材料箱 ― 小見山研 ― 地球|村上 凌

My Material Box - My Laboratory - My Earth | Ryo MURAKAMI

「ブリコルールとしての私」

 2024年12月、名古屋市立大学の木村研究室との合同ゼミの中で、小見山先生の研究活動に関するレクチャーを受けた。このレクチャーの中で紹介された、ありあわせのデザインという概念がずっと頭に残っていて、色々と考えさせられている。ありあわせのデザインとはブリコルールの振る舞い(ブリコラージュ)の結果として生じるデザインであり、レヴィ=ストロースの著書「野生の思考」では、

ブリコルールは多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手を下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。

と記述されている。この概念に触れたことをきっかけに、大学生活に限らない私のこれまでの活動は、ありあわせのデザインという言葉によって包括的に語れるような気がした。私自身をブリコルールとして捉えなおし、これまでの活動を振り返ってみる。

「再解釈」

 大前提として、私たちはみなブリコルールとしての側面を持っている。図工の授業で空き箱を使って工作したり、冷蔵庫の中の余り物で料理したりという経験があるのではないか。自覚的であろうとなかろうと、自身のもちあわせ(インベントリ)を駆使して新しい価値を生み出しているという点で、ありあわせのデザインと言える。
 2025年4月、小見山研の引っ越しにともなって、新しく収納棚を準備する担当を引き受けた。既製品や棚板を購入してもいいができるだけ安くというお達しだったので、研究室に放っておかれていたIKEAの三脚と小見山先生の自邸の残材であるフローリング材を用いて、結局のところ一切予算を使わずに製作した。ボルトやビスを使わず、機械的かみ合いのみの接合であるため、必要に応じて棚を増やすことが可能である。この棚を再解釈するならば、IKEAの三脚によるデルタ型の構造体と数種類のフローリング材の混用によるモザイク模様が、もちあわせの特性によって副次的に生まれたデザインだと考えられる。

IKEAの三脚とフローリング材によって構成された収納棚

 2025年5月、モクテキ工藝社という京都大学と京都工芸繊維大学の学生で構成される学生団体のプロジェクトの一環で、小見山先生の自邸の残材を活用するベンチを製作した。クランプの機構を用いて角材や板材を挟み込んで座面とすることで、ベンチとして恣意的につくりすぎない、腰を掛けられる木材置き場というコンセプトで設計した。本作は小見山邸に置かせていただき、試作は小見山研に仮設し、現在、大判プリンターのロール紙の芯を束ねている。ロール紙の芯は、このためにストックされていたのだと錯覚するほど寸法と数量ともに完璧であり、誰が何のために蓄えていたのかは不明だが、小見山研の先人に感謝である。このベンチを再解釈するならば、木材に限らず、ロール紙の芯や塩ビ管などあらゆるストック材を挟み込み、そのマテリアルの違いや積み重ね方によって、大きさ、高さ、座り心地が変わり得るありあわせの家具だと考えられる。

ロール紙の芯を束ねて構成されたクランプ機構によるベンチ

 2025年7月、小見山研のプロジェクトとして、桂坂公園の利用者が自由に使うための折りたたみテントを試作した。誰でも簡単に組み立てられるような軽さであり、かつテントを補修したり新しく追加したりを手軽に行えるように、ホームセンターですぐ手に入る塩ビ管と塩ビ管専用のジョイントを用いてテントの構造体を設計した。本来の用途から外れて塩ビ管とジョイントを使うことで、水を通す
ための空洞は軽量化に寄与し、ジョイントは施工と解体を容易にするための部品として機能するというように価値が転換され、塩ビ管という素材が輝いて見えた気がした。このテントの構造体を再解釈するならば、ホームセンターという桂坂の住民にとって最も身近であろうインベントリに制限されることによって生まれた、ありあわせのデザインだと考えられる。

