• HOME
  • ブログ
  • ESSAY
  • 惹かれるもの、よく分からないもの。つまり、私が研究者である理由。|福田 伊織

惹かれるもの、よく分からないもの。つまり、私が研究者である理由。|福田 伊織

Iori FUKUDA | Restless Wonder — The Impulse Driving My Research

 私は惹かれる。時に無謀なことに、時に理不尽な現実に。あるいは、自分が持っていないもの、もしくは、よく見知ったはずだけど新鮮に感じられるものに。つまり、自分にはよく分からないものに。

無謀?

 私の受け入れ教員である荒木先生は、20年以上前にアメリカでの長期滞在を始める際、宿を決めずに渡米したらしい。正直に言えば、「スマホもない時代になんと無謀なことを…!」と思った。実際、(宿無しで到着した)空港で公衆電話がうまく使えず困ったそうだ。クォーター(25セント)コインを使うのだと地元の方に教えてもらって乗り切ったと聞いたが、一番驚いたのは、その後「まあ、でも到着後、数週間もしないうちに車を手に入れて運転していたんだけどね」と先生がおっしゃったことだった。なんというバイタリティか。私なら空港でプリペイドSIMカードが買えなかっただけで3時間泣いているに違いない…いや、さすがにそれは嘘だが。実のところ、私はいまニュージーランド(NZ)のカンタベリー大学に長期滞在している。到着から数ヶ月経った頃、唐突にこのエピソードを思い出した私は、きっと真似すべきはそこではないのだが、「俺も海外で車を運転してみたい」と思い立って、レンタカーを使った1000km超えのロードトリップを企てた。出張時、大学教授がゾロゾロ乗っかるミニバンの運転手を務めた時に、「…駐車だけは他の方にやってもらいな」と優しい目で言われた私が、である。最近流行りのChatGPTに相談しながら立てた計画は、そのChatGPTから「無謀とは言いませんが、ペーパードライバーなのに無茶しますね」と言われる始末。それでも、日本のゴールデンウィークに合わせて敢行したそれは無事に終わり、ありがたいことに私は無事故無違反で、五体満足で生きている。なぜそんなことを私がしたのか?分からない。分からないが、挑戦してみたかった。なぜそんな挑戦をするのか?それもまた、説明なんてつかないのだ。

多様性の時代でも理不尽はあるし、隣の芝は青い

 NZではさまざまな国籍の人に出会った。多文化社会の醍醐味は何か?食事である。特に、中東料理は例えようがないほどに美味しい。かつて、サウジアラビア出身の友人と食べに行ったイエメン料理は、私の中東に対する印象を塗り替えるほどだった。それを覚えていた私は、イラン出身の方と仲良くなった際に、異文化交流として「お互いの国の料理を出してくれるレストランへ行こう」という約束をした。最初に私のターンを終えて、続いては彼のターン。さて、ペルシャ料理とはどんなものだろうか?と、日取りを決めてウキウキしていた私に届いたのは、イスラエルとイランが紛争を始めて、アメリカが新型のバンカーバスターをイランに投下したという、衝撃的なニュースだった。今なお予断を許さないこの情勢だが、当時は今以上に緊張感があり、大学構内でも日中から真剣な顔で電話をするイラン出身の人たちをたくさん見かけた。彼の家族は無事とのことだったが、それで喜べるほど私も単純な人間ではなかった。…私にはアメリカ人の友人もいた。カンタベリー大学でのオフィスメイトの一人は、アメリカ人の大学からの訪問研究生だった。私にとってはどちらも素敵な友人だからこそ、私はこの出来事をどう受け止めればいいか最後まで分からなかった。そして、そんな時であっても、ペルシャ料理はどうしようもなく美味しかった。でも、我々が味わったのはきっと料理だけではないのだと思う。イラン人の彼が運転してくれる車に乗って家に向かう道すがら、彼に何度も感謝を告げながら噛み締めていたのは、たぶん、理不尽な現実というやつだった。
 サウジアラビア出身の友人とイエメン料理を食べに行ったのは、実はイギリス(UK)でのことである。博士後期課程時に6ヶ月滞在したUKで仲良くなった他の友人に、中国出身のポスドクがいる。東アジアの生まれ同士、私たちは非常に気が合った。ある時、彼が「日本では男性が女性に奢るのはいまだにスタンダードか?」と私に聞いてきたことがある。あぁ、ジェンダー平等は難しい話だよなぁと思って身構えたが、彼が続けた話は斜め上の方向から飛んできた。「中国では…僕らの世代は男性の方が人口が多いんだ。もし、一人っ子政策によって、一人しか子供を持てないなら…?身も蓋もない話だけど、男子がいいって人が一定数いた。故に、男性間の競争が激しくて、『女性に奢れるような男じゃないと結婚競争に勝てない』んだ。」小手先のジェンダー論を用意していた私は黙り込むしかなかった。…彼とは、この他にも「君の国のここが羨ましいよ」としばしば笑い合った。経済、文化、政治体制。善かれ悪しかれ、それがそこにあり続けるのは、誰かがそれを選び続けているから。つまりは、それが選ばれる理由があるから。…そうだとわかっているのに、どうして自分の国にあるものは小さく見えて、隣の国にある芝はこうも青く見えるのだろう。そして、他ならぬUKという国が、仲良く欧州の空気に当てられていた僕らの両方にとって、何よりも隣の芝だった気がする。

