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音風景研究家・サウンドスケープデザイナー/鳥越けい子|都市を聞く、風景を聴く

瀧廉太郎は言った…「音は眼でとらえることができる」
視覚から受け取る情報の中には、私たちが気づいていないことがあるかもしれない。無意識の知覚に目を向けてみよう。鳥越けい子氏がその設計の際に参加した、大分県竹田市の「瀧廉太郎記念館」を
訪問する。実際に音風景を体感しながら、音から広がっていく世界について伺う。

― 竹田という場所

廉太郎を育てた音風景を追体験する庭

高野 記念館の設計にあたって、サウンドスケープの立場からどのようなアプローチをされたのかを伺えますか。


鳥越 記念館全体の設計は当時熊本大学の教授でいらっしゃった建築家の木島安史さんの監修で、私はその依頼を受けて庭の設計を担当しました。この家が記念館になったのは、瀧廉太郎が12 歳からの2年半ぐらいのあいだ、実際にここに住んでいたからです。特にそういう場所じゃなくても、記念館をつくることだってできるでしょ。でもここは、父親の仕事の関係で日本各地を転々としていた廉太郎が、10 代前半にようやく「自分の故郷ができた」と思った場所。将来は作曲家になろうと決心する少年の感性を育んだ、まさにその場所です。


高野 瀧廉太郎が作曲家になるきっかけになった場所であることが重要なのでしょうか。


鳥越 サウンドスケープでは、こうした場所性、場所の持っている意味をすごく大事にする。デザイン的にも、単純に同じ音を再現することではなく、「だれが、どこで、いつ、どのように聞いた音か」ということを伝えることにポイントがあるんです。旧宅を記念館にするなら、当時ここで彼が毎日どんな音を聞いていたんだろう、と思いました。ですから、来館者の人たちが廉太郎を育てた音風景を追体験できるような庭づくりを、そのデザインのコンセプトにしたんです。


高野 少年の瀧廉太郎が聞いた音を、どのように再構成していくのですか。


鳥越 もっとも、音は形にとどまらない。建物は残っていても、瀧廉太郎が小さいときに聞いていた音は、同じようには残っていない。そういうときには、聞き取り調査や文献調査が有効です。つまり、瀧廉太郎が日々聞いていた音を発するもの、つまり” 音のアイテム” を洗い出していって、それを従来型の庭のデザイン手法の中に落としていく。そのようにして、瀧廉太郎が聞いていた音風景を凝縮することで、それをシンボリックに追体験できるような新たな庭をデザインしたわけです。

「瀧廉太郎記念館」外観

飛び石と下駄

溝川

― 飛び石と下駄

高野 アイテムに落とし込むというときに、具体的にはどういうことを考えて素材やデザイン手法を決めているのですか。


鳥越 例えば庭にある飛び石。当時この辺のこどもたちは裸足か下駄だったんですって。廉太郎の場合は下駄で飛び石の上を歩いていて、来館者がその音を追体験するためには、いろいろな工夫が必要でした。普通はスニーカーとかハイヒールを履いてくるでしょうから、まずは記念館の入り口で履物を脱ぐ。そして、下駄を履いて庭に出るようにしました。そのとき、ソックスとかストッキングでは、鼻緒がある下駄は確かに履きにくい。そこで「なるほど当時は裸足だったのか」と気づいてもらうこともできる。


高野 不便な鼻緒の方がむしろ良いということですか。


鳥越 近代のデザインというのは機能性を重視するけど、むしろ不便であることや大変であることで何かを問いかけてくるデザインがあったっていい。そうして下駄に履き替えて、庭に出れば、飛び石の音がしますよね。その石の種類も、なるべくその地域の庭に昔から馴染んだものを庭師の人に選んでもらいました。

