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東南アジアで考える日本の建築ものづくり~インドネシア、ベトナム探訪~|古阪秀三

Aspect of “Monodzukuri” in Japanese Building Industry in Southeast Asia

 ~Building Construction Project Visiting in Indonesia and Vietnam~

― 1.はじめに

アジア諸国に対して、日本は第二次大戦の戦後賠償として多くのインフラ整備に関わってきた。また、ODA(Official Development Assistance:政府開発援助)による開発援助もアジアを中心に行われてきた。特に後者は歴史的、地理的、経済的な理由で、アジア地域を中心に援助対象国を選定してきた。このため、日本の建設関連企業のアジア地域進出はこれらの動きと共に展開されることとなった。ここでは、今年3 月に「東南アジアで考える日本の建築ものづくり」の実態調査のために訪問したインドネシアとベトナムにおいて特徴的なプロジェクトの推進方法をとっている日本企業と日本人の活動の一端を紹介する。

― 2.インドネシアとベトナムという国について

 インドネシアは戦前から日本への石油輸出地域として重視されてきたが、戦後賠償ならびにODA によるインフラ整備、産業振興等開発支援に係る諸施設建設においては日本のゼネコンが重要な貢献をしてきた。多くのゼネコンは1960 年代に進出している。その後も石油の安定供給ならびに日本のJIS 規格普及等のために奔走した。しかし、1990 年代になり、ISO9000s が国際的に普及するようになるにしたがって、インドネシアでのJIS 規格の標準規格化への活動はなくなった。 一方、ベトナムへの日本ゼネコンの進出はきわめて遅く、多くは1990 年代前半である。ベトナムへの進出は、日本でのバブル経済がはじけて、ゼネコンの海外進出がより強く求められ、その進出先としてベトナムが注目されだしたことに端を発している。そして、ベトナムに長年在留のA氏(1によれば、日本のゼネコンは1995 年頃までにこぞってベトナムに駐在員事務所を設立したが、直後の1997 年にアジア経済危機があり、かなりのゼネコンは姿を消したという。しかし、残留した日本のゼネコン、さらにはベトナム国内ゼネコンとの競争も多々出てきた。現状のベトナムでは、①ベトナム国内ゼネコンも日系発注者案件を重視、営業担当として日本人を雇用するケース、②日系ゼネコンを退職した建設技術者が当地で会社を設立、施工を国内ゼネコンに任せ、本人は日本の発注者との対応と実質的なsupervisor の役割で受注するケース等が増えてきたとのこと。「日系中小製造業者にとってベトナム価格で日本人が現場を見てくれているという安心感」からと解されるが、瑕かし疵担保期間中の対応、長期的なメインテナンス対応の可否等のリスクが懸念されるとのことである。

― 3.インドネシア、ベトナムにおける特徴的プロジェクト

前章で記述したインドネシア、ベトナムにおける日本のゼネコンあるいは日本人の活躍のわかりやすい事例として、それぞれ1 例ずつ紹介する。インドネシアの例は圧倒的な技術力を見せつけつつ、発注者側の要望にいかに応えたかの例として、ベトナムの例は特定1 つのプロジェクトではなく、ベトナム国内ゼネコンに技術顧問として入職し、いかにして国内ゼネコンの技術者の能力を高めていったか、その結果として日系ゼネコンと設計施工物件で競合できるようになっていったか、日系ゼネコンはこの流れから何を学ぶべきかの例として紹介する。

3.1 インドネシアの事例

(1)プロジェクト概要(図1、2)(表1)

図1 MENARA ASTRA プロジェクト

図2 MENARA ASTRA プロジェクト

(2)工事・施工計画上の特徴

・インドネシアで清水建設の「ものづくり」をどうアピールするか

・工期が遅れることが当たり前の国で「高い品質は当たり前、無災害で半年工期を短縮すること」を宣言、ただし、工期短縮のボーナスはなく、目標未達成のペナルティもない。

・工期短縮6 つの方法の提案 ①逆打ち工法、②掘り方の工夫、③全天候型の屋根、④二層プラットフォーム採用、⑤型枠・鉄筋ユニット工法、⑥外装養生安全シート工法、基本的工事のやり方、マネジメントはJV 相手のTOTAL 社にも開示、技術の部分は開示しない。TOTAL 社は図面通りにやるタイプ。Contractor とConstructor の違いか。

・“Shimizu way” の推進 清水建設の超高層案件での共通の「ものづくり」テーマ

(3)所見

 一般に大規模プロジェクトにおいては、発注者にとって、工期、コスト、品質がいかに初期の予定通りに行われるか、さらに言えば、クレームがなく終えることができるかに細心の注意を払っている。そのためにPM(Project Manager)やCM(Construction Manager)を雇う方法もある。今回のプロジェクトではそれらの発注者リスクとでもいうべきものを、逆に施工者側の「ものづくり」のアピールとして表現し、その着実な進め方を「6つの取り組み」として施工計画に取り込んでいる。

 これらの提案は、発注者の不安を解消するとともに、元請190 人のスタッフ全員のみならず多くのプロジェクト関与者にプロジェクトの目標、プロジェクトの文化を知らしめることとしてきわめて有効なものである。 そういえば、清水建設は80 年代半ば~ 98 年の通貨危機までスピアマン通りのビルを多くやってきたなかで、インドネシア不動産業界の名士Y 氏が清水建設に注目して、かなりの工事を御用大工的に依頼し、当地では「なぜかY 氏が清水を使っているぞ」とのことが噂になり、多くの発注者が清水建設に仕事を出すようになったとのことであるが、今回のプロジェクトでの対応はその面目躍如たるものがあるように感ずる。

 一方で、TOTAL 社はインドネシアにおける国内ゼネコンのトップクラスの位置にある。民間工事での雄でもある。そして、日本のゼネコンのいくつかとJV を組んだり、技術協力をしたりしている。そして、多くの専門工事業者のネットワークを有している。また、インドネシアの労働者は自国民が大半である。このいくつかの条件は、かって日本が台湾において多くの建設プロジェクトを受注した状況に似ている。そしてTOTAL 社に該当する台湾のゼネコンにG 社がある。日本のゼネコンはG 社とJV 等を組みながら専門工事業者や労働者の手配を任せてプロジェクトをこなしてきた。そして、徐々にG 社の技術力が伸び、やがて単独で超高層建築プロジェクトを受注し、また日本のゼネコンのように施工図、コンクリート躯体図等を描き、ついには設計施工が単独でできるまでに成長している。はたして、TOTAL 社がそのように成長するか、またその場合に日系ゼネコンのやるべき業務はどのように変化するのであろうか。

1)2011 年に技術担当としてNewCC 社が招聘

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