コミュニケーションと環境|三浦研
― 情報源としての感覚刺激
次に、共有・共感しやすい題材について考えてみたい。NHK の『ぼけなんか怖くない~グループホームで立ち直る人々~』というドキュメンタリーの1シーンを引き合いに出すと、番組では、着付けの成功で自信を取り戻してもらおうと考えた介護職員が認知症の女性に着付けを頼むシーンが登場する。冬なので当然、介護職員の手は冷たい。その介護職員はまず直井さんの手を握り、その状態で、「冷たいでしょ。もうすぐお正月だから、お正月に着物を着たいと思うの」という順に声を掛ける。普通は、「もうすぐお正月だから」と話しかけるかもしれない。しかし、その職員はまず手を握り、冷たさを感じてもらってから季節の話題を持ちかける。認知力は衰えても、感覚は比較的長期間残るとされる認知症の特性をふまえた優れたコミュニケーションといえるだろう。 このように豊かに感覚に働きかけるものは、優れた媒介として会話の橋渡しをする働きがある。天気、洗濯物、季節、暑さ寒さ、花、赤ちゃん、ペット、旬の食べ物などは、目の前にあれば共感しやすい題材となる。実はこれらは、いずれも五感(視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚)に強く訴える題材で、知識や論理よりも、感情や感覚に働きかける環境要素といえる。互いに向き合う中に、リアルで手応えのあるものが多くあれば、認知症であっても、共感のコミュニケーションが容易になる。
― コミュニケーションと表情
また、コミュニケーションは表情にも効果を及ぼす。ここ数年、介護施設の環境を測る一つの指標として表情を研究に取り入れている。表情は数値化が困難でこれまで建築計画分野ではほとんど研究されていないが、相手の感情を判断する極めて重要な要素になる。近年の表情認識技術の急速な進歩を踏まえて、「喜び」の表情をSI(Smile Index:0 ~ 100 )として行動観察調査に取り入れ、考えを他者が適切に把握することの難しい、認知症高齢者や重度知的障がい者を対象として、表情と行為の両面から介護施設の環境の評価・分析に取り組んでいる(図2)。 例えば、認知症高齢者グループホームの調査からは、同種の行為においても表情が異なること、会話を積極的に行う認知症高齢者の表情が高いこと、さらに、会話に直接参加していない入居者のなかにも、周囲の会話によって表情の値が有意に高まることが明らかになった(図3)。グループホームの特色とされる家庭的な会話が直接参加しない入居者にも、会話が表情面で有効であることは、従来、会話できないから仕方ないとして、質の高いコミュニケーションの努力を怠ってきた介護施設に対して、意識改革を促す結果といえる。
― さいごに
現時点では高い精度で表情を分析できるのは「喜び」の表情に限られているが、そう遠くない時期に、表情数値化技術が進展すれば、悲しみ、怒り、驚き、嫌悪など、より複雑な表情も分析対象に加えられるようになるだろう。既にApple 社のSiri などの音声による言語処理技術も知られている。それらに、相手の表情を分析、認識できる技術がコミュニケーションに取り入れられると、ロボットと感情を込めた会話ができるようになる日もそう遠い話ではない。 しかし、技術が進化すればするほど、環境が会話の大切な要素になるのではないか。個人のパーソナリティはなかなか変えられないが、環境の貧しさが会話を減らし、表情の乏しい環境をもたらさないように、その舞台としての環境を点検する視点が、企業・教育機関・介護施設・家庭のいずれにおいても重要と言える。
<参考文献>
1. NHK:ぼけなんか恐くない~グループホームで立ち直る人々~ , 1997.1.
2. 宮崎崇文・石川啓介・三浦研:表情測定を加えた行動観察調査に関する試行的研究,日本建築学会技術報告集,Vol.20,No.46,pp.1059-1062,2014.10.
3. 宮崎崇文・三浦研:共用空間における他者の行為が認知症高齢者の無為に及ぼす影響 -表情測定による間接的交流に関する研究 その1 -,日本建築学会計画系論文集,Vol.80,No.717,p.2439,2015.11.