建築家・五十嵐淳|理性を超える空間

凍結深度を利用したダイアグラム

― 人間のための美しい空間をつくりたい

山口 最近のプロジェクトではどのようなことを考えて設計していらっしゃるのでしょうか。

五十嵐 最近は、周辺や外部に対して「開く」建築を考えています。開き方は様々ですが、物理的にではなく意識や感覚で外とつながっているような建築を目指しています。 ただ、僕はやはり内部の居心地が一番大事だと考えています。建築は外から眺めるものではありませんからね。
 
山口 建築家には、ファサードや外装のリノベーションをされている方も多いと思います。もしそのような仕事の依 頼がきたら、どのように設計されますか。

五十嵐 主題やコンテクストがどこにあるのか、またクライアントが何を求めているのかで対応の仕方が変わるので 何とも言えませんが、どんなものであっても僕は人間のための空間をつくりたい、といつも思っています。特に綺麗な空間をつくりたい。美しいものをつくりたいなんて言うと同業者にはたいてい鼻で笑われます。今更何を言っているんだと。けれど僕はそれをつくりたいと考えています。

山口 空間の美しさというのは古くから続く建築の永遠のテーマだと思います。その長い歴史がある上で今、美しい 空間について考える意味について教えていただけますか。 

五十嵐 人種や年齢、知識、職業、文化など多様な予条件によって美しいと思うものが異なってくるように、「美しい」というのは恐ろしく抽象的な言葉です。困ったことに建築や空間の美しさや凄みは表や数値で表せるものではないので、皆それらについて考えることを避けるのだと思います。一方、理論というのは、皆に納得してもらえます。「ああなるほど、だからこういう建築になったんだ」という解釈を可能にするのですが、理論的に設計をする建築家がすなわち素晴らしい建築家であるとは限りません。僕の場合は、理論的な設計に対しては「よく解けているな」という感想を抱くに過ぎません。合理的でなおかつ美しい空間だと思えると良いのですが…。建築には、言葉では解説できないくらいの凄みがあってほしいと思います。

山口 確かに、美しさや凄みという概念は人の主観や好みによって評価されるもので捉えどころのないものだと思います。一方で、五十嵐先生は「建築の普遍解」という言葉をよく使われていますが、美しさにも普遍的な答えがあるとお考えですか。

五十嵐 答えが分からないから設計をやっていられるのだと思います。絶対的な解答が無いからこそ面白い。以前、 西沢大良さんが戦後住宅の一例としてル・コルビュジエの ドミノ・システムを挙げていました。ドミノ・システムとは建築の物理的な構成を分かりやすく説明したものですが、西沢大良さんはそれを「被災者が瓦礫を使って壁や扉をセルフビルドするための躯体として考案された、柱と梁 のみからなるシステムである」と説明していらっしゃいました。しかし、ドミノ・システムのようにルールを与えるシステムを考えることはできるけれど、美しさやすごみを生み出すものを作るのは難しいでしょう。後者の場合、今 あるものに取り付いてより美しくする、ウイルスのようなシステムになるのかもしれない。

山口 ご自身の設計を説明する際に「天国のような状態」という言葉をお使いになっていますね。美しさや凄みを語る上で一つのキーワードになるかと思います。

五十嵐 当時使っていた「天国のような状態」という言葉は主に室内のコンディションの話でしたが、今はやはり空間や、光と影など、昔から言われているものを考えています。僕は空間が好きなのでとにかく空間をつくりたいですね。そのために壁が必要であれば壁を立てるし、壁をコントロールすることで光も影もつくることができます。

山口 作品集『状態の構築』を読ませていただいて、例えば凍結深度や風除室といった、その地域の気候条件、いわば場所の個性から影響を受けて設計をされていると感じました。ですがそれは普遍的な美しさとはある意味矛盾する考え方のようにも思います。

五十嵐 『状態の構築』は、当時を振り返りながらそのとき自分が考えていたことを時系列で記した本です。僕は設計物それぞれに対して、実践を通してベストを尽くしてきました。例えば、凍結深度※2  は守らなければならない法律であって、当然対応するのですが、「空間に対して凍結深度をもっとポジティブに捉えられるんじゃないか」と、そういう思考を積み重ねてきました。つまり必要なコンテクストを解いた上でいかに美しい空間をつくれるかということを常に考えてきたのです。

2)凍結深度 地盤の凍結が起こらない地表面からの深さ。北海道などの寒冷地では、凍結深度よりも深いところに基礎や水道本管を設置しなくてはならない。

― 白のリアリティ

山口 五十嵐先生の建築には「白」のイメージがあります。 
ですが一言で「白」といっても様々な白い素材を使っていますよね。空間を設計する上で素材の選定に関してはどのように考えていらっしゃるのでしょうか。 

五十嵐 僕は安価な素材を使うことが多いです。建築家の中には素材やディテールに強いこだわりを持つ方もいます が、僕はそれは嫌いです。当然、素材やディテールは真剣 に選びますが、建築の主題はそこではないと思っています。 素材ディテールが空間を構成する全ての要素になってしまうとか、自分を表現するための材料になってしまうということは避けたい。素材は自分の発明品ではないですしね。既製品を寄せ集めて使っているだけですごいだろと言われてもぴんと来ない。それらはあなたが世界に生み出したものではないですよねと、つい言いそうになってしまう。 

一同 (笑) 

五十嵐 建築の技術や環境のことばかり説明する人を見ていると本当にそう思ってしまいます。例えば構造の分野で、 柱を細くしたいときには最も強いスチールを使いますが、それでもせいぜい直径6cm です。もしスチールよりもはるかに強度があって、安くて加工しやすいものが開発されたとき、柱を細くすることは無意味になります。物理的に 6cm 必要だったものが5mmや10mmで済んでしまったら、現時点での「細い柱」は細くもなんともなくなってしまいますよね。今のテクノロジーを前提に、出来る限り薄くして空間の価値を見出したというような建築物は、その 構造材料が刷新される瞬間が来た途端に、「そんな時代にがんばっていた建築がありました」という過去のものになってしまう。素材やディテール、技術ではなくて平面図などを見て美しい、実際に空間を体験して美しいと思えるものを設計したいしそこに普遍性が存在すると思っています。 

山口 京都大学の設計演習課題では、白模型の作品が多いのですが、講評のときに素材は何で作るのかと聞かれると答えられない学生も多いです。設計の際に、素材やディテールにまで考えが及んでいないのだと思います。この問題についてはどう思われますか。 

五十嵐 その問題は、素材のことを考えているかどうかではなく、自分の案にどれだけリアリティを持てているかと いうことがポイントだと思います。どんな建築でなぜ白でないといけないのかということを考えた上での白模型であれば、講評のときに指摘されないのではないでしょうか。実際にその作品が建つかどうかという意味ではなく、どこまでリアリティを持って自分の設計に向き合っているかということが重要なのです。

山口 自分がその作品の中に入り込んで考えられているかということでしょうか。

五十嵐 そうですね。どんな規模の建築であってもです。例えば図面を描くときには、図面の中の小さなトイレに自分が入ったときにどう感じるか、くらいのリアリティを持って欲しいですね。それができていれば、質感をもっとこうした方が良いなど、ディテールや素材に気が向くはずです。その上で、白の方が良いと思ったら白で良い。そして白はペンキにしようかな、漆喰にしようかな、何にしようかなという順序で考えていけますし、逆にこういう白い材料があるならこういう使い方もできるではないか、というようにフィードバックもできる。そのためには、毛細血管の端まで自分のリアリティを持って図面を描いて、想像しないといけない。想像力が欠けていることが問題なのだと思います。

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