舞台芸術家/松井るみ|フェイクが彩る世界

― ブロードウェイへ

田原迫 いろいろなお仕事を経験された中で、大きな転機になったことはなんでしょうか。

松井 『太平洋序曲』という2000年の作品ですね。新国立劇場の小劇場、宮本亜門(註4)さんの演出で、私にとっては初めてのミュージカル作品でした。日本が開国する前、1853年に黒船が来る前のお話で、それをアメリカ人の作曲家と脚本家がミュージカルにしたという、すごく不思議な作品で。開国で後の日本がどう変わっていくか、という社会派ミュージカルです。これはさっきお話ししたような人とのつながりで貰ったお仕事ではなくて、手掛けた作品のポートフォリオのオーディションで選ばれました。最初はすごく評判が悪くて、150人しか入らない客席がガラガラだったんですよ。でも、初日の幕が開いたときにすごいものを作ることができたと思えた数少ない作品の一つですね。

 この作品のオリジナル公演は1976年にブロードウェイで上演されたのですが、それを東京で、日本人の役者とスタッフが舞台にしようというもので。ブロードウェイって、例えば24景を飾る……つまり、24の異なる豪華なセットがあるというイメージなんですね。私たちはその24景をたった6枚の屏風で、一見すると少人数で作っているんじゃないかと思えるほどシンプルに表現しました。でも、初日前の舞台はトラブルが多すぎて、ものすごくカオスな状態になっていて。皆、自分が何をしているのかもわかっていないんじゃないかという状態でした。そんな状況で、あと数時間で幕が開いてしまうというときに、宮本亜門さんが、「皆、手が離せないのはわかっているけれど、集まって」と。全員が集まるとそこには驚くべき人数がいて、「この時間を一緒にいてくれてありがとう。この作品はここにいる全員で創るのだから、最後までやり遂げよう」と彼がおっしゃったんですね。その言葉で皆が冷静になり、そこから素晴らしい作品に仕上がりました。

田原迫 この作品で、ブロードウェイに進出されたんですよね。

松井 たまたまその年に、『太平洋序曲』の作曲家のスティーブン・ソンドハイム(Stephen Joshua Sondheim)が、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したんですね。私たちの公演と同じ時期にその授賞式があって、脚本家のジョン・ワイドマン(John Weidman)と二人で来日していて。千秋楽2日前に「『太平洋序曲』をやっているらしいよ」「じゃあ観に行こうか」とのことで来てくれて、大感動して帰っていったんです。ガラガラの客席でね。

 それがきっかけで、全てが好転していきました。ニューヨークのオリジナルバージョンは歌舞伎スタイルを使っているので、ものすごく派手なんです。私たちはそれと正反対のシンプルなセットで表現したことに感動したんでしょうね。是非上演したいということで、リンカーンセンター・フェスティバルという世界5大フェスティバルのひとつに招聘されました。それが大成功したので、ブロードウェイへ進出をして、トニー賞(註5)にもノミネートされて。タイミングと運が絡んでいるので、自分の力だけでは得られなかった経験ですね。瓢箪から駒のような話なんですけど、やはりそれが大きな転機になりました。
 

4)演出家。ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎など、ジャンルを越えて国内外で幅広い作品を手がけている。

5)アメリカ合衆国の演劇及びミュージカルの賞。演劇界で最も権威ある賞と見なされており、アカデミー賞と肩を並べる存在である。
 

ミュージカル『太平洋序曲』

― 演出家の“手”となる

岡崎 オリジナルの作品から雰囲気をがらっと変えるアイデアは、日米の文化の差から生まれたのでしょうか。

松井 ブロードウェイまで行けるなんて、最初は少しも思っていなかったから、日本の文化を大事にしようという意識はありませんでした。海外から見れば、作品から滲み出たジャパニーズカルチャーがすごく新鮮だったようだけど、私たちはそれを突破口にしようとは考えていなかったんです。ただ、『太平洋序曲』が成功したから、『Fantasticks』という作品でもう一度イギリスを制覇しようと挑戦したんだけど、その時は日本の文化を意識しすぎてうまくいきませんでした。だから、その感覚は反復できないのかもしれません。

岡崎 演出家の一言でスタッフ全員が同じ方向を向くというのは、建築の現場監督が職人を抱えて動かす現場の動きと一緒ですよね。建築の現場でもそのように意思を伝達するということはとても重要だと思うんです。それができる舞台芸術の現場の雰囲気を教えていただきたいです。

松井 そうですね。でも、そんなことが起こるのは万に一つくらいだと思います。だからこそ、すごく印象的に覚えてるんじゃないでしょうか。現場で実際にセットを作ってくれる職人さんとうまくコミュニケーションがとれないとできないことはたくさんありますが、そのコミュニケーションにパワーを注げるタイプの演出家と、そうでない演出家がいるんです。あの現場でそれができたのは、宮本亜門さんが前者のタイプで、皆で力を合わせようということを平気で言える珍しい日本人だからではないかと思います。そういうことって、やはりなかなか言えないんですよね。

岡崎 演出家と舞台美術家の関係はどのようなものですか。


松井 演出家は、舞台セットについて具体的な形を提案するのではなくて、イメージをすごく抽象的な言語で伝えてくるんです。私たちはそれを絵にして立体にして図面にして、ということをしています。だから、舞台美術家は例えるなら演出家の“手”ですね。

加藤 演出家とスタッフの間に立って通訳をする、ということでしょうか。

松井 そうですね。宮本亜門さんとは『太平洋序曲』が一作目だったんですけど、それがだんだんと続いていくと、ほとんど通訳みたいになってきます。多くの場合、演出家が喋ってることってよくわからなかったりするんです。だから、演出家と製作スタッフの中間で共通言語を持っている我々が、スタッフに演出家の意図を説明しなければならないんですね。

加藤 舞台が成功するかどうかは、あらかじめ感じ取れますか。

松井 5割は台本で決まります。台本を読んだときに面白いと思えるものは、やはり良い舞台になることが多いですね。あと、演劇界がすごく狭くなっていて、最初に顔合わせしたときにどんな舞台になるのかが読めてしまいます。それは少し残念に感じていますね。演劇の舞台裏が閉鎖的だからではないでしょうか。演劇の世界では、舞台裏をお客様に見せてはいけないという感覚があるんですね。だから、業界に入って来る人があまりいないのが現実です。そもそも、劇場に行こうってなかなか思わないじゃないですか。でも、私が美術を手掛けた舞台を観に行ってくれたんですね。建築を勉強している学生だったら、実際に劇場に足を運ぶという経験は良いことだと思いますよ。

(このインタビューに先立って、聞き手は松井氏が舞台美術を手掛けた『8月の家族たち』を森ノ宮ピロティホールで鑑賞した。)

 

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