高野 その他にはどのようなことをされたのでしょうか。


鳥越 裏山に続く石段があるんですけど、あれは庭を改修している途中で出てきたものなんです。出てきたってことは、廉太郎も裏山にあがっていったときにここを通っていったはずだから、これはそのまま生かしました。庭の奥にある井戸も、改修中に出てきたんです。「ああ、じゃあこの井戸に響く音も瀧廉太郎は聞いていたんだ」というように、旧宅復元のプロセスで決めていったことも少なくありません。今は井戸として使っていないけれども、ヴィジュアルとしてとっておけば井戸につるべが落ちる音を想像したり、少年時代の廉太郎が井戸をのぞいたら、きっと「あーっ」って叫んだはず、と思うじゃないですか。そのように彼が体験した音風景を、新しい庭のデザインの中で再編集していきました。また、調査から分かったこととして、「縁の下にはキツネの親子が棲んでいて、庭に出て来たキツネに油揚げをあげる係は廉太郎だった」といったエピソードは、看板に書きました。彼は動物好きだったから、新しい庭にも小鳥たちがくるように、実のなる木を植えるなどしたんです。

記念館のサウンドスケープを竹田のまちに拡げる工夫 『瀧廉太郎と竹田の音風景』前出,p.10-11 より)

― 宇宙へつながる

高野 庭とその周辺との関係性についてはどのようにお考えでしょうか。


鳥越 こういった話をしていると、担当したのは庭の音環境計画だけって思われるでしょうが、実はそういうことでもないんです。見てわかるように、昔からの日本の家というのはオープンで、庭と一体になっている。たとえ閉めていても、建具は障子だったり襖だったり。だから家の中の音環境=庭の音環境で、庭の音風景を設計するということは、家のなかの音風景を設計することにもなるんですね。そこが西洋の石造りの家とその庭の音づくりと違うところです。例えば、廉太郎がお父さんと畳
の部屋で寝ていたとき、玄関前の溝川の音がよく聞こえたといいます。今は暗渠(あんきょ)となり聞こえなくなってしまったその溝川の音を復元するため、井戸の近くに同じ溝川を流れる水を引き、土塀沿いの側溝に段差を設け、この家や庭でその水音が聞けるようにしました。このとき、家の中で聞こえる音というのは、庭の音環境をデザインすることによって決まってくるということを意識しているんですよね。形にとどまらない音だからこそ、記念館の内部空間を庭に、それをまち全体に、さらには竹田のまちが依拠する阿蘇や久住の山並みに代表される、周囲の自然界そのものへとつなげていってくれると思うの。実際のところ、溝川の水は阿蘇の伏流水ですから…。


嶌岡 庭だけではないということですね。


鳥越 「庭づくりのコンセプトは?」と言われると、「来館者による廉太郎の音風景の追体験」っていうこと止まりになってしまうのですが、もっと深いところでは、音の世界によって、日々の、本当にベーシックな毎日の暮らしを、大自然や、もっと言えば宇宙につなげていくことがあります。瀧廉太郎と言えば「荒城の月」でしょう。月っていったらもう宇宙ですよ。そのように、極めてローカルで具体的な場所と周囲の世界をつなげてくれるメディアが音風景なんです。だからサウンドスケープっていいと思うのね。私なりの解釈ですけど。そういう考え方をもとに庭のデザインをやっていたので、この記念館を拠点に竹田のまち全体のあり方とかまちづくり対して、今もいろいろな提言をしているわけです。

― 記憶・伝承の音

高野 著書『サウンドスケープ―その思想と実践(1997)』の中で書かれていた、「記憶・伝承の音」というのは実際にはどういう音のことでしょうか。


鳥越 例えば、「竹田七不思議」っていうのがあるんだけど、その中のひとつに、音の妖怪「溝川のおさん」というのがあるんです。そういったものが地域の「記憶の音・伝承の音」です。少年廉太郎もこの音をとても怖がったそうで、「悪さをすると、おさんが出るよ」というのが、母のマサが廉太郎を叱るときの決まり文句だったとのこと。庭の音風景をデザインするときに、溝川の音の復元にこだわったのはそのためでした。サウンドスケープというのはそういうのも大事にするわけです。


