小室 舞|現在進行形バーゼル建築奮闘記
― はじめに
ETH チューリヒへの交換留学をきっかけに渡ったスイスでの滞在も、早いもので気がつけば7年を越え、Herzog & de Meuron での勤務も2013 年で6 年目を迎えました。1年の留学以上は何の予定も計画もないままでの渡欧でしたが、運良く職までいただくことができ現在の状況に至っています。このような大規模で国際的な事務所で働いてみて、 多様な国籍の同僚たちと共に国際的なプロジェクトに関わることは苦労も多いと同時に多くの刺激にも溢れていて、そこに大きな魅力を感じています。
留学はしたものの海外インターン経験も日本での実務経験もなかったため、海外の建築事務所で働くという環境がどのようなものなのかは始めるまで想像もつきませんでした。ただ、想像のつかない世界だからこそ、それがどんな環境であったとしてもこれまでの既成概念や価値観の枠組みを壊すほど、新たな世界でできるだけ多くの影響を受けたいということだけは思っていました。自分が日本で当然のごとく見て感じていた世界は非常に狭い世界にすぎず、そこで形成された価値観や建築への考え方は、自分の思っている以上に偏ったものなのではないかと、留学を通じて薄々感じていたからです。そしてここならその先のもっと広い世界が見えるのではないかと。新たな経験や刺激を咀嚼してキャパシティを拡げて、想像もつかないその先まで手を伸ばしてみたい。そう思いながらこれまで目の前のことに取り組んできたつもりです。
実際にどこまで自分が変われて成長できたのかはまだはっきりわかりませんが、ある程度の時間も経ち積み重なってきた経験を振り返ってみると、それなりに自分の経てきた道程が見えてきて、手応えも感じられるようになってきました。現在進行形ではあるものの、今となっては自分の建築観や設計観とも呼べるものはバーゼルでの経験無くしては語れないようになっていると思います。かなり個人的な経緯ではありますが、自分が海外で働いてきた経験や学んだことを振り返ってみたいと思います。
― 公共性
卒業設計で扱いきれないほどの巨大な設計に手を出し、大学院やETH 留学時のスタジオも意図せずして大規模プロジェクトに関わることが多かったため、小さいスケールの建物を詳細までじっくり設計したいなどとほのかに思いながら、HdM での仕事をスタートしました。が、その期待は見事に裏切られ、待っていたのはかなり大規模なロンドンのクリケット場の設計及びその敷地のマスタープランのコンペでした。まさかあの学生課題よりも大規模なものにあたってしまうとは。今までに取り組んだことのない規模であるのはもちろんのこと、そもそもクリケットなんてスポーツも知らず、コンペスケジュールも慌ただしい中、前途多難とも言えるスタートでした。
コンペで初めて関わることになったクリケットの世界。そもそもイギリスの伝統的で由緒あるクリケット場と言われても、日本人の感覚からして全くピンときません。クリケットという名前は聞いたことはあっても正直縁もゆかりもないスポーツです。ただ調べてみて心を駆り立てたのは、英国伝統のスポーツとしての独特の文化や習慣が根付いていて、単なるスポーツ施設以上の存在らしいということでした。勝手に解釈してみれば、伝統や独自性という面での両国国技館と、熱狂性や人気面での甲子園を、足して2 で割ったような存在といった感じでしょうか。そのクリケットの世界を身をもって実際に体験できたのは、コンペに勝利した後のことでした。このローズクリケット場では3 年に一度アッシュというオーストラリアとの重要な国際大会が開催されます。エリザベス女王も観戦に訪れたほど由緒あるこの大会を見に行く機会を得ることができました。
当日朝会場に近づいてまず目に入ったのは敷地周辺を囲みこむような長蛇の列。格式あるクリケットクラブ会員の紳士たちでさえ、早朝から良い席をとるために並んでいたのです。その上クリケットの最も正式な試合は最大5日間にもわたり開催される長期戦。試合時間が長い分ランチタイムや英国式ティータイムまであり、観客は丸一日をスタジアムで過ごすことになります。そのため観戦スタンドは自由に出入りしやすいつくりになっており、レストランなどの飲食の場が多く設置されています。クリケット場はスポーツ観戦の場であると同時に社交の場やレジャーの場としての様相を呈しているのです。 会場ではクリケット観戦だけでなくさまざまにその時間や場所を楽しむ人々が溢れ、今までに見たことのないような祝祭感と熱気に包まれていました。一つのスポーツを越えた世界観のようなものを共有しながら集まって熱狂する数万人もの人々の姿。思いっきり圧倒されました。事務所の中で一日中クリケット場のことを考えていても、何か遠い世界のように感じられていましたが、観客の一人としてその環境を経験して、一気にリアリティが湧いてきました。自分なんかがそのような歴史ある重要な場所の設計に関われていることの意義、極端に言えば自分の描く線がこれだけの伝統と歴史やたくさんの人々の楽しみの質を握っているのだということを肌で感じ、ちょっと身震いしてしまいました。ものすごい大きな責任感とそのやりがい。そしてそれまでにプロジェクトが大きすぎるだの何だのと若干不満に感じていた自分が情けなく思え、時間がかかろうとも公共プロジェクトの設計に携われることがいかに貴重で誇らしいことかを実感しました。かつては小さくてもいいから一人でも誰かを幸せにできるような設計をできればいいなと思っていて、今もそれはそうだとは思っているのですが、これを機に不特定多数の人に関わる公共性の高い場を設計したいという思いがより一層強くなりました。