フランス歴史建築考|上住 彩華
幾世代もの人々が残した歴史的に重要な記念建造物は、過去からのメッセージを豊かに含んでおり、長期にわたる伝統の生きた証拠として現在に伝えられている。今日、人々はますます人間的な諸価値はひとつであると意識するようになり、古い記念建造物を人類共有の財産とみなすようになってきた。未来の世代のために、これらの記念建造物を守っていこうという共同の責任も認識されるようになった。こうした記念建造物の真正な価値を完全に守りながら後世に伝えていくことが、われわれの義務となっている。
( ヴェニス憲章, 1964 年)
― はじめに
パリと京都は似ていると言われることがある。京都で学生生活をおくった身としては、確かに色々と共通点を見つけることはできる。世界的な観光都市であること、学生の街であること、徒歩や自転車で街の端から端まで移動できるヒューマンスケールの街であること、そして戦災を免れた歴史都市であるということなどである。特に歴史的街並みに関して言えば、パリも京都も古いものを大事にしながら現代に受け継いできているという意味では、確かに似ていると言えるかもしれない。
パリの歴史的な街並みといった時、どのような風景を思い浮かべるだろうか。大抵の人がイメージするのはオスマンによって計画された街並みではないかと思う。19 世紀半ばセーヌ県知事であったジョルジュ・オスマン Georges-Eugène Haussmann によって行われたパリ大改造は、幅の広い道路網を整備することでスラム排除とパリの衛生改善に大きく寄与し、パリは中世都市から近代都市へと変貌を果たすこととなった。また新しく整備された道路沿いの建物は、高さ、屋根の勾配、素材など外観に規制をかけることで、統一された都市景観を形成するように計画された。この時代の建築はオスマン様式と呼ばれるが、店舗スペースとして使われる階高の高い一階と中二階 、三階と五階のバルコニー、45 度勾配の屋根などが特徴で 、通り全体で見た時にバルコニーや軒飾り、屋根が完璧な水平ラインを形成するように設計されている。
一方で、オスマンによる改造が及ばなかった通りを見てみると、 様々な時代様式の高さもまちまちの建造物がまじりあって街並みを形成しており、私自身はこちらの方がパリらしい街並みなのではないかと思っている。地震がないためか、一般的に建造物は永久に存続するものと考えられているようで、アパートなどをとってみても築100 年など当たり前、古いものだと17 世紀や16 世紀まで遡ることもある。フランスで家探しをしているとよく、大家さんが「ここには昔ドアがあったんだけれど、父が改装してこういう風になったんだ」とか「ここは寝室だったけれど引っ越してきた時に居間にしたんだ」などと家の歴史を事細かに説明してくれることがある。みな多かれ少なかれ改装を加えながら、現在の生活スタイルに合わせてうまく住み続けていっているのである。
オスマンが取り入れた、通りに面したファサードを美しく整える、という原則は現在まで受け継がれている。例えば、パリ市内の建築物は10 年に一度の外壁の汚れ落とし・塗り替えが条例で義務付けられているのだが、この条例が作られたのはこのオスマンの時代である。1実際には市からの通達が来てから行われることが多いので、現実的には15 〜20 年間隔ぐらいになるようだが、 地域ごとに入れ替わりで足場が組まれ、一斉に塗り替えをやっている。このように通りから見ると100 年以上前から何も変わっていないように見えるパリの建築物だが、内部では細胞のように分裂、結合、変貌を繰り返している。相続や離婚にともなって大きなアパートが2つの小さなアパートとして売りに出されたり、あるいは小さな面積のアパートが隣人によって買い上げられて大きなアパートに吸収されたりと、建物内部の境界線はつねに動き続けている。またファサディズムFaçadismeとよばれる改修手法がある。通りに面したファサードのみをそのまま保存し、そこから後ろは全て解体し新規に建て直すという方法である。住宅として使われていたオスマン様式の建物を効率的なオフィスに変更する場合などに用いられる方法だが、言いかえれば新築建造物に昔からのファサードを貼り付けたようなものなので、歴史的観点からは批判されることも多い。パリ市内の場合、 ZAC - Zone d’Aménagement Concerté と呼ばれるいわゆる再開発地域を除けば、新築工事の機会は非常に限られている。そのため、既存建物を活用して現代社会の要求に対応していくという事例を多く見ることができる。古くはオルセー美術館やルーブル美術館などがその代表的な例であり、フランス文化省やイル・ド・フランス地方の建築家協会の建物も重要文化財として登録されている建物を改修したものである。フランス全体においても、既存建物に対する建築工事は大きな割合を占めており、その内容は、修復・増築・改築・再生と様々である。
1 Décret du 26 mars 1852 relatif aux rues de Paris
― フランスの建築教育
もともとフランスの建築教育はボザール( 国立高等美術学校) で行われていたのが、1968 年の改革後パリおよび地方の建築大学へと分散した。フランスで建築家になるためには、フランス全国に現在20 校ある国立建築大学か、私立の建築専門学校( パリ)、国立応用科学院の建築部門( ストラスブール) のいずれかを修了する必要がある。2005 年の教育制度改革により、計6年間だった建築大学のカリキュラムは、 学士相当3年、修士相当2年の計5年の課程に短縮された。しかし、その後建築家として登録するためには、実務研修6ヶ月と法規や経済の授業などからなる HMONP という一年間の課程を修了しなければならないことになっている。