嶌岡 「記憶・伝承の音」に対する考え方が共感さえされればデザインは成功したといえるのでしょうか。


鳥越 それはどうかな。溝川の話でいえば、伝えるだけじゃなくて、そのもとになった水の音が聞こえなくなっていたから、その水の音を普段から感じられるようにしたっていう意味では具体的な音を変えているわけですよね。さらに時々、その音を「そういうふうに聞いてたんだ」っていうことを伝えていくことがデザインなんです。「伝承」っていうのはイメージの音も入っているんだから、みなさんが実際に聞いたことも音風景だけど、そういうことを「へぇ、そうだったんだ」って思うことも、新たな音風景を獲得していると考えるわけです。だけど現実は関係ないかというとそうではなくて、その話の延長線上で暗渠から水を流しているんだから、話だけというわけでもないんですよ。全体像を見せることが大事だと思うのね。だから、この庭の場合は、全体のコンセプトを伝えるために、室内の展示の一部でその解説をしたり、小冊子をつくったり、いろいろな工夫をしながらやらないといけないと思うんですよ。私がいて、こんなふうに質問してくれたときだけわかるっていうのは、公共空間のデザインとしては違うでしょう。サウンドスケープはこういうトータルな仕事としてやっていかないといけないと思ってるんですね。でもそれは常にじゃないですよ。このタイプのプロジェクトだからであって、やっぱり仕事によっていろいろやり方は違うと思うんです。

― 都市を聴くプロジェクト

高野 他にはどのような活動をされているのでしょうか。


鳥越 東京の日本橋周辺で開催している『名橋たちの音を聴く』というプロジェクトに参加して今年で5年目になります。首都高下の日本橋川には、日本橋を含め、常磐橋から江戸橋まで個性的な5つの橋があるんです。それらの橋の下を通過しながら台船の上で音楽会です。ふつうの音楽会なら「こんなうるさい所でしなくてもいいんじゃない」ってなると思うのね。この最終的な目的は、音楽をきっかけにして「都市を聴く」。そのきっかけは日本橋の架橋100 周年でした。日本橋はもともと周りの景色がよく見渡せる場所だったので、首都高を撤去しようという運動があるんです。でもその運動では見た目の景観のことばかりで、音の景観については誰も何も言わないことは問題だと私は考えていました。音環境の存在を意識し、首都高がその音環境にも悪影響を及ぼしていることに気づいてももらうためには、このようなプロジェクトはかなり有効です。
        
西尾 その音楽会は鳥越さんが始められたのでしょうか。


鳥越 いいえ、『都市楽師プロジェクト』主宰の鷲野宏さんです。鷲野さんは、他にも音楽を通して建築・都市空間に対する気づきを促すいろいろなイベントを企画・実施していますが、『名橋たちの音を聴く』は、都市の音環境と音楽が一番ダイレクトに関わってきて、サウンドスケープ観点から特に興味深いプロジェクトです。ということで、このイベントは私もずっと一緒にやっているんです。


西尾 具体的にはどのような音楽会なのでしょうか。


鳥越 まず、参加する楽器が毎年違うし、川からは橋だけではなくて三井本館、三越や日本銀行といった建築物も見えれば、それぞれの地点の土地の来歴といったものもある。それら全てによる風景全体を踏まえて、実際のプログラムを決めていきます。歌や音楽の開始地点も、橋に入るそのちょっと手前にすると、音楽の演奏中に橋の下に入るのでその響きがぐっと変化する。江戸橋の下などは、声や楽器がよく響いてまるでカテドラルの中のよう。「こんなところにこんなにいい音響空間があるのか」って驚きます。高速道路や橋、そこから見える日本銀行などの建物も含めた都市の装置を使いながら楽しむ。ある意味とても贅沢な音楽会です。

日本橋川でのプロジェクト「名橋たちの音を聴く」 (撮影:山口敦)

