【高野・大谷研究室】「包む音/取り巻く音」
音環境を可聴化する技術:音場再現
修士課程二年生 川崎 悠季
はじめに
ある空間内での音環境そのものを、音の到来方向、距離感といった3次元的な特性を保ったままそっくりそのまま収録し、再現することはできないだろうか。もしこれが可能になれば、コンサートホールで演奏されるオーケストラの演奏を、自宅など全く別の場所で、まるでその場にいるかのように体験することができる。建築分野での応用を考えてみると、建築音響シミュレーションによって模擬した音を可聴化することにも利用できる。これにより、まだ図面の状態の建築であっても、その内部で実際に音がどのように響くかをあらかじめ聴くことができるようになる(図1)。
これらを実現するのが「音場再現」である。この技術は、その名の通り実/仮想空間における音の「場」そのものを、マイクロホンを用いて収録し、スピーカやヘッドホンにより物理的に再現しようとするものである。
筆者らは、前述のような、建築音響における音場の可聴化システムの実用化を目標に、音場再現技術の一つである高次アンビソニックス(HOA)について、研究を進めている。ここでは、まず音場再現技術の概要および課題を述べ、筆者らが近年取り組んでいる研究について紹介する。
音場再現技術とその課題
音場再現は、音環境そのものを物理的に再現しようとする技術である。多くの場合、多数のマイクロホンによって音場の収録を行い、多数のスピーカによって囲んだ領域の内部に音場領域を再現する(図2)。
このような音場再現技術の一つが、高次アンビソニックス(HOA:Higher-Order Ambisonics)である。この手法は、ある点に入射する音波の指向性パターンを多数制御することで、一定の領域で音場を再現するもので、多数のマイクロホン、スピーカを用いることができる環境では、複数人が同じ音環境を受聴できるほど広い音場領域を再現できる。
しかし、このような環境は理想的であり、実際には収録・再生の両プロセスにおいて多くの問題がある。収録系においては、マイクロホンの数や配置によって、正確に収録できる音場領域の広さと周波数に上限が生じる。また再生系においては、使用できるスピーカが少数である場合、精度良く受聴可能な音場領域が、周波数の上昇と共に制御中心に向かって小さくなるという性質がある。そのため、たとえ受聴者を一人に限定したとしても、高周波数では受聴者の頭部を覆えるほど大きな再現領域を合成できず、受聴対象である両耳位置での音場の再現精度が低下してしまう(図3-a)。
耳介位置での受聴領域を確保する再生法
これらの課題解決のため我々は、特に再生系に着目し、「耳介位置を中心としたHOA再生」を提案している。従来手法は制御中心を受聴者の頭部中心とするのに対し、提案手法は耳介位置に設定する(図3-b)。これにより、高周波数帯域においても、そのサイズは小さいながら、両耳位置では再現領域を確保できる。数値シミュレーションによる評価から、少数のスピーカを用いる場合でも、両耳位置での音場の再現精度を保つことができ、従来手法と比較して、高周波数での両耳信号の再現誤差が低減できることが分かった。
現在は、さらに誤差を低減するためのシステムの改善を検討している。また、この再生手法によって音場を可聴化した際、音像定位の精度がどれほど向上するか、といった聴感面への影響に関しても調査を進めている。
今後の発展に向けて
ここでは主に、スピーカ等による再生系に着目した研究について紹介したが、マイクロホンによる収録系においても課題があり、その改善に向けて多くの研究が取り組まれている。収録・再生の両面から、広い周波数帯域にわたって精度良く音場を再現できるシステムを構築することが当面の目標である。
また、人間の聴感特性との関連を調査することも大きな課題である。スピーカやヘッドホンを用いた主観的な評価を通して、どの程度音場が再現できていれば、音の方向や距離、空間印象が正しく知覚されるかということについて明らかにする必要がある。これにより、単に音場の再現精度のみを追い求めるだけでなく、聴感上最低限必要な再生環境のみを用意する、といった人間の聴感特性に基づいたアプローチも可能になるだろう。
これらの研究を通して、冒頭に述べたような実用的な可聴化システムを実現することを目指している。
【参考文献】
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小山翔一.音場再現技術の基本原理と展開,情報処理学会研究報告,vol.2014-MUS-103, no. 3, pp. 1-6, 2014.
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D. B. Ward and T. D. Abhayapala, “Reproduction of a plane-wave sound field using an array of loudspeakers”, IEEE Trans. Speech and Audio Proc., vol. 9, no. 6, pp. 697-707, 2001.
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松田遼,大谷真.両耳を中心としたマルチゾーンHOAによる音場再現の検討,日本音響学会講演論文集(春),pp. 673-676,2019.
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川﨑悠季,大谷真.両耳を中心としたマルチゾーンHOA再生に基づくバイノーラル合成の性能評価,日本音響学会講演論文集(春),pp. 183-186,2021.