ポルトガルの景色、多元的な都市たち|酒井 良多

ポルトガルの風景たち

1. 夜明けのリスボン

リスボン空港に到着したのは深夜でした。無人の待合室を見つけてベンチで横になり、朝になったら活動しようと一眠りしたのですが、未だ夜の帳の上がらぬうちに何かに突き動かされるように、気付いたら街に飛び出していました。灯りもまばらな街道を駅を目指してひたすら歩みを進めていると、犬を連れたおじさんに何ごとか言葉をかけられましたが、それがおはようの挨拶であることを知るのは数日後になります。無機質な集合住宅が立ち並ぶあたりに来た頃でしょうか、にわかに空が白み始め、私はこの国の色を初めて知ることになりました。

その日は巨大なバックパックを担いだまま首都リスボンをせっせと見てまわりました。オリエンテ駅の躍動感ある構造デザイン、雄大なシザの万博館、同じくシザの巨大な空隙に淡い光の降り注ぐ地下鉄駅、落書きだらけのリスボン歴史地区、丘の上の城からの見渡す限りの赤茶けたテラコッタの屋根の連なり。レストランは入り方も注文の仕方も分からないので、はじめはまちのあちこちにあるスナックの自販機で、少し慣れると食料品店のパンや果物で飢えを凌いでいました。

夏場のこの国は焼け付くように日差しが強く、乾燥しています。滞在したひと月弱の間はついぞ一度も雨は降りませんでした。陽光に漂白されたかのように、街はすべてがクリーム色でざらざらした質感を持っているかのような印象があります。しかし気温は高くないので日陰に入ってしまえば快適です。人々はまるでそういう生態を持った生物であるかのように、木陰や建物の影の形に沿って佇んでいます。街路にはどこにもテラス席があり、料理や飲み物の傍ら数人のグループが談笑しています。

2. 社交場としてのカフェ

大きな街にも小さな村にもテラスを備えたカフェが必ずと言っていいほどあります。大体のカフェは古い建物を改装したもので、薄暗い店内の角には決まってL字のカウンターがあり、その下のショーケースにはパイやピタパンのような軽食が並び、酒、飲料、アイス、その他簡単な日用品も得られます。珈琲はエスプレッソが基本で、マシンのフィルタをごみ箱に打ち付けるガンガンという音がそこかしこから響きます。ビールは軽くて飲みやすいSuper Bockが定番です。カウンターで軽食や飲み物を受け取ったら、店内のいくつかの席か、外のテラスに持って行って楽しみます。路上に広げられたパラソルやテーブルはその数の多さにより各店舗間、公園、広場で相互接続されて所有の概念が希薄化しています。カフェのカウンターがインフラとなり、そこからコモンズとしての都市空間が広がっているかのようです。日本のように一人でパソコンを叩いたりスマホを触っている人はおらず、老若男女皆複数人で談笑しています。この都市空間が豊かに活用されていること、これこそが私がこの国で最も感動したことです。日本の道は清潔ですが公の意識が強すぎて誰にも利用できず荒涼としています。これは文化や精神性の違いもありますが、先述の快適な日陰を生む気候が大いに貢献しているものと推測します。

3. 水の求心、石の秩序

ポルトガルには、ヴェニスビエンナーレに関連した団体の開催するサマースクールに参加するために訪れました。内陸の地方都市フンダンを舞台に欧州各地やチリ、ブラジル、中国、その他国籍様々な学生が60人ほど集まり、ベニスに出展した建築家たちと共にフンダンの文化と水問題についてのリサーチとパフォーマンス作りを2週間かけて行うというものです。日本人は私だけだったのですが、英語のあまり達者でない私にも皆温かく接してくれました。この旅で確信したことのうちの一つは、コミュニケーションにおいて言語は理性的なものの一部分を司るのみであり、すれ違ったらニコッと笑ってハァイと言う、朝食を同じテーブルで食べる、というような親密さの身体的表現の方がよほど仲良くなるには大事だということです。もちろんそれだけではプロジェクトは進まないのですが。