― 「音楽」との違い

高野 サウンドスケープによってどのようなことができるとお考えでしょうか。


鳥越 もともとサウンドスケープって、単に「音が大事」っていっているんじゃなくって、「風景の中に音がある」ということを忘れないでねっていう考え方だと私は思っているんです。最終的には環境計画全体の中に音の問題、さらには形にならない場所の記憶といったものが忘れずに組み込まれていけばいいと思います。ですから若いときはやりにくかったんですよ。私は音大出身で、「音楽でしょ?」って思われがちだったので、「それだけじゃない」ということをずっと言ってきました。でも青山学院大学では総合文化政策学部で教えているから、学生にも伝えやすい。音楽の話をするかもしれないけど、音楽のためにしているんじゃなくて、音楽を通じて建築や都市を読むという話がしやすい。むしろこれまでの建築からだけじゃ気づかないことを話すために音や音楽を使うということです。でも、例えば古代ギリシアぐらいに遡れば、音楽っていうのはもともとそういう広い概念だし、音楽の本質はそういうものだと私は思います。

嶌岡 サウンドスケープは単に音楽を流すとか、そういうことではないということですね。


鳥越 例えばこの瀧廉太郎記念館は開館してから20 年も経ちますが、博物館にあるような展示ケースがたくさん置かれてしまい、館内の和室でのんびり座るなんていう雰囲気ではなくなってしまっていたの。この庭の音風景のデザインは、復元した日本家屋の和室で座るといったことを前提としています。だから「サウンドスケープの計画対象は庭なんだから、室内に何を置いてもその破壊や冒涜にはなりませんよね?」って言われたら、それは全く違う。音の風景は、室内でちゃんと座れて、のんびり縁側にたたずんでという全体の関係性のなかで成立するのに、そういう関係をぶった切った発想がまかり通るのは残念です。だから今回、私が監修した記念館のリニューアル事業で、鷲野さんがデザインと和室用展示ケースを開発してくれたんですよ。


高野 サウンドスケープは、竹田でいえば記念館とまちを音を通してつなげるような役割を果たしているのでしょうか。


鳥越 そうですね。でも、それらはもともとつながっているわけだから正確にはつなげるのではなく、つながりを確認するのに役に立つということです。例えば、湧水があるからその地点に人間は集落をつくる。そういう場所に都市ができるわけでしょう。今はそういうことを忘れ過ぎなんです。なんでも人間がデザインできると錯覚して、本質的な自然界とその家なり町なり都市との絶対的なつながりを忘れて、近代文明的な考え方でバラバラにつくっていきがちです。でも、まずは土地そのものを読まないといけない。この竹田はそういうことのやりやすい町だなって思います。そういう関係はもちろん京都や東京にもある。そこを再確認するようなことに私は興味があるの。かといって常に古いままがいいわけじゃなくて、それを新しい形で、常に新たな行為を以て確認していかなかったら、そのつながり全体が生き生きしてこないと思うのね。


高野 サウンドスケープの対象は自然の音だけでしょうか。


鳥越 サウンドスケープの考え方のいい点は、「サウンド」だけだと人はどうしても、一つひとつの音を意識してしまうじゃないですか。「音楽」といった場合もそうですね。音楽以外の音は「雑音」だとしてしまうのは今までの考え方だけど、「サウンドスケープ」といった場合には、言葉や音楽のような人為的な音から自然界の音まですべて入ってくる。それらが全部、特定の場所でつながってくるその状況全体として捉えようっていう考え方だと私は思うのね。


嶌岡 それがまた別の場所だったりしたら、どのようにデザインしていくのでしょうか。


鳥越 それぞれの計画のグランドデザインによりますね。どんな場合にも、一人で勝手にはできない。それは建築と同じじゃないですか。そのプロジェクトをどう読み込んで、自分としてはどういうところで何にこだわって、どういうふうに表現したいかを決めていく。この記念館での仕事でも同じことです。だからそこでクリエイティビティを放棄してはいないと思う。

― 『風聴亭』

渡辺 現代的な音というのは、パソコンや携帯からの音、車の音などいろんな音が混在していると思うのですが、そういう現代的なサウンドスケープに関しては興味をお持ちですか?


