【神吉研究室】Project of Kanki Lab
―かろんのうつろひ - 太秦の気配
修士課程2回生 成原隆訓
我が屋戸のいささ群竹ふく風の音の
かそけきこの夕へかも(家持)
竹垣の足元に今年も乾いた笹が茂る。盆になるとこれを刈る。私は今、築50年 ほどの木造二階建の離れに住んでいる。枯淡な民家で、土地柄付近での映画撮影をしばしば目にする。すぐ側を線路が通り、毎朝踏切の音とともに起床する。夜には電車の光が差し込み、漆喰の壁に木の影をつくる。春に見事な桜が咲く庭のある築60年の母屋には、大家のお母さんが住まれ、灯りが点くたび気配が感じられたが、昨冬に亡くなった。私たちを心配してくれ、料理の仕方も教わった。生活の知識を書き残すことなく人が世を去る所に居合わせ、日々失われる言葉を思い途方もない虚空を垣間見た。近頃は息子で建築家のEさんと手入れについて話す。
ともに暮らすのは同期2人と四回生1人、そして私の4人だ。定員は3人なので、僕の部屋を間仕切ったのが最近の面白い変化である。仕切りはベニヤで、さながら寝殿造の室礼のように、存在は容易に感じ取られプライベートはあまりない。然し乍ら、これから先どこに住むにせよ、この細やかな緊張に身をおくことはないだろう。これも貴重な気配だ。僕の入居時の同居人は留学で退去し、一階に女の子が住んだ時期もある。集まって中二階で飲んでいると、帰宅した住人が加わり宴会になる。人が集い、離れて今日もかろんに気配が蓄積される。私は未だ立ち止まり、しばしその溜りを見つめることになりそうである。