違う気候、違う地形の場所には違う秩序を持った文化が現れます。フンダンの歴史地区カステロノヴォを訪れました。道も建物も全てが灰色の石で出来た集落を散策していると、曲がりくねった街路の先に不意に広場がひらけ、正面には美しく彫り細工の施された教会堂と水場があります。水は冷たく綺麗で、周囲の学生にならい空になったボトルに湧水を補充しました。聞けばいつから湧き出しているのかもわからないはるか昔から水は沸き続け、上水道の通らない一昔前には毎朝この水を汲んで生活に使ったそうです。もしかしたら、水の沸くところに人々が集まり集落ができたのかもしれません。スペインとの戦争のために作られたという砦に登ると、灰色の集落の背後には、同じ色の岩がごろごろと転がる丘が控えているのが見えます。その瞬間に、この集落のすがたとなりたちを了解しました。周囲に転がる岩に配列の秩序を与えてこの集落が出来たのでしょう。集落とランドスケープの間には秩序の度合いの違いしかありません。

4. ちいさな壺に100 年の物語

ワークショップの最初の2日間は、参加者全員でフンダンの各地の村々を巡り、そこでの生活や水問題ー水不足や、排水管の不足や老朽化、鉱業による水質汚染、それらによる生態系の破壊や住民の流出などーを住民の方たちにレクチャーしていただきました。その後、7組の建築家たちをリーダーとする7グループにわかれ、2週間後のファイナルレビューに向けて、巡った村々でどんなパフォーマンスやインスタレーションができるかを話し合っていくことになります。私の参加したspacetranscribersグループではまず、カフェのテラスで参加者それぞれの水に関する経験談を共有するところから活動を始めました。それは祖父母の家の二つの井戸の話や、プールの底に沈んでいた象のオブジェが怖かった話、休日に家族でよく遊びに行った小川の話など、とりとめのない話たちでしたが、そこからなにか物語性と、各々の水感が引き出されていくようでした。次に大きなロール紙と色鉛筆を片手に、市場を改装して作られた施設の一角のコワーキングスペースに行き、先の水の体験談を紙に描き連ねて大きな一枚の絵巻物にしました。これによって、メンバーごとにバラバラだった水感が視覚的にも、また感覚的にも連続されていくようでした。それから、デジファブや焼物、織物の工房の見学などを挟みつつ、今度は2人1組を作って、先の体験談とフンダンの実際の水問題とを絡めて各々ひとつの寓話を創造し、その寓話をあらわすようなオブジェを設計し、見学に行った現地の工房たちに協力してもらって数日かけて制作をしました。私とポルトガル人の女の子のパウラは先の集落の中心に湧水があることからヒントを得て、湧水が止まるたびにまだ生きている湧水を求めて移住する人々の物語を、住民のある少女が老人になるまでに引っ越すたびに書いた手記、という形で作りました。それに関連して、焼き物工房に協力してもらい、底に穴が8つ空いていて中に7つの球が入っている壺を作り、水を汲むとどこか一つの穴からランダムに流れ出すことで湧水の移動の物語を表すというオブジェを作りました。そのほかにも、それぞれのストーリーに合わせて、水を入れた二つ合わせの焼物のカプセルや、青い布を巻いた長い木の棒、船のような器などを作成し、フンダンの小村にある川のあちこちに隠し、船に乗ってストーリーを朗読しながら回収して回るというパフォーマンスを計画しました。壺は美しくできあがったのですが、穴と球のかみあいを正確に作ることが難しく、水を入れるとすべての穴から同時に流れ出てしまうという残念な結果となりました。しかしその光景も見た目には美しく、私が船の縁から身を伸ばし、川の水面から壺を持ち上げて水を滴らせている写真をポルトガルの全国新聞に掲載していただきました。

5. 星に属する建築

サマースクールのメンバーに別れを告げ、再会を約束し、その後高速バスを乗り継いで歴史都市エヴォラに来ました。いくつかの教会堂とローマ神殿の遺跡を見るためです。郊外のバスターミナルから街の中心部を目指して歩くと、まず初めに目に入るのはビルほどもある石積みの巨大な城壁です。私は要塞や砦や城壁といった軍事遺産を好んで訪れるのですが、そこには地形的な巨大さや、堅牢さを生むための土木技術、純粋な合理性、規格化された部材の作り出すリズム、しかしその中にも人のためのスケールの通路や空間が同居している様が、結果として豊かな空間体験を作り出していると感じるからです。この城壁は共和制ローマにより作成され、以来2000年に渡ってここにあり続けているそうです。ポルトガルにはこのようにいつから残っているのかわからない程の古い構造物があちこちにあり、改修されて今でも普通に利用されていたりします。紀元前からの歴史のパッチワークのような都市の重みは、高々100年程度の古さの町家を後生大事にしている京都が馬鹿らしく思えてくる程です。

