【西山・谷研究室】「京都大学建築構法学講座のいま」
谷昌典准教授 インタビュー
聞き手=三田沙也乃、吉田遥夏
2021.7.2 京都大学西山・谷研究室にて
ーー先生のこれまでの経歴について教えていただけますか。
高校一年生の時に阪神淡路大震災があって、その時私は京都の実家にいたんですが、すごい揺れでした。テレビつけたら高速道路がひっくり返ってるし、建物はぐちゃぐちゃになってるし、そういう経験がきっかけで建築の構造に興味をもちました。元々は車とかロケットにも興味があって機械系も考えていたんですが、そっちは趣味でもいいかと思って、最終的に建築学科に入りました。最初から構造一本でいこうと思っていたので、構造力学Ⅰで優がとれなかったときはへこみました。これってもう一回取り直せへんのかなって考えて、先生に聞いてみたけどだめって言われました(笑)。
四回生の研究室配属の時は構造解析をやってみたくて、卒論は大崎先生のもとで鉄骨構造の部材断面や施工手順の最適化をやってました。構造解析も面白かったけど実験もやってみたいかなと思って、修士から今の研究室に移りました。そこは大崎先生には非常に申し訳ないことをしてしまったなと今でも思っています。
修士を出たあとは、プラントエンジニアリングの会社の建築部門に就職しました。元々機械系にも興味があったので、機械も建築も一緒にみられるし、大きな建物つくれそうやし、面白そうだなと思って。そこで結構楽しく働いてはいたんですが、ちょうど一年くらいたったころですかね。研究室にお土産持って遊びに行って、修論の指導教員だった渡邉史夫先生と話をしていた時に、大学の研究も楽しかったよなと思って戻りたくなったんです。そのあと、割とすぐに、渡邉先生に「大学戻りたいんですけどいいですか」って電話して、1年と3ヶ月働いた会社を辞めました。新卒で就職してすぐに辞めて学生に戻るって、思い切った行動したなと思います。また次の仕事がちゃんと見つかるとも分からないのに。結局、1~2年ごとに何かしては次に行くというのが大学生の時から続いていましたね。博士課程では、それまで研究室のバーベキューの時くらいしか接点がなかった西山峰広先生に指導教員になってもらって、4年かかったけど博士をとりました。
博士を修了するちょっと前に公募された神戸大の助教に採用されて、ようやくまた働き出すことになりました。ただそこも任期付きのポストだったので、次を探しているときに、ちょうどつくばの建築研究所の公募が出て、一回応募したけど落ちて、次の年にもう一回受けて採用されました。今度は長いこといることになるのかなと思っていたんですが、結局4年で関西に戻ってきました。この研究室では気が付けば7年目になります。これまでで一番長く勤めているのはここですね。いろいろなものがあって今があるという。
ーー建築研究所でのお仕事や印象に残っていることについて教えてください。
建築研究所に異動する直前に東日本大震災が起こって、入所して1週間もしないうちに現地調査に行くことになりました。海外の調査は何回か経験していましたが、国内の大きな災害で現地調査したのはこの時が初めてでした。余震があったら津波が来るかもしれない海沿いの地域で調査したり、まあまあ危険を感じることもありましたね。現地では、RCの柱が派手にせん断破壊してるとか、上の階が落ちそうになってる建物なんかを見て、未だにこういうことが起こってしまうのはちょっとまずいなって思いました。あと、夜11時半に大きな余震があって、ホテルの電気が全部消えて、コンビニに様子を見に行ったら人がすごい殺到してて、地震で人はパニックになるんだな、とも改めて実感しました。そういう経験も重なって、地震に対して強い建物とか強い社会をつくりたいというのは、研究をやる大きな動機になっています。1981年に新耐震基準になって、そのあともいろいろと規定なんかが強化されたりして、明らかに建物の性能が良くなってきているので、それ以降の建物の被害は統計的に見て減っているし、旧耐震の建物の耐震補強や取り壊しといった対応も割と進んできてはいます。だけど、事情があって、未だに古くて危ないって分かっているんだけどまだ耐震補強できてないような建物もあるので、それはすごく悩ましい問題ですね。
