traverse二十周年記念座談会

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  若手座談会5)            竹山

竹山  布野先生が僕の半年前に京大に来ていて、僕が来たときに布野先生に言われたことがあるんですよね。「京大で建築家を育てるぞ」って。底辺を上げたり、アベレージを作ったりするのではなくて、トップを引き上げるんだと発破をかけられたんですよ。

布野  しんどいんですよ、ボトムアップというのは。

竹山  つまり、そういうふうに建築家を育てなきゃという話があって、十何年経ったときに、気がついたらSDレビューという若手の登竜門のようなコンクールに京大の学生が通るようになったんですね。9号のときには、卒業設計日本一を三連覇した。そういうふうなことがあったので、京大出身の若手の建築家、これから伸びる人たちを集めて我々で話を聞こうという企画が立ち上がりました。どういう記事にしようかというなかで、とりあえずSDレビューに通っている若手を集めてみようかということでそんな企画になりました。これがとっても面白くてね、やっぱりその後皆活躍しています。僕が最初来たときに布野先生に宿題を言われて、それからしばらく経って京大からも結構元気な若手が出てきて、その気分がここに表れているんじゃないかな。新しい先生が来たら、わーっと学生が刺激を受けるじゃない。布野先生が来てその半年後に僕が来て、そのときの2回生・3回生というのは、いわば紀元前と紀元後くらい違うわけ。

布野  僕は9月に来て、最初に2回生の課題で「鴨川フォリー」というのを出したんだけど、そのときの2回生が皆頑張ってるよね。平田晃久、森田一弥、山本麻子などアトリエ事務所をやっているのは学年 80 名中かなりの人数ですよ。次の年から竹山先生が来て、設計教育を見直したんです。それまでの設計演習は実は4年生まで同じ先生が担当していて、一人でレポートの採点をするがごとく、なんの議論もされていなかったという状況があった。僕は設計の経験は少ないけど、山本理顕さんや毛綱毅曠さんと設計教育してきた経験はあったから、積極的にやったほうがいいと思った。

竹山  それよりももっと大きいのは締切を守らせること。信じられないだろうけど、その頃までは締切を守った学生はとにかく一人もいなかったんです。締切を守る学生がいないということは、講評会ができないということ。僕はそれを知っていたのだけど、布野先生は東大出身で、締切守らないなんて信じられないわけですよ。

布野   講評会を全員についてやって、ビアパーティ。芦原義信先生が始めたんだけど。翌日に次の課題が出る。それが当然だと思っていた。

竹山   京大はなんとなくね、締切の日にぼちぼち始めようかという学生が多かったわけですよ。先生達もそれに対応して学年末に辻褄があっていればいいと。実は、締切を守りますよといって、布野先生とか僕とかが設計演習を始めたときの最大の抵抗勢力は先生達だった。そんなことはできないっていうんですよ(笑)。学生は締切を守れといったら、それまでを知らないですから、そういうもんだとすぐにそれに順応するわけですよ。先生達がいちばん大変だった。
 

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5)平田晃久・松岡聡・百田有希・大西麻貴,京都大学 出身 若手建築家 座談会「これからの建築ジェネレーション」 高松伸+ 布野修司+ 竹山聖,traverse 9,pp.21-36

 

  座談会 快感進化論書評6)      学生

布野  「快感進化論」はおもしろかったですね。

竹山  シンプルだと思いますね。伊勢先生(7)は、お酒も飲まないしストイックな感じがあるんですけど、おもしろいユニークな発想をしていて。そのユニークななかでもユニークなものがこの「快感進化論」です。伊勢先生は、栗本慎一郎という文化人類学者・経済人類学者を特に私淑していて、その人とすごく親しいですし、すごく影響を受けていますよね。伊勢先生は環境の、特に音の先生なんだけど、ものすごい文化論的な発想をしていて、学術的には怪しいというふうな理論がいっぱい出てくるわけですけど、その分すごくおもしろいわけですね。そのころ、複雑系とか、それまであらゆる分析のなかで出たものを総合的に理解しなおそうじゃないかとか、非合理的なものに論理を認めるにはどうすればいいかとか、そういうようなことを考えて伊勢先生が出した本が「快感進化論」です。それがおもしろいというので皆で座談会をしたんですよね。