街の中心近く、高台から迫り出した見晴らしのよい広場の少し手前に、エヴォラのローマ神殿はありました。アテネのパルテノンよりは随分と小ぶりで、柱も細く、簡素な作りですが、初めて見たギリシア様式の建築ということもあって何か感慨のようなものがありました。その後買い物をして、ワインとパンの安さに驚き、夜になってから再び訪れたのですが、ライトアップされて漆黒の夜空に鮮烈に浮かび上がる白亜の列柱は、まるで昼に見たものと同じとは思えないほどに、圧倒的な存在感を放っていました。崩れて岩場のようになった基壇ごと保存されていることもあって、月面に建っているかのような、天上の霊峰に建っているかのような、放たれるこの世ならざる雰囲気は、同じローマ遺跡でも大地に属し人間に属していると感じた城壁とは次元が異なるかのような、星や宇宙や夜空に属するかのような、聖的であるというのはこういうことを言うのかと一人納得していました。演出の威力に苦笑しつつも、それからエヴォラを離れるまでの数日間、毎日夜になるとここを訪れ、強風に吹かれて寒い思いをしながらビールやワインを片手に一人ベンチでこの白亜の列柱を前に晩酌していました。

6. ポルト・複雑さが育む文化

その後、ポルトというポルトガル第二の都市を訪れました。シザも、falaも、その他多くの建築家がこの街出身だったり、この街で学び、事務所を構えている、建築文化が熱い街です。紀元前のケルト人のシタデルに起源を持ち、その後ローマ帝国の港町ポルトゥス・カレとして大いに栄えたこの街は、ポルトガルという国自体の起源でもあり、国名の由来にもなっています。この街の特徴を一言で表すなら、複雑さと小綺麗さ、だと感じました。街の中央に流れている河によって丘が削り取られているような地形をしたこの街は、しかし丘の斜面も一様ではなく、蛸足のように分岐する通路が縦横無尽に這っていたり、いつしか人が整地して高台になっていたりし、街を歩いていると坂や階段で登り降りを繰り返しながら目まぐるしく風景が変わるのですが、大学やスタートアップが多いためかリスボンのような落書きは見当たらずに街全体がどことなく気品というか文化的な雰囲気に包まれているのです。気がついたら河川を見下ろす高台に出ていたり、また街路の奥深くに入り、建物の隙間の奇妙な形をした空き地に詰め込まれたパラソルとテーブルで食事をとり、歩みを進めていると広場に出ていて、トラムが通る向こうにはビッグベンを思わせる時計台があり、しかし反対を向くとガラス張りのビルやランドスケープ的な屋上が公園になっている商業施設があったり、また細い路地に入ればその石畳は何百年の間に人々に踏まれるうちに玉石のように丸くツルツルになっていることに気づき、バーに入ったらシナモン臭いショットを一杯だけ飲んでコインを置いてものの20秒で退店し、店内から響くEDMが煩いブラジリアンバーのテラスで飲み直すというような。藤本壮介さんが著書『地球の景色』でポルトについて見事に叙述していたので引用させてもらいます。“その只中に立ち尽くしていると、まるで周囲の時空が豊かに歪んでいるような感覚になり、幾つもの都市が積層しているように見えながら、それらは清らかに連続している。異なる次元が同時に視界に入ってくるような感覚と同時に、その全てが異なる時空に属しているかのような、そんな連続性と断絶性がめくるめく都市の風景となっているのである。“

文化を育む都市とは、体験スケールでの多様さと複雑さを持ちながらも、混沌に還りきらない大きな秩序を併せ持つような都市だと思います。京都は新古や老若や河川や大小などを併せ持つ良い文化都市ですが、街区のグリッドは強すぎる秩序だと思います。大阪だと茶屋町や中崎町のあたりや、日本橋から鶴橋にかけてなど、魅力的な場所が多いですが、地形的な複雑さには欠けているのではないかと感じます。東京はまだ詳しくないのですが高低が複雑な場所が多い印象があり、文化のたまり場を多く見つけられそうな予感がします。

