【学び、創造する製図室】OB・OGインタビュー

OBOG インタビュー②  創造と生活がとけあう場 ―柳沢 究―

インタビュイー:柳沢 究 氏(京都大学工学部建築学科1999 年卒業)

聞き手:寺西志帆理、山口結衣

2023.08.30 京都大学吉田キャンパスにて

――建築学科全体のカリキュラムや製図室のシステムについて教えてください。

私が京大に入学したのが1994年です。JR東海で「そうだ京都、いこう。」というCMが始まって、なんか京都がいいんじゃないかっていうムードが全国的に高まっていました。建築学科の建物は、東端の1階部分に図書室があって、2階が二回生製図室、3階が三回生製図室、4階が四回生製図室でした。一回生の時にはそもそも専門科目が1つもなくて、製図室がなかったんですね。二回生になって製図室に机が与えられて居場所ができ、初めて建築学科の建物に出入りするようになりました。二回生の時は、前期にキンベル美術館と東求堂の図面のトレースをやりました。後期に設計演習が始まって、最初にリノベーション課題、次に住宅の課題でした。三回生は美術館や集合住宅・小学校・コンプレックスと4つの設計課題があって、その頃からほとんど製図室に入り浸っていました。四回生になると、スタジオ課題と卒業設計に取り組みました。

――四回生製図室についてもう少し詳しく教えてください。

製図室は大きく6ブースに分かれており、通路との境はロッカーなどで仕切っていました。一角にソファがあったり、3段ボックスに誰かが下宿から持ってきた漫画がぎっしり詰まっていたり、そういう感じです。北東の一角は五回生など過年度生のブースでした。僕は二回生が終わった後に1年間休学していたので、1年ずれてるんですよ。だから製図室ではほかの過年度生たちとこのブースを使っていました。製図室にこもって作業をしていたのは、設計を取っている学生の中でも6割7割ぐらいだったと思います。家でやっているやつも結構いたので、そんなに密度高くはなかったんです。全部で30人くらい、1ブースに4、5人くらいの密度感でした。

学年が上がるにつれて、製図室を利用する人数は減っていきます。でも製図室の面積は同じなんです。だから学年が上がるほど1人あたりの空間がどんどん広くなる。二回生の時は自分の机1台しかないから、作業する時しか来ないわけですよね。だけど、三回生になると机2台分ぐらいのスペースが使えるようになって、図面を書きながら横で模型をつくる作業ができるようになります。四回生製図室になると1人で机4つぐらい使えるようになります。ドラフターで図面を書いて、その横の机2、3台を使って資料を広げたり模型作ったりという、リッチな生活ができるようになるんです。仮眠も取れるし、ソファや棚とかも充実してくるから、暇つぶしするときは誰かが持ってきていた漫画を読んだりギターを弾いたりと、そういうことができるようになりました。

――製図室での一日の過ごし方を教えてください。

終盤は多分、2週間くらい泊まり続けていました。その前は2日に1回は帰っていたと思います。朝起きるの遅いのでどこかで昼飯を食べてから午後に製図室に来て作業して、晩御飯は近くの定食屋によく行っていましたね。農学部の横にあった定食屋や、今出川沿いの定食屋もよく行きました。あと、当時はまだ学校の中でタバコを吸うことができたので、私も含め結構吸っている学生がいました。さすがに製図室の中で吸われると嫌だという声が多かったので、みんな非常階段で吸っていました。吸い殻が散らばっていて、汚かったです。夜間に外へ行くときは大体その非常階段から降りて石垣を乗り越えていました。

下宿だったので近いところを行き来していたし、卒業設計の終盤は本当に帰りもしなかったですね。風呂は銭湯に行ったり、体育館のシャワーを使ったりしていました。東大路に面した京大の体育館の中にシャワー室があるんですよ。僕はそもそも日常的に銭湯を使っていたので、製図室に洗面器や石鹸、シャンプーなどを常備して、3日に1度ぐらい銭湯に行っていたんじゃないかな。

――誰が製図室を取りまとめていましたか。

製図室委員というのが名目上あったと思いますが、ほとんど機能していなかったですね。誰も何もしてないから本当に汚かったです。今みたいに、夏休み前に助教の先生が音頭をとって大掃除して綺麗に空っぽにする制度もなかったです。夏休みや正月の閉室もなかったんですよ。だから荷物もずっと置きっぱなしだし、過去の卒業生のものもどんどん蓄積していきました。先生や先輩たちの出入りも基本的になかったですね。二、三回生と違って、四回生製図室って先生が一切来ないんです。二、三回生の設計演習のエスキスは製図室でやるから先生たちも入ってくるんですけど、四回生のエスキスは研究室やゼミ室でしていたので、製図室には来なかったんです。だからもう完全に自由な、自分たちだけの場所だという感覚はありました。