建築研究所では、「国際地震工学研修」といって、JICAと共同で途上国から人を呼んできて、1年間研修をして修士号をとってもらうというのも業務としてやっていました。耐震診断に興味がある人が多かったので、向こうの建物を耐震診断して分析した内容を修論にすることが多かったですね。英語で教えないとだめだし、基準とか背景も日本と全然違うから、そこは難しかったです。日本の考え方がそのまま使えるわけではないので、なんとか向こうの設計の考え方に合わせるような工夫もしました。また、中南米の国々を対象とした研修もありますが、みんなノリが良くてすごい陽気ですね。構造材料実験のような授業もやっていて、コンクリートを練り混ぜるだけですごいテンション上がる。まず、みんなに材料を計ってもらうときに、ピッタリ合わそうとしてすごく盛り上がる。それからミキサーに投入してまわすだけなのにそれもめちゃめちゃ楽しそうでした。研修に来る人って向こうのエリートが多いから、現場の作業にあまりなじみがないのかもしれないし、やっぱり事情が違うんでしょうね。でも、すごく貪欲だし、それでいて楽しんでる感じがあっていいですね。質問もすごく多いし。教えるこちら側も結構楽しいですね。
ーー先生が注力されている研究や現在の活動について教えてください。
プレストレストコンクリート(PC)は自分の中心的な研究対象の一つと考えています。博士論文でやっていたというのもあるし、坂静雄先生や六車煕先生の時代からずっと、PCの研究は京都大学の建築構法学講座の大きな伝統でもあるので続けていきたいと思っています。
世間一般では積極的にPCを使って構造設計する人って少ないというか、そもそも選択肢になくて、RCとSで勝負させるケースが多いのかなと思っています。土木では橋げたとか、スパンを伸ばすためにPCを使わないとできないことがあるけど、建築の場合はそこまで必要に駆られるっていう状況が少ないんでしょうね。そもそもPCとRCで設計式が違うとか、一貫計算プログラムが対応してないとか、授業でも詳しくは教えていない大学が多いみたいで、あまり一般的に浸透していないのかなとも思います。うちでは西山先生が断面計算とか理論の話まできっちり教えてます。PCがいいものであるのは間違いなくて、ひびわれが出にくいとかたわみが少ないとか、建物の耐久性もよくなるとか利点もあるので、単純に値段が安いRCのほうがいいというわけでもないはず。RCで問題ないところまで、なんでもPCでやるのは不経済やと思うけど、PC使ってみたいけどややこしそうやからやめとこう、となるのは残念なので、選択肢に出てくるように方法を確立しておきたいですね。
あと古い建物が好きで、新しいうねうねしたやつより京大建築の本館とか京都市役所とかいいなと思ったりします。ちなみに、建築の本館は来年で100歳だけど、耐震診断の基準は満たしているんですよ。劣化がひどいコンクリートの補修はしたようですが、耐震補強自体はほぼしてない。壁が多くて、思っているより強いみたいで。その当時に耐震性のことをどこまできちんと考えられていたのかは分からないけれど、今の考え方で見ても耐震性がOKになるというのはすごいなと思いました。また、ちょうど今、琵琶湖疎水を作った田辺朔郎先生のお宅にある古いRCの蔵を調べようという委員会が動いています。コンクリートのコアを抜いて圧縮試験するとか、中性化の検査をするとか、鉄筋がどれくらいはいっているとか、いろいろな調査の計画が進んでいます。結構楽しいですよ。
研究の方は、最近は何か一つに集中して取り組むというよりは、RCもPCもいろいろやっている感じですね。どちらかというと壁の研究が多いので壁の人やと思われてるけど、壁ばっかりやってないですよ。最近は柱とかもやってるんですけどね。
ーー現在のお仕事の魅力やモチベーション、今後の展望をお聞かせください。
この仕事は教育も研究もできるので、このまま続けていきたいというのはもちろん思っています。修士のころ指導教員だった渡邉先生はどっしり構えてかっこええ感じで、この道を選んだのは大学の先生への憧れも結構ありましたね。
人にもの教えるというのは昔から好きでやってて、学生時代も塾の講師をしてたし、面倒はなるべく見たい派であると思っています。自分で勉強したことをかみくだいて分かりやすく説明するというのが割と好きですね。ただ、大学生なのである程度は自主性に任せたいというか、あまり無理やり管理したくはない。ただ、期間が決まっている外部との共同研究なんかは、そのスケジュールに合わせていこうと考えた時に、どこまで学生さんに負荷を掛ければいいのかの判断はいつも悩ましい。気を遣ってあまりゆるくなりすぎても問題なので、その辺りの塩梅が難しいところです。
研究の一番のモチベーションには安全で安心な社会をつくるというか、地震で困る人を減らしたいというのがありますね。この仕事をやるようになって地震の被害とか何度も見に行って、困っている人もたくさん見てきました。事前に何とかできる方法も含めて、地震被害を減らすために何をしていけばいいのか、考えながら研究しています。もう一つのモチベーションとしては、自分が関わったものが世に出るというのはすごくいいなと思っていて、例えば、修士の時に研究していた耐震補強が使われているのを実際に見た時にはやっぱり嬉しくなった。自分のやったことが世の役に立っていると思うとさらにやる気がでるので、そうなるように頑張っていかなあかんなと思っています。