7. シザ、fala

ポルトガルを代表する建築家といえばアルヴァロ・シザでしょう。批判的地域主義の文脈で語られることの多い彼の作品は、初見では美しくもどこか不可解さを持った体験として、後に街中のふとした風景に出会ってこういうことかと納得するような、そんな街とのウィットな連続性が感じられます。

旅の中でシザの建築をいくつか訪れることができました。初めに見たのはオリエンテ駅にほど近い、海を背にして建つリスボン万博記念館です。ブロックを積み上げた巨大な2つのマッスと、その間に架け渡された吊り構造の薄い屋根により構成されるこの建築を目の前にして、その圧倒的な巨大さにまず驚き、早朝だったこともあり朝日の黄金色の光が海面を満たし、タイル張りの地面を照らし、遥か頭上で緩やかな曲面を描く吊り屋根の裏面を染め上げて、その黄金色の逆光の中で黒いシルエットとして浮かび上がる犬を散歩させる女性はまるで神話の光景のようであり、なるほどこの建築は宮島の鳥居のような海に開く記念碑的門なのかとその時は理解しました。しかし何週間か後に内陸の村でフェスティバルに参加し、肩から下げる太鼓のような伝統楽器によるパレードを片目に路上に連なるテラス席で血入りのソーセージを楽しんでいるときに、ふと自分の周囲の風景、路地の両側の古びた石造の建物の屋上から架け渡された日除けのネットとその下で食事や音楽を楽しむ私たちを思った時に、これがリスボン万博記念館のもとになる風景なのかと納得しました。

また、ポルトで訪れた、川岸からずんずんと丘を登った先の、街並みを見下ろす高台に緑に囲まれて建つポルト大学建築学棟の白い建物群、その建物の内側にすうっと伸びていくスロープや、その先の大きな空隙の中に建つ円筒形の壁、吹き抜けに面した通路、踊り場にしては広い階段の途中のスペース、壁と通路が変な風に噛み合ってできた鋭角三角形の吹き抜け、これらは立体的な迷宮のような風景を作りだし、その迷宮を巧みに使いこなして迷宮に紛れて展示される学生の図面やスケッチや模型たちの、ここは何室と決めるような学校にはない自由さに圧倒されながらも、しかしやはり不可解さの残る体験でした。その後ワークショップで知り合ったブラジル人の友人と合流してシザの海水プールに向かうバスの中で、先のポルト大学の話をしたところ、あれはポルトの街並みを取り入れたものだと思うと話され、なるほど確かに直接的な引用ではないながらも、その立体的な目まぐるしい構成にどこか印象のような、様相のような点が共通しているとやはり納得したのでした。しかし帰国後にシザを研究している恋人を持つ知人の話すところによると、シザはパースペクティヴから建築を作っており、斜めの壁や不可解な間隙などは想定された視点からではない場所から建築を見たせいであるという旨の話を聞いたので一応記しておきます。

8. 最後に

自分の知らない風景の中に身を置くこと。自分の知らない料理を食べ、知らない人と会話し、知らない場所で眠り、知らない文化について理解を深めること。そうする中で、自分が当たり前だと思っていた物事が突き崩されて認識が拡張されること。そこから創造は始まるのだと思います。それをドラスティックに体験できるのが旅ですが、自分の住む街にいても、大学にいても、あるいは家で一人でいても、そういう状態に自分の頭をできさえすれば人は創造的になれるのだと思います。そのためには、自分が当たり前だと思っていること、常識を疑ってみること、本だとか、人との会話だとか、体験や鑑賞だとか、そういったことを通して新しい情報を常に取り入れていくこと、その情報をフラットに思考し続けることが必要なのではないかと思います。

最後に、この素晴らしい旅をするきっかけをくださったダニエル先生に改めて感謝を述べたいと思います。次はパリ・ローマ・アテネ・イスタンブルをめぐる古都巡礼旅を企画し、旅費を貯めています。ベトナムや中国など近くて遠いアジアの国々も近いうちに訪れたいと思っています。異国を旅するごとに紀行文を書いてどこかに載せようと思っていますから、機会があればどうぞご覧になってください。それでは、またどこかで。

ポルトガルの風景たち
提供:筆者(写真)

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