――当時を振り返って、よかった点や気に入らない点はありましたか。

よかったのは、まずは製図室自体が溜まり場になっていたことです。行けば誰かがいて、製図だけじゃなくて試験勉強とか食事とか、ほとんど自分の部屋としてあらゆる作業をしていましたね。学校にいて何かするとしたら全て製図室でやるという感じでした。吉田キャンパスの方は研究室が今よりもずっと小さかったんですよね。四回生になると研究室に所属するんですけど、自分の机はなくて、3人に1つの机ぐらいしか使えるスペースがなかったんです。そうすると、研究室に行っても4回生は下っ端なのであまり居場所がない。でも製図室には自分の机があったのが1番よかったですね。特に僕は過年度生ブースにいたので他に友達もあんまりいないから、そこで集まってる連中とすごく仲良くなりました。夜中にいきなり車を出して日本海の方に行ったこともあったし、製図が煮詰まってくるとみんなでカラオケに行って、戻ってきたらまた製図するみたいなこともやってました。桂キャンパスに比べると、そこが吉田の良さの一つだと思います。まちにすごく近いから、すぐ銭湯も行けるし、ご飯を食べに行くとか気分転換に遊びに行くとか、ちょっと散歩してくるとか、そういうことがすごく普通にできました。製図室から出たら「まち」っていう感覚がありました。考え事をしてる時に他のやつがうるさかったりすると、イライラすることもありましたけど、そういう時は外に出て進々堂でコーヒーを飲んでやってました。家ではあまりやらなくて、どこかしらの喫茶店によく行ってました。進々堂と学士堂とカフェコレクションには散々行きました。1人になりたい時とか、落ち着いて考えたい時は、この辺りの店に行くことにしてました。良くなかった点で言うと、やっぱり吉田キャンパス全体が汚かったですね。床のタイルもはげていたし、壁も汚れていた。でも、冷暖房はちゃんと効いてたので、貧乏学生の家に大体エアコンなんかなかったから、製図室にいれば光熱費が浮くのもあってよく来てましたね。

――卒業設計のお手伝いはどうされていましたか。

僕らの頃はすごく院浪が多かったんですよ。学部の定員に対して院の定員が今よりも少なかったんです。私は休学して五回生のときに卒業設計をしたので、院浪中の元同級生が何人か手伝ってくれました。一般的には今のようにお手伝いが制度化されていなかったので、それぞれが個人的なツテで下級生にお願いしている状況でした。人気のある学生のところには志願者もありましたが、ほとんどの人がお手伝いなしか1、2人のヘルプでやってたんじゃないかな。僕はすごいいろいろな人に声をかけて、全部で多分20人ぐらいの人に入れ替わりで手伝ってもらっていました。卒業設計の時は一緒のブースを使っていたのが3人ぐらいだったと思うんですけども、ほとんど僕が使って、残りの2人が端っこで作業している感じでした。20人って言っても、卒業設計の期間トータルでだから、同時に来てたのは3、4人くらいです。模型作ってもらって隣のテーブルで図面書いてもらったりしていました。

――最後に、柳沢先生が考える創造の場について教えてください。

やっぱり1番いいのは、仲間がいるということですよね。悩んだ時とか考えがまとまらない時に、「今こんなことを考えてるんだよね」と話をするだけで整理されることもあります。横目にでも他の人が何をやってるのか見えて、「あいつすげえ面白いことやってるな」と思うと、真似しようとか俺も頑張らないととか焦ったりもするわけですけど、やっぱりそれは学びにとって決定的に重要な環境だと思います。ささいなことでは、図面を描いている時に「ドアや窓ってどう書くんだっけ」ってすぐ横の人に聞いてお互いで教え合えるとかね。それはリモートの学習とか授業では絶対得られないことだと思うんです。自分の考えがいいのか悪いのかとか悩んでいるときに、すぐ身近にいる友達がいいねって言ってくれる環境も、すごく嬉しいしありがたいことですよね。そういうことが大事だと思います。あとは、自由な時間をそこで過ごせるからこそ、だらしなくなっちゃう悪い面もありつつ、生活全体の中で建築を考えることができるというのも大切なことなんじゃないかな。オフィスみたいに朝9時から夕方5時までしか製図室が空いてないような学校もあるんですけれども、そうしてしまうと、オフの時間にあんまり考えがとぎれちゃうような気がするんですよね。課題を通じて建築に向き合う時間と、お風呂に入ったりご飯を食べたり、だらだらとくつろいだりっていう行動が続きで行われるからこそ、常に建築のことを考えられる良さはあります。ソファで寝ながらあれこれ悩んで、何か思いついたときにすぐ机に向かってスタディするみたいなことをやっていました。そういうことができるのって、本当に学生ならではなんだなって思います。創造と生活が分断されずに、職住一体の生活っていう感じです。もちろんそれを、仕事にしてからも延々やっているとまずい。ただ建築を学びだした初期は特に、どれだけ建築のことに時間を使って、いかにその課題やテーマについて試行錯誤したかが、ダイレクトに成長や結果に影響します。そういう意味では、最初の3、4年は創作や学びに時間を使いやすい空間が必要なんじゃないかなと思います。

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