このように現在では私が学生だった頃とは少しシステムが変わってしまっているのだが、私の卒業したヴァル・ド・セーヌ建築大学 Ecole d’architecture de Paris-Val de Seine での5 年生の授業について少し話しておきたい。現在パリ市内には4校の国立建築学校があるが、当時のヴァル・ド・セーヌは、ラ・セーヌ、ヴィルマン、ラ・デファンス、コンフランという4つの建築大学が統合したばかりで、校舎はパリ市内および郊外の複数のキャンパスに散在し 2、教育制度も各校がそれぞれ独自のカリキュラムを提供しているというまったく混乱極まりない状況だった。私は結局ヴィルマンのオプションを選んだことになり、パリ6区のセーヌ川沿いに位置するボザールのキャンパスで授業を受けることになった。ボザールの重厚な門をくぐり、荘厳な建物の横を通り抜けるたびに歴史の重みを感じてなんだかドキドキしたのを覚えている。ちなみに私たちが授業を受けていたのは「仮設校舎」だった。10 年以上ずっと存在しているので、もはや「仮設」ではないと思うのだが、100 年単位ではやっぱり「仮設」という意味なのだろうか。
さて、当時の5年生( 第三課程一年目) のカリキュラムは、様々なテーマの設計のスタジオコースと、二つのセミナー( そのうち一つでは論文提出) を、各自の興味のある分野から選ぶようになっていた。その中から私が選んだのは歴史的建造物の保存・改修がテーマの設計スタジオで、ヴェルサイユにある17 世紀から18 世紀にかけて建設された建物を博物館に改修するという課題だった。教授陣は、現役の建築家と2人のエンジニアという組み合わせで、 重要文化財にも指定されている建物の歴史や調査、分析を行ったのち、一年間かけてプロジェクトを仕上げるというものだった。また、このスタジオコースと連携したセミナーでは、シトー派修道院の研究を行っており、南仏にあるロマネスク修道院に泊りがけで実測をしにいったりした。石造建造物にあまり馴染みのなかった私にとっては、すべてが新鮮な体験だった。そんなわけで当時の同級生のなかには、次にあげる歴史的建造物の専門家という道を選んだ友人が何人かいる。
2 フレデリック・ボレル Frédéric Borel による新校舎が2003 年にパリ13 区南東マセナ地区に完成し、現在はそちらにすべて移行している。
― Architecte de Patrimoine
文化財建築家 Architecte de Patrimoine とは歴史的建造物の保存、修復、再生に関する高等教育を行うシャイヨ学校 Ecole de Chaillot を修了した建築家のことである。シャイヨ学校は、1887 年に中世建築の修復で知られるウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュック Eugène Emmanuel Viollet-le-Duc の弟子であるアナトール・ド・ボード Anatole deBaudot によって創設され、現在はシャイヨ高等教育センター Centre des Hautes Etudes deChaillot として建築家を対象に、歴史的建造物の知識や技術を習得するためのポスト・マスターに相当する2年間の教育課程を提供している。毎年60 人ほどの生徒が選抜され、様々な分野からの教師陣のもとで、歴史的建造物、歴史的都市の理解に必要なすべての技術をたたきこまれる。すでに何十年も建築家として経験を積んだ中高年の生徒の割合も多いようである。約900 名のシャイヨ学校の卒業生のほとんどは独立した建築家として、あるいは公的機関や民間に雇われる形で活動をしている( 残りの少数派は後述する文化財建造物主任建築家とフランス建造物建築家である)。
文化財建築家の活動内容としては、 建造物や都市空間の歴史考証・分析、国有文化財を除く重要文化財建造物に対する修復や補強、増築・新築工事、未登録の建造物の修復、などが挙げられる。フランスの文化財建造物 Monument Historique には、登録文化財Inscription と重要文化財 Classement の二段階があり、Classement のほうが文化財としての重要度は高い。この重要文化財建造物に対しては、修復、改修を問わず、手を加えることができるのは文化財建築家かそれと同等の資格を持つ諸外国の建築家、または後述の文化財建造物主任建築家のみとなっている。前述したように、フランスでは既存建物の活用の事例は数多く、一般の建築事務所がそのような改修・改築・増築を手がけることもできるが、その建築物が重要文化財建造物に指定されている場合、設計チームに文化財建築家を加えることが必須となる。
この文化財建築家の上位の資格にあたる、文化財建造物主任建築家 Architecte en Chefdes Monuments Historiques( 以下ACMH と略) は、国家試験によって不定期に選抜される文化財建造物の修復を専門とする建築家で、フランス全体で37 名 3 のACMH がおり、非常任の国家公務員という特殊な立場で活動している( 普段は独立した建築家として活動している)。各自の担当地域や担当建造物が決まっており、文化財建造物の修復およびその事前調査、またその保存に関しての助言などが主な役割である。重要文化財の中でも特に国有の文化財建造物については、修復を行えるのはACMH のみの特権となっている。
3 2013 年10 月のデータによる。