布野  伊勢さんの議論で僕がいちばん覚えているのは、要するに言語と空間認識力がホモサピエンスの原理だということですね。音というのは、栗本慎一郎の理論がバックにあるんだろうけど、突きつめていくと言語の話になるというわけですね。言語の起源はというと、目の前のマンモスを捕まえるときに、声を発してコミュニケーションをとっていたことに始まる。二足歩行とか、道具や火の使用とかあるけど、ホモサピエンスがホモサピエンスとなるのは空間認識能力なんだよね。言語も抽象能力ですね。空間を認識する抽象能力を持ったのがホモサピエンス、建築をつくる能力が人類の根拠。「誰もが建築家である」というのが布野説。

竹山  僕は座談会で、火と言語、に建築も加えるという発言をしていて。火と言語と建築が、人類が認知的贅沢を存分に楽しむための装置であって、それによって進化したと。ここで布野先生と僕は微妙な戦いをしてますね。でもね、今の布野先生の話はまったく腑に落ちて、言語と空間認知というのは人間のある種のコミュニケーションをきちんと整えたわけですよ。言語には二つあって、他者とのコミュニケーションとインナースピーチ、自分の内部の思考の深まりでしょ。この二つはどちらが先かという議論があるんだけども、でも少なくとも社会をつくるときには、他者とコミュニケーションをとるという、ある場をつくる力が言語にはある。それで建築にも、ある場をつくるという力がある。火にもその力があって、火のまわりに集まって、ダンスとか言語を通してコミュニケーションをとる。その場をちゃんと安定的につくるのが建築。だから火と言語と建築というのはとても重要なんじゃないかということを話しました。

布野   例えばミツバチでもチンパンジーでも巣を作る。
遺伝子に組み込まれている能力と後天的に建築能力を獲得していくた空間、言語の抽象能力とは異なる。我々は家だけじゃなく風よけの塀でもなんでもつくる。建築を我々は獲得したということ。

石田  人工環境ですよね。それと人の身体的な深いところにあるもの。それらの関係がどうなっているのか、というところが今の建築・都市の大きな問題じゃないかな。技術的にいろいろなことができるようになって、光だけ考えてもそうなんですけど、人の光に対するいろいろな感じ方や生理的な反応を見ていくと、やはり自然の光に適応した結果が人の心身には刻み込まれているなと感じることはあります。

布野  ということは、人工環境だけで育った新しい人種ができるという話ですね。自然環境だって森を切ったりしたら相当違うわけでしょう。環境も違ってきたら人種も違ってくる。

石田  そこまで変われるのかという話もあります。これからの「traverse」で、例えばそういったテーマでの企画があってもいいと思いますね。

布野  単に大鉈みたいなテーマじゃなくてね。

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6)座談会 快感進化論書評,traverse 5,pp85-99
7)伊勢史郎:2003 年京都大学工学部准教授。著作「快感進化論 ヒトは音場で進化する」

 

 

 ―「travarse」の可能性について

石田  巻頭の辞にある、京都大学の活動がくっきりと見えるようにということがトラバースの創刊の志です。だけど最近のトラバースの記事で学生編集の皆さんが時間を使って力を入れているのは、インタビューとか外部の人の話を聞くことですよね。それは確かに京大の人がやっているけども、京大の発信とか京大の姿がくっきり見えるということとは、また違うんじゃないかと僕は思っていて。そのような企画があってもいいし、そのような方向に変わっていくならそれでもいいかもしれませんが、それはトラバースの初めの頃の考え方とは変わったところだなと僕は思います。

竹山  それは僕も同感してるところがある。タモリがやっていたテレフォンショッキング、あれと同じで前巻のインタビュイーが次を紹介するやり方をしていったら、どんどんかけ離れていったわけですよ。それはともかくルールをそういうふうにしてしまったから、結果的に、遠くまで取材に行ったりスカイプでやったり、いろいろなことをやるようになって。もうちょっと近場の、地に足ついた方向にした方がいいんじゃないのということになって、また京都に戻ってきているのですよね。

布野  OBもいっぱい出てきているんじゃないの。京大ナショナリズムじゃないけど。

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