【高野・大谷研究室】「包む音/取り巻く音」
都市における乗り物からの騒音予測
博士後期課程 牧野 裕介
はじめに
人間の生活環境には数々の騒音があふれている。近年では、騒音が人体へ暴露され続けることで、心臓血管系疾患・子どもの認知障害・睡眠障害・耳鳴りなど、人体に悪影響を及ぼすことが明らかになりつつある¹。そのため、世界各国にて環境騒音が健康リスク要因として捉えられ始めている。
そのため、都市全体における騒音被害の実態把握を目的として、音源(騒音発生源)のデータベースと音の伝搬計算に基づいた騒音予測手法の研究が世界各地で進められている。(写真1)都市全体の騒音を実測のみによって把握しようとすると膨大な労働力や時間を必要とするからである。例えば欧州では環境騒音予測手法としてCNOSSOS-EU²が開発されて使用されている。日本でも道路交通騒音³や新幹線⁴、在来鉄道⁵⁻⁶等の騒音予測手法がそれぞれ提案されている。しかしいずれの手法も、音源の移動速度は音の伝搬速度と比較して無視できるほど遅いことを前提としている。つまり、自動車や鉄道など、移動する乗り物からの騒音についても、音源となる車両が静止した状態で騒音が放射される状態について音の伝搬を計算した結果を、移動する音源からの騒音の計算結果としてそのまま利用する形式になっている。(図1)
音源が移動すると何が起こるか
まず、音源が静止した場合と移動する場合とで人間に届く音波の周波数が異なる。例えば救急車が近付くときにはサイレンの音が高く聞こえ、遠ざかる時には低く聞こえる。音源が音を放射しながら移動すると、音源の進行方向に進む音は波長が短くなり、反対に進行方向と逆に進む音は波長が長くなる。音の波長の長さと周波数は反比例するので、音源の進行方向へ放射される音波は周波数が高くなり、逆方向への音波は周波数が低くなる。これをドップラー効果という。(図2)
次に、音源の指向性(どの方向にどれぐらい音のエネルギーが強く放射されるか)が変化する。進行方向には音源から音波の遠ざかる速度が遅くなる分、音のエネルギーの密度が高くなることで指向性が強くなる。逆方向には音源から音波の遠ざかる速度が速くなる分、エネルギー密度が低くなることで指向性が弱くなる。実際に、走行する鉄道の鉄道の転動音(レールと車輪の接触により発生する音)と空力音(風切り音)について、音源が高速で移動することで水平方向の指向性に顕著な影響をもつことが報告されている⁷。
最後に、音源が放射されてから予測点に到達するまでに音源の位置が変化する。空気中を音が伝搬する速度は有限なので、音が放射されてから空気中を伝搬し、予測点に届くまでに時間差が発生する。つまり、移動する音源から予測点に届く音波は、音波が届いた瞬間に音源の存在する位置から放射されたものではないことになる。(図3)
これらの3つの事柄が音源の移動によって発生することで、音源からの放射音の周波数や振幅に変調が発生する。特に新幹線などの高速鉄道の場合、人間の居住地域付近を音速の約0.1~0.3倍で通過することになるため、音速と比較して音源の移動速度は十分無視できるものではないと考えられる。しかし、これまで説明したような事柄を考慮に入れて音源の移動が放射音特性に与える影響を検討した例は少ない。実際に、現在欧州で広く用いられているCNOSSOS-EUでも音源の移動の影響が言及されていないことが指摘されている⁸。
騒音レベル評価値への影響
牧野らは、音源の移動による放射音の変調を考慮する場合と考慮しない場合の放射音特性について数値計算により検討した⁹。鉄道車両を点音源列としてモデル化し、鉄道車両が直線軌道上を等速度運動する場合の予測点における騒音レベルを計算した結果、放射音の変調を考慮に入れることで、鉄道騒音の評価に用いられる騒音レベル評価値が上昇することを示した。また、移動速度の増加に伴って変調の考慮の有無による騒音レベルの差は増加し、移動速度が時速300 kmを超える場合は1 dB以上の差が生じることが示された(図4)。鉄道事業者や鉄道車両メーカーは車両の低騒音化を目指した研究開発に長年にわたって莫大な資金を投入しており、騒音予測結果が低騒音化の研究開発成果に直結するため、これらの立場からも決して無視できない差異であると考えられる。
よりよい騒音予測へ向けて
音の伝搬計算による騒音予測を精度よく実現することで、都市や地域のあらゆる時代の騒音暴露量を少ないコストで精度よく推定できる。これを地域住民の疫学調査と組み合わせて、騒音の暴露量と地域住民への健康への影響をより高い水準で明らかにし、騒音の環境基準や運用方法をより質の高い根拠に基づいて改定できる。また、車両やインフラの計画段階において、車両各部の必要騒音低減量や防音壁等の必要性能を推定し、騒音抑制対策を事前に検討することにも役立てられる。
一方、精度良く騒音予測を行うためには、各種音源から放射される音響エネルギーや指向性を適切に推定してモデル化を行う必要がある。しかし日本国内では、鉄道騒音の場合、騒音予測手法⁴⁻⁶が提案されてから20年以上が経過し、現行の営業車両に対応していない。特に音源モデルの基礎となる車両走行時の騒音に関するデータが鉄道事業者から公表されていないことから、従来の手法における音源モデルの妥当性が検証されていない。
これから、高速で移動する騒音源について、音源の移動による騒音伝搬特性の変化を考慮に入れつつ、騒音測定データから音響エネルギーや指向性、周波数特性などの音源特性を推定することを目指す。またこの結果を音源モデルとして利用し、音源の移動の影響も考慮に入れた音の伝搬計算による騒音予測手法を構築することも目指す。これによって、新幹線など高速で移動する乗り物からの騒音予測の信頼性を向上させることを目指していく。
【参考文献】
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World Health Organization Regional Office for Europe, Burden of disease from environmental noise: Quantification of healthy life years lost in Europe. (World Health Organization Regional Office for Europe, Copenhagen, 2011)
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S. Kephalopoulos et al., Common noise assessment methods in Europe (CNOSSOS-EU). Publications Office of the Europian Union, 2012.
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日本音響学会道路交通騒音調査研究委員会,道路交通騒音の予測モデル “ASJ RTN-Model 2018” ~日本音響学会道路交通騒音調査研究委員会報告~,日本音響学会誌,75(4), 188-250, 2018.
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長倉 清,善田康雄,新幹線沿線騒音予測手法,鉄道総研報告,14(9), 5-10, 2000.
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石井聖光,子安 勝,長 裕二,木庭啓紀,在来線高架鉄道からの騒音予測手法案について,騒音制御,4(2), 4-10, 1980.
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森藤良夫,立川裕隆,緒方正剛,在来鉄道騒音の予測評価手法について,騒音制御, 20(3), 32-37, 1996.
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Xuetao Zhang, The directivity of railway noise at different speeds, Journal of Sound and Vibration, 329, pp.5273-5288, 2010.
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Xuetao Zhang, Three typical noise assessment methods in EU, SP Report 2014:33, June 15, 2014.
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牧野裕介,高野靖,音源の移動による周波数・振幅変調が放射音特性に及ぼす影響,日本機械学会論文集,87(899), 2021.
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NOISE MAP – END lab – URL : https://end-lab.jp/noise-map/index.html