出面— 建築生産の労働生産性を考える|金多 隆

― “建設業の生産性向上”

 ある日のゼミで学生がこんな発表をした。某シンクタンクのレポートに「日本の建設業の労働生産性はスペインの建設業より低い」と書いてある。国土交通省の推進するi-Constructionに従って、もっとBIMを普及させないといけないのに、日本の建設業はそれができていない。だから日本はダメなんだ。

 たしかに、日本生産性本部の出している労働生産性の国際比較では、日本は20位である。世界第3位の経済大国のはずが、欧州諸国より軒並み下位にある。

 首相官邸の主導で成長戦略や未来への投資が議論されるなかで、建設業あるいは建設生産システムの生産性向上が大きな課題とされている。では、生産性向上とは何か。それは日々建設現場で働く職人たちの働き方や出面(でづら)とどのように関係しているのだろうか。

図1 OECD加盟諸国の時間当たり労働生産性(2016年/35カ国比較)(出典:日本生産性本部 労働生産性の国際比較2017年版)

図1 OECD加盟諸国の時間当たり労働生産性(2016年/35カ国比較) (出典:日本生産性本部 労働生産性の国際比較2017年版)

― 労働生産性

 一般に、生産性は、得られた価値を投入量で割ったもので評価される。労働生産性とは、労働力1単位に対して、どれだけの付加価値が生産されたかをいう。作業効率を向上させることが生産性向上であると誤解されることがあるが、例えば2時間で仕上げる書類を1時間で仕上げれば、作業効率は2倍になるが、労働時間の概念に縛られない裁量労働制の労働者にとっては生産性は変わらない。

ここで生産性を2倍にするには、労働者の人数を半分にして同じ業務をさせるしかない。必然的に作業効率が2倍にならないと業務が遂行できないので、ICTを導入するなど業務の進め方を変革することになる。このような議論が見受けられる。

 国土交通省は、「i-Constructionにより、これまでより少ない人数、少ない工事日数で同じ工事量の実施を実現」するとして「建設現場の生産性2割向上」という数値目標を提起している。この政策は間違っていないが、私たちは生産性についてもう少し多面的な検討をすべきである。

余剰な労働力を解雇して企業部門の生産性を向上させる国では、失業者への福祉に政府部門のコストを投入することになる。それが幸せな国かどうか、目指すべき国の姿かどうかは、政治を通して議論されるべきだろう。

― 分母となる労働力

 まず、労働生産性を求める式の分母となる労働力について、失業者の定義や取り扱いが各国で異なることがある。実質的にはほとんど働いていない人達の頭数を加えていけば、労働生産性は低く表れる。国際比較の前提条件が異なれば、分析結果は意味をなさない。建築生産での労働力を示す適切な指標については古阪1)、遠藤、岩松2)らによる研究などがある。

 建設業の「働き方改革」で週休2日制や残業抑制が広まれば、日々の労働者の人数を増やさない限り、投入労働量は減少するので、労働生産性は向上するはずである。本稿の表題にした「出面」は、狭義には職人が建設現場で働いた日数を表す用語である。働き方改革は、職人の出面を減らす方向に作用する。ほとんどの職人の給与体系は、労務単価と出面の掛け算になっており、職人にとっては収入減につながる「働き方改革」は、受け入れ難いものである。これまで建設業界側が発注者に対して週休2日制を強く要求してこなかった理由の一つはここにある。元請建設業者が職人を直接雇用せず、前述のような日給月給制が残る状況では、働き方の本質を改善することができない。この問題を避けて、工期短縮や作業効率の向上手段ばかりが議論されるのは、パンドラの箱に蓋をしているようなものである。

―  分子となる国内総生産

 日本生産性本部会長の茂木友三郎は、日本経済新聞の記事でこう述べている。「日本では労働時間や従業員の削減といった『分母』を小さくすることに注力しがちだ。だがこれには限界があり、付加価値という『分子』を増やすほうが長期的に有望とみる。」(2018年4月26日電子版)

 分子となるのはGDP(国内総生産)である。国民所得ともほぼ同義である。労働力人口が同じ規模であれば、生産性はGDPの高い国に有利である。GDPは、各国の労働者の勤勉さや資質能力よりは、各国の産業構造によって決まってくる。例えば、金融業の国は高く、労働集約的な農業国などは低い。また、サービス業は提供されるサービスの質に違いが大きく、比較が難しい。極端だが「ぼったくり」の生産性は高く、献身的なサービスの生産性は低い。GDPを引き上げるには、生産性の高い方へと産業構造の転換が必要だとされる。例えば、外資の高付加価値産業を誘致すれば、生産性は向上する。アイルランドやルクセンブルクが成功例とされる。

 日本国内に限定した地域比較でも1人あたり都道府県民所得では東京都が首位、沖縄県が最下位という較差が見られる。これは、当然ながら産業構造や地域社会の成り立ちが大きく異なるからであり、東京都民と沖縄県民の生活習慣や気質の違いだけでは説明できない。むしろ、東京都民の暮らしは沖縄県民の暮らしより本当に豊かなのかどうかさえ、疑わしいところもある。所得向上のために、首都である東京を他都市にコピーするのは不可能であるし、東京の産業構造を日本全国に展開することが優れた政策とは思えない。

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