鳥越 音楽に関してもすごく解像度の高いものをダウンロードして、楽しむということにも興味はあります。でも、そういったことは、音楽のあり方としてはどこか痩せ細っている気がするの。サウンドとしては進化していくんだけど、それは自分をデジタル世界に閉じ込めて、他のリアルな空間との関係性をもたないまま狭い世界で高度になっていく。だからこそ首都高の下で音楽をしたくなってしまいますよね。そうじゃない音楽のあり方もあると思うし、それはそれでいいと思うけれど。


西尾 どちらかというと空間的に広がりのあるものに関心があるということなのでしょうか?


鳥越 自分でもよくわからないんですが。自分の家のとき、『風聴亭』というコンセプトで計画したんです。結果的にそれも外とつながることになったんですよね。具体的に言うと、私は小さいときから近所の家の屋敷林のざわめきを聴いて育ってきたので、その屋敷林の音風景を愛でるためのスペシャルシートみたいな家をつくりたいと思ったんですよ。音楽ファンの人が完全防音にして、すごく良いスピーカーを買うようなお金の使い方をしなかったの。その意味では、『風聴亭』のように音風景を通じて周囲の環境とつながるということがたぶん好きなんでしょうね。でも、日本橋周辺のようなものすごくうるさい場所に住んでいたとしたら、『風聴亭』のような計画はできなかったでしょうね。

― 日々の中で感じること

高野 日常での体験の中で建築の音環境についてはどのように
お考えでしょうか。


鳥越 例えば喫茶店とかレストランに行ったときに、見た目はすごくステキなのに、普通に話していると声が聞こえにくいため、つい大きな声で話してしまうときがよくあるのね。家に帰ってから「今日はどうしてこんな疲れているのかな」って思い返すと、「あそこのレストランで声が聞こえにくかったからだな」というように、普段生活していると音環境がよくない空間が結構あるんです。だからもっと建築家の人には見た目ばかりじゃなくて、最終的には音環境も含めた居心地の良さとか、良いアクティビティを生む空間を計画してほしいと思うのね。そういう意味ではコンサートホールほどの音響設計をしている人は立派です。あのぐらいの気持ちで一般の建物でもちゃんと音響のことを考えてほしいと思う。みなさんには音の聞こえ方とか、空間の響きや音の気配について真剣に考えてほしいと思います。


渡辺 音の気配とはどのようなことでしょうか。


鳥越 それは、実際には音を発していなくても、素材による音響の違いがあるということです。瀧廉太郎記念館は木造ですけど、ここが大理石だったら気配が変わってくるんですよ。そういう意味での素材の選択も音環境デザインの一部。だからコンサートホールの設計だけが音環境に関係あるのではないのです。


高野 最後に建築を学ぶ学生にメッセージをいただけますでしょうか。


鳥越 みなさんがどんな建築家になろうとも、実はサウンドスケープという考えに関係してくるんですよね。だから自分とは関係ないって思わないでほしい。本当はそういうことも配慮できるような教育を受けてほしいんです。私が卒業した大学は美校と音校に分かれていて、建築は美術学部なので音とは関係なさそうに見えるんですけど絶対そうじゃない。建築は音風景のインフラを決定する。だから、みなさんもサウンドスケープデザイナーなんですよ。今日は特殊な話をしたけれども、みなさんには、それぞれの空間や環境のコンセプトにあったものを計画してほしいですね。どこにあってもいいものというのはなくて、場所をしっかり読み込んで、音も体感しつつ空間をデザインしてほしいです。まずは手始めに、みんなで話しやすい、みんなの声を聞きやすい空間を実現するにはどうしたらいいかといったことに、みなさんに取り組んでいただきたいというのが私からのメッセージです。

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