中井 茂樹|ロベール・ブレッソン論-生きつづける関係-

― 想像力と創造

感動的な映像によって人を感動させるのではなく、映像に生気を与えると同時にそれを感動的なものにもする、映像相互間の諸関係によって感動させること。16

ここまで“ 境界” と“ 関係” に着目し、論を進めてきた。“ 境界” は“ 関係” を生み出すものであり、“ 関係” は単一の“ 関係” において成り立つのではなく階層的な構造を持ち、“ 反復” による時間的要素が“ 関係” に生の息吹を齎すのであった。では、この“ 境界” と“ 関係” を創造するものとは一体何であろうか。
それは、人間の想像力である。そこでシャルル・ボードレールの想像力の解釈を参考にしたい。ボードレールは、エドガー・アラン・ポーに関する批評のなかで次のように述べている。

〈想像力〉とは空想ではない。それはまた感受性でもない、想像力ある人間で感受性の強くないようなものを考えるのはむずかしいことではあるが。〈想像力〉とは、まず第一に、哲学的諸方法の外にあって、事物の内面で密かな関係を、照応と類縁関係を感知する、神々しいと言ってもいいような能力だ。17

ボードレールも述べるように、想像力とは“ 関係” を扱う能力のことなのである。
我々はブレッソンの映画の分析を通して、“ 存在” へと漸近し、“ 関係” へと遡行した。そして、それらを創造する人間へと漸う至るに達した。ブレッソンも勿論そのひとりである。
創造する人間とは、自らの想像力を駆使し“ 関係” を見出す者のことなのである。
しかしここで注意しなければならないことがある。それは、創造する人間自らが矛盾した“ 関係” の存在であることはできないということである。なぜならブレッソンが“ モデル”に「純粋な本質」を求めるように、人はその人自身でありつづけなければならないからだ。
創造する人間は、自らのなかに持ち得る二律背反とも思しき感覚を、その“ 関係” の葛藤を、自身で体現することの不可能性を承知のうえで、想像力に託し、創造行為へと昇華させるのである。そのようにして生れ出づる“ 関係” こそが、我々に感動を齎すのだ。
建築という創造行為にも同じことが言えるであろう。ジョン・サマーソンも次のように述べている。

本当は「新しい形態」などというものは在りはしないのだし、建築はどんな場合でも形態の問題ではなく形態の関係の問題なのであり、建築を刷新する者のみが建築家たり得るのだ。18

創造することとは新しい何かを生み出すことではなく、生きつづける“ 関係” を見出すことなのである。

16. ロベール・ブレッソン 前掲書 pp.119-120
17. シャルル・ボードレール『ボードレール全集Ⅱ 文芸批評』 阿部良雄訳 筑摩書房 1984 p.167
18. ジョン・サマーソン『天上の館』 鈴木博之訳 鹿島出版会 1972 p.262

 

― 建築家の矜持

最後に、19 世紀の画家であるウジェーヌ・ドラクロワの建築家に関する記述を記して纏めとしたい。

建築上のすべての条件を真にそなえた建築家は、偉大な画家よりも、偉大な詩人や音楽家よりも、もっと稀有な第一人者のように私には思える。偉大な良識と壮大な霊感が、絶対的に必然な一致をしているのにまず驚かされる。建築の出発点を形成する実用的な部分部分、その本質である細部が、なによりもそれらの装飾を凌いでいる。彼の主題であるこの実用に適合する装飾をそこに提供するのがつまりは芸術家なのである。私は適当なと言うが、それは彼のプランをその実用と正確な比例の立場で設定したあとで、ある方法にかぎってこのプランを潤飾し得るに過ぎないからである。彼は気ままにこの装飾をむだづかいしたり、省略したりはできない。プランが実用にぴったり合わなければならないように、それもまたプランに適応させなければならない。画家や詩人が、雅致や魅力や想像上の効果に対してなす犠牲は、正しい理屈に反する幾千の欠陥のいいわけになる。建築家の許される唯一の放縦は、偉大な作家がある種の言葉の上で行うわがままとあるいは比較できるかもしれない。世間一般に使われている用語を保持しながら、独特の表現法がそこに新しい言葉をつくり出すように、建築家も、すべての建築家の領土で計画し、同時に、啓示された装飾を用いることによって、そこに思いがけない、しかも彼が芸術の目的を達するためにほどこした美を実現する、ある新しさを提示する。天分ある建築家は当然、記念的建築物を模するだろうが、改造することによって、それを独創的にすることをわきまえている。場所に適合させ、離れたところから、その釣合いおよび、彼がまったく一新したそのままの秩序を見ることだろう。19

建築家の矜持とはそのようなものであると私は考えている。

19. ウジェーヌ・ドラクロワ『ドラクロワの日記 1822-1850』 中井あい訳 二見書房 1969 p.285

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