶのではなく、定住してある程度安定した環境で学ぶ時間がありつつ、ある時は移動して異なる環境で学び、そしてある時は戻ってというのを繰り返すのが教育にとってもいいんだろうなと思います。
移動と教育の本質的な関係は、移動で環境が変わるとアンラーニング¹⁰がおこるということだと考えています。例えば今まで覚えてた自分のコミュニケーションスキルなどが通用しない環境に行くと、もう一回それを学び直さないといけない。その学び直しが大事なところだと。それが頻繁すぎてもよくないですが。
ーー今日における一般的な教育は移動を伴うという考え方が薄く、子どもが成年になるまでその土地から出ないこともしばしばだと思います。移動が定着していない今の社会において移動生活的要素を取り込むにはどういった変化が必要なのでしょうか。
柳沢 転校が単純に面倒くさいので、もう少し簡単に手続きができるようになればいいと思います。アドレスホッピングじゃないですが、転入とか編入がしやすい仕組みがあると自由度は上がるし、移動を伴う教育っていうのは考えやすくなるんじゃないでしょうか。
渡鳥 制度もそうですけど、移動を前提として色々学校を渡り歩いている人がマイノリティとして馴染めなくていじめられてしまうようなことが起きてると思うんです。でも、移動する人がマジョリティになったときにまた全然違う世界があるのかなと思っています。
僕もそもそもバンライフを始めた理由のひとつに教育があって、離婚した後に息子との面会で自分が彼にしてあげられることを考えたときに、月に一度一緒に旅をしていろいろな経験をさせたいと思ったんです。でもそのときに気付いたのは、彼にとっては、移動生活が非日常であるのに対して僕の中では日常だったんです。移動が日常になったときの世界と非日常のときの世界では、ものの受け取り方が違うのではと感じると同時に、どちらが良いのか現時点では判断できないと思いました。というのも、大人の環境に子どもを放り込むことが多いとストレスになる一方で、逆に子どもだらけの環境に子どもが行くことは割と自然にいけるんですよ。彼らは全然知らない子たちでもすぐ打ちとけて友達になることができるんです。子どもが多い環境だったら移動が日常になってもいろいろな教育体験はできるのではと思います。
10)「学びほぐし」を意味し、これまでの学習を通じて培ってきた価値観や習慣を認識した上で、必要なものを取捨選択し、新しいものを取り入れながら学びを修正すること。