塩ビ管とジョイントによって構成された折りたたみテント

 ありあわせという言葉を一度も使わなかった活動でも、後に思い返すことで、ブリコルールとして振る舞っていたように解釈できるものが多くあることが興味深く思えた。これまで、自分の興味は手を動かすことにあると思っていたが、本当の興味はもちあわせによってものをつくることにあるのではと考えるようになった。

「材料箱 ― 小見山研 ― 地球」

 ありあわせのデザインの背後には、もちあわせをストックするためのインベントリが必ず存在する。インベントリによってデザインが決定されると言ってもよい。IKEAの三脚とフローリング材が余ってなかったら、ありきたりの安い収納棚を購入して満足していたかもしれない。大抵はゴミとして捨てられるロール紙の芯に材料としての可能性を感じてストックしてきた先人がいなければ、束ねてベンチにして使おうという発想すら起こり得なかった。それほどまでにインベントリはデザインに影響を及ぼす。
 私にとってのインベントリはいくつかあり、これまでブリコルールとしての私の活動を支えてくれたが、その原点は紛れもなく実家の材料入れである。実家には発泡トレーやらフィルムケースやらが雑多に詰め込まれた大きな紙袋があり、それを材料入れと呼んでいた。紙飛行機や貯金箱、ペットボトルロケットはすべてこの中から生まれ、幼い私にとって、材料入れは宝箱であり、あらゆるものをつくり出す世界同然だった。いつしか私自身も収集を始め、資材の世界を更新するようになった。トイレットペーパーの芯を集め、通学路に落ちていた角材を拾い、壊れた時計をそのまま突っ込んだりもした。資材の世界が広がるにつれて、できることが増えていく気がしていた。今思えば、これもブリコルールとしての振る舞いだったと解釈でき、インベントリを消費したり補充したりする中で、インベントリとの付き合い方を覚えていったのかもしれない。
 大学に入学し、小見山研というインベントリを手に入れたことは、私の活動に大きく影響したと思う。インベントリとしての小見山研はあまりに膨大な蓄積の産物であり、あらゆる可能性にあふれている。木材に始まり、コンクリート片や用途の分からない金具などなど、多様な資材が保管(投棄)されている。宝箱とゴミ箱は表裏一体なのかもしれない。プロジェクトで使った資材が堆積されていき、今度は別のプロジェクトで消費され流れていく。川の澱みのような場所である。
 2025年5月、小見山研の中にある資材のみを使って何ができるか試してみようと思った。はじめて、ありあわせということを意識的に自覚した活動であり、結果として一つのロッキングチェアをつくった。洗練されたチェアを目指すのではなく、材の加工痕や墨など、先人の蓄積が可視化できるようにつくった。小見山研というインベントリに浸ってきたことが、思考法にまで作用しているようだ。

小見山研のストック材のみで構成されたロッキングチェア

 ある日、道端で石を拾った。何に惹かれたのかは分からないが直感的に持って帰ってしまった。石工用のビットを買い、穴を開けてお香立てとして使ってみている。この石の所有者は誰だろうか。誰かに怒られるだろうか。そんなしょうもないことを考えてみると、地球上のあらゆるものを自由に扱っていいような気分になってきた。さながら地球というインベントリを手に入れたようである。
 実家の材料箱から始まった私のインベントリは、小見山研を経由して地球を飲み込まんとするほどに拡張し続けている。私が次に何を製作するかは、インベントリしだいである。やぶで竹を拾うかもしれない。壊れた自転車を譲り受けるかもしれない。未来はインベントリが教えてくれる。

参考文献
クロード・レヴィ=ストロース, 『野生の思考』, 大橋保夫訳, みすず書房, 1976


村上 凌(むらかみ・りょう)
京都大学大学院工学研究科建築学専攻、小見山研究室修士1年。小さいころから手を動かすことが好きで、工作から建築へと続いてきた。最近、真に惹かれているものは少し離れた場所にあり、手を動かすことのもう少し先にあるという気付きがあった。

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