左:旅の途中で立ち寄った、映画 “The Lord of the Rings” のロケ地の一つと言われる場所。”Paradise” is such a name, isn’t it?
右:カンタベリー大学の中央図書館。マッシヴなコンクリートにはモダニズムの趣。

外国人としての日本人、田舎者としての関西

 こうして、「外国人としての日本人」として過ごす時間が長くなってくると、「外国から見た日本」を発見する機会も増える。そして、新しい日本を発見する度、私は少しずつ日本に惹かれている。特に、ここ京都は日本でも極め付けの土地だ。極上のこころ配りが540度くらいひっくり返って、どうしようもない「いけず」と勘違いされるような、そういう土地。そういう勘違いを受けながら、天井が見えないオーバーツーリズムに苦しんでいても、どこか澄まし顔で人々が佇んでいる土地。私はそれを美しいと思うけれど、どうして美しいと思うのかを伝えることにはいつだって苦労する。どうしてだろう?分からない。
 そもそも、私は生まれてから博士課程卒業まで30年近く東北からほとんど出たことがなかったから、関西圏の文化の真髄など、きっと理解してはいないのだろう。祇園四条の雅さに息を呑み、大阪梅田の煌びやかさに面食らい、鴨川デルタで遊ぶ子供たちを見かけて思わず微笑んで、JR新快速から眺める阪神高速の高架橋に現代工業の力強さを感じる。田舎にだって、京阪神にない良さがあるけれど、京阪神には東北の田舎にはない、歴史を重ねた街ならではの「何か」がある。それが何なのかは、やっぱり、まだ分からない。

私が研究者である理由

 いろんなことが分からないままだったから、私は研究者になろうと思ったのかもしれない。私の博士論文の指導教員だった、京大OBの五十子先生が私に提示したテーマも、「材料非線形性と幾何学的非線形性の複合効果による骨組捩れ変形の累積挙動の解明」という、一筋縄ではいかないものだった。研究とは本来そういうものだと今は理解しているけれど、分からないものが分からないまま時間が流れていくことはとても辛かった。「きっと糸口になる」と言われて渡された古い英語論文は数式に溢れていて、英語が分からないのか、それとも数学や理論展開が分からないのか、当初は判然としなかった。また、テーマの背景を掴むことにとても苦労したから、自分の研究でありながら、「君は何の研究を何のためにしているの?」という質問に、しばらくの間うまく答えられなかった。けれども、私は心の奥底のどこかで「その『分からない』という不愉快なものをなんとかしてみたい」と思い続けているから、分からないことだらけの研究の日常を選んだような気がしている。そして、研究者には、分からないものと取っ組み合い続けることで、誰かの、あるいは世界中すべての人の、幸せにつながりうるという希望がある。…実際には、それは絵空事かもしれない。博士号は私にとってこの上ない栄誉だけれども、ひっきりなしに世界中で起こり続ける地震による被害を減らすことに、私のそれは果たしてどれだけ貢献してきただろうか?目の前にいる大切な人たちが地震に苦しまずに済む幸せと、私たちが日々向き合い続けている実験の試験体やプログラムの羅列、ひっきりなしに届く電子メールの山は、本当にどこかではつながっているのだろうか?私はいつか、この研究を通じて、私が目にした理不尽や隣の芝の青さに立ち向かえるようになるのだろうか?もしかしたら、大学の先生たちもそういうことに日々悩んでいるのかもしれない。先人たちが作り上げてきた枠組みをどうやって超えるか?あるいは、いかに違うことをするか?教授という肩書きが作り出す巨大な像に向けられる眼差しを感じながら、目の前にある現実に向き合い続ける中で、今日もどこかで打ちのめされているのかもしれない。
 それでも私は研究者として、夢を語りたいと思う。自分がいつか、世界中すべての人の、幸せにつながる研究を打ち立てられることを目指したい。そうして、なかなか進まない英語の原稿や、カツカツなスケジュールの実験・数値解析に、今日もかじりついている。何かよく分からないものに惹かれて、研究を突き動かしている。きっと、あなたがそうしているように。

左:ペルシア料理。お米が脇役だと油断していると、口にした途端に香りの高さで絶句する。  
右:2024/8/16、下鴨納涼古本まつりの帰りに鴨川デルタを臨む。
この日、人生で初めて京都五山送り火をみた。

福田 伊織(ふくだ・いおり)
1994年青森県弘前市生まれ。2024年3月東北大学大学院 都市・建築学専攻 博士後期課程修了。博士論文の指導教官は中村・上谷研OBの五十子 幸樹教授で、荒木 慶一教授のご先輩。不思議なご縁で京大にやってきたが、京仕草をうっかり見逃していないかと未だにちょっと怯えている。

関連記事一覧