建築家/平野利樹|虚構と現実の境界を見る

 

聞き手:大槻友樹、小宅裕斗、北田綾、佐藤夏綾

2022.9.29 於 東京大学本郷キャンパス


様々な境界について考える中で、私たちは「虚構」と「現実」の境界について興味を持った。
仮想空間(VR, AR)や3Dプリントなどの最新の技術によって、その境界は曖昧になってきている。また、身近にあるディズニーや人形などは虚構が現実に現れた例であり、その表現方法を探りたいと考えた。
インタビューを通じて、現実には存在しないものをどのようにデザインしているかを問うことで、建築が境界とどう向き合うべきかを考えていきたい。

プリンストン大学修士設計発表の様子

そもそもなぜ建築を志したのか

ーー京都大学の建築のご出身ということで、そもそもなぜ建築を志されたのでしょうか。

 あまり勉強好きじゃなかったのですが、高校が進学校だったため、モチベーションを上げるためにオープンキャンパスに行きました。ちょうどその頃京大がオープンキャンパスを始めて数年目ぐらいでした。私はずっと美術部で、絵を描くのが好きだったので、それを活かせるのは建築学科じゃないかということで、建築学科のオープンキャンパスに参加しました。当時、建築学科はまだ桂キャンパスに移っていなくて、まだ研究室が吉田キャンパスにありました。いろいろな研究室が開放されていて、自由に中を覗くことができるようになっていたのですが、そこに設計系の研究室もあり、ピシッとした黒のスーツに身を固めた男が、すごいオーラを出しながら仁王立ちで「怖がらんと入ってこい」と参加者に声をかけていました。それが高松先生でした。研究室にはパソコンがあって、画面の中で金色の謎の物体が動いていていました。後から分かったことですが、高松研の学生が先生の伝説的な卒業設計「医療都市」をCGでモデリングし、レンダリングしたアニメーションでした。

 父は東大の建築学科出身で当時ゼネコンに勤めていたのですが、帰宅して父にそのことを話すと、「有名な建築家で、昔は航空会社のCMにも出ていたよ」と教えてもらいました。なので、高松先生との出会いというのが、建築を志す1つの大きなきっかけだったと思います。高松先生の作品を見たというよりは、高松先生という人そのものを見て「なんかすごいな」と感じて、それで建築学科に行こうと決めました。

ーーどういったオーラがありましたか。

今まで自分が当たり前と思っていた考え方とは真逆の考え方がされる環境

ーープリンストン大学で修士課程を取得されたということですが、留学のきっかけはなんですか。 

 当時、周りではまだ留学する人は全然いなかったです。今回の境界というテーマにも関係してくるのかもしれないですが、常に1ヶ所に留まっておきたくないという想いが自分にはありました。常にいろいろな所の境界を揺らぐような形で、生きていきたいという気持ちがあります。それで、そのまま同じ京大の大学院に進むのではなく何か他の道は無いかと、海外を考え始めました。当時はあまりヨーロッパの情報はなく、アメリカの大学院は少数ですが留学中の日本人がブログをやっていて、それを見ながら準備を進めました。

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プリンストン大学修士設計発表の様子

ーープリンストン大学を選んで良かったですか。

 結果的にはすごく良かったです。traverse15に書いたエッセーでも言及していますが、京大で高松先生が徹底していたコンセプトとして「シンプリシティ」というものがありました。建築を作る上で、コンセプトであれ空間構成であれ、極限まで贅肉を削ぎ落とすべきであるという考え方です。当時だと、一回生の設計課題では最初にミースの作品を扱っていました。ミースのバルセロナパビリオンをドローイングと模型を作り、ミースの空間構成原理を学んだ上で、それをもとに空間を設計するという内容でした。その後、高松研に入って卒業設計や国際コンペに取り組んだ際も、そのような考え方が徹底されていました。

 プリンストン大学で自分が大きな影響を受けたのは、Reiser+Umemotoのジェシー・ライザーさんでした。彼は哲学から第二次世界大戦の戦闘機、自転車まで様々な関心があって、それらを常に取り込みながら設計していて、常にぐちゃぐちゃしていてシンプルな解には到達しない。修士設計のアドバイザーはMOSのマイケル・メレディスという建築家でしたが、彼もロバート・ヴェンチューリ的というか、「あれもこれも」という感じでした。ストイックな高松先生とはパーソナリティも含め本当に対照的でしたね。

 今まで自分が当たり前と思っていた考え方とは真逆の考え方がされる環境に身を置くことができたのがとても良かったです。

ーー日米では価値観の違いが大きいかと思います。留学を通して得られた部分は何でしょうか。

 アメリカだと、大学院には学部で建築を学んでいない人も多く入ってきます。プリンストンの場合は特にそうで、ジャーナリズムや哲学をやっていましたとか、そういう人がたくさんいました。彼らは建築のトレーニングを受けていないので、 コミュニケーションの仕方も、図面を描くなど視覚情報を重視するというよりは、言語中心でした。高松研だと、言葉が無くても見る人を圧倒するような美しいものを作れ、といった感じだったのに対して、アメリカに行くと、図面が1枚しか無いのに、1時間ぐらい平気で喋る人もいました。プリンストン大学は理論の牙城とされる学校で、例えばロバート・ヴェンチューリがプリンストン出身だったり、教員にもビアトリス・コロミーナ、シルビア・ラヴィンなど、アメリカを代表する建築理論家がいました。そのような大学で建築理論をどう考えていくか、理論からどうやって建築にアプローチするのかということが学べたのが1番大きかったです。

自分にとって境界というのは重要なテーマ

ーー「今回のテーマは境界です」と聞いて、率直に何を思ったのかを教えてください。

 自分の場合は、今やっていることや自分のこれまでの生き方、今関心をもっていることも、境界という言葉ですんなりと落ち着くと考えています。先ほどの話にもありましたが、1ヶ所に身を置かずに、常に揺れ動いてその境界線上に身を置きたいという生き方もそうだし、やっていることや今考えていること、自分が制作・設計の上で考えていることも、境界というキーワードでうまく説明ができると思います。そういった意味で、自分にとって境界というのは重要なテーマだと考えています。

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