【座談会】建築史家 倉方 俊輔/イオンモール(株)開発本部 企画開発部長 高須賀 大索/建築家 西澤 徹夫|商業建築の「顔」をなすもの
― 座談会を受けて
私たちは座談会前まで、商業建築は資本主義に基づいて作られるので、対象化された顔を作ることが大きなテーマであると考えていた。しかし、座談会を経て、それぞれのまちでの様々な要素が否応なく差し迫ってくる状況下に商業建築が存在していることが重要であると気づかされた。
座談会で触れられていたように、郊外では、一つひとつの商業建築が独立し巨大なので、認知の入り口として顔が求められる。身体が大きすぎるので、顔がなければそれが何なのか認知できないのである。一方、都市の中では、商業建築は一つひとつの建物として完結せず、エリアとしての認識が強調され、もはや個々の顔は重要ではない。どのように身体に馴染むかが重要なのである。これは郊外も例外ではなく、認知の入り口を作らないといけない一方で、まちのこれまでの文脈の中でどうあるべきかを考えなくてはならない。これらの知見は、勉強会の段階で、顔という枠組みで語ろうとした時にうまくまとめることができなかった部分を明らかにしたように思える。
鷲田氏が指摘するように、対象化される現象としての顔と、根源的な倫理を生じさせる非現象としての顔がある。郊外の話は前者で、都市の話は後者に近い。鷲田は、レヴィナスの言葉を引いて以下のように述べる。「顔を他者の現出として意識のうちに回収しようとしても、それを表象として意識を開いたときにすでに消えており、わたしはその<痕跡>をただ呆然と受け取るしかない。他者の他者としてわたしは召喚される。「なにか」ではなく「だれか」としての他者の切迫がわたしの顔を可能にする。」1)
顔とは、後から与えられるものであって、与えるものではない。建築も顔を作るのではなく、それができて、まちの一部になるなかで顔が与えられていくものであることに気づかされた。
<参考文献>
1)鷲田清一:顔の現象学 見られることの権利,講談社学術文庫,1998
2)原 広司:空間〈機能から様相へ〉,岩波書店,1987
3)隈 研吾:新・建築入門 思想と歴史,ちくま新書,1994
4)エマニュエル・レヴィナス:レヴィナスコレクション,合田正人 編・訳,ちくま学芸文庫,1999
5)村澤博人:顔の文化誌,講談社学術文庫,2007
6)伊藤 毅:町屋と町並み,日本史リブレット 35, 山川出版社,2007
7)深満池源次郎:東京商工博覧会絵 上,1885
8)大岡敏昭:江戸時代日本の家 人々はどのような家に住んでいたか,相模書房,2011
9)初田 亨:繁華街の近代 都市・東京の消費空間,東京大学出版会,2003
10)奥平與人:商業建築の変遷 1950年からの時代変化に伴う商業建築の俯瞰,文化女子大学紀要服装学・造形学研究41(2010-01), pp.59-71, 2010
11)大塚 篤,初田 亨:書籍からみた関東大震災以前の大正期における商店建築の計画,日本建築学会計画系論文集 第74巻第641号,pp.1667-1673, 2009
12)藤森照信,増田彰久:看板建築,三省堂,1999
13)藤木TDC:東京戦後地図 ヤミ市跡を歩く,実業之日本社,2016
14)小村智宏:商業施設の新潮流,http://www.study-mirai.org/works/salesnote0708.htm
15)高島屋:Takashimaya archives, https://www.takashimaya.co.jp/archives/history/index.html
16)三浦 展,藤村龍至,南後由和:商業建築は何の夢を見たか 1960〜2010年代の都市と建築,平凡社,2016
17)日本ショッピングセンター協会:ショッピングセンター 1986年1月号,日本ショッピングセンター協会,1986
18)若林幹夫:モール化する都市と社会 巨大商業施設論,NTT出版,2013