【高野・大谷研究室】「包む音/取り巻く音」

音に包まれるということ

准教授 大谷 真

はじめに

 スペイン北部の旧石器時代の洞窟遺跡群における近年の調査により、洞窟内の共鳴が強く生じる場所においてより多くの壁画が描かれた傾向があると報告されている¹。この調査結果と洞窟遺跡内部において旧石器時代の楽器が多数発見されていることを併せて考えれば、前史のこれらの地域における人々のコミュニティは、洞窟という原始的な建築の内部で、そこで生じる音の共鳴を利用して何らかの音楽活動を含む儀式を行っていたのであろうと推察され、さらに洞窟内でより響きの長い場所を好んだ可能性も示唆される。また、キリスト教の大聖堂やイスラム教のモスク内部の強く長い残響は、ミサやコーラン詠唱といった宗教儀式において欠くことのできない音響効果を生み出している。さらには、音楽を美しく響かせることに特化された音楽ホールはそれ自体が楽器であるとも表現される。

 儀式や祭り(演劇やコンサートもある種の祭りである)といった非日常的な催しは共同体を構成する人々が集い共に祝い祈るための営みであり、コミュニティの健全な持続性を保つために欠くことができないものである。建築が創り出す響きはそのような営みの舞台装置として古来より意識的あるいは無意識的に必要とされてきたし、現代社会においても同様であろう。また、非日常の場だけでなく、住宅・オフィス・教育施設・商業施設といった日常的な生活の場における環境の質も建築が創り出す響きに大きく依存している。このように、建築により創り出される音の響きは我々の生活に深く影響を与えている。

音に包まれる

 音波に限らず波は異なる媒質の境界で反射する。建築内部の空間を満たす媒質である空気を伝搬した音波は境界すなわち天井・床・壁などの表面で反射する。一度反射した音は空間内を再び伝搬して別の境界で反射し、理論上は反射は無限に繰り返される。さらに空間内の音源から発せられた音波はあらゆる方向に伝わるため、閉じられた空間内では無数の反射音が生じ続ける。したがって、内部空間に存在する聴取者は同じ空間内に存在する音源から直接届く音(直接音)に加えて、それぞれが異なる時間遅延と強度をもつ無数の反射音(間接音)に晒される。このような状態を「音に包まれる」と表現するならば、何らかの音源を含んだ建築の内部空間において我々は常に反射音に包まれているといえるし、建築とは反射音を生み出し我々を音で包むための装置であるともいえる。

響きの空間性

 建築空間における音をヒトが聴覚によって知覚する際、反射音は非常に重要な役割をもつ。反射音のエネルギーが60dB減衰するまでの時間として定義される残響時間(reverberation time)²は、室内の音の響きの長さを評価するための代表的な物理指標として100年以上に渡って用いられており、音響学者の間では「あのホールの残響時間は〜秒だから、もう少し長い方が良いね」といった会話が未だに頻繁に交わされる。聴取者の観点からは、残響時間とはヒトが音に包まれた状態に置かれる時間的な長さを表しており、講義室や会議室などの音声をやり取りする場では残響時間が長過ぎると声が聞き取りづらく、発話者と聴取者双方にとってストレスの多い環境となる。また、音楽ホールなどでは残響時間が短過ぎれば楽音が美しく響かず、逆に長過ぎれば音源方向に結ばれる聴覚的イメージ(音像)がぼやけ、どちらもホールに対するクレームの原因となり得る。このため、音響学者や音響設計者は建築空間の目的に応じた最適な残響時間を見出し、それを建築的にあるいは電気音響設備により実現することに多大な労力を割いてきた。

 一方で、残響時間の概念は音のエネルギーの到来方向が均一であるという完全拡散音場の仮定に基づいており、反射音の到来方向という空間構造は考慮されていない。実際の音場が完全拡散音場となることはなく、「音に包まれる」状態には時間だけでなく空間も加えた時空間構造のバリエーションがある。このため、反射音の時空間構造の在り方が聴覚知覚に与える影響を考慮しなければ「音に包まれる」状態を最適にすることはできない。我々の研究室では、このような反射音の時空間構造を考慮した音環境の最適化を目標として、反射音の到来方向分布の詳細な分析を可能にする方法を構築し³(写真1、図1)、これを利用して反射音の到来方向分布と聴覚知覚の関係を明らかにするために反射音の時空間構造のモデル化⁴を行っている。

響きの再現

 適切な音環境を実現する上で、前述のように反射音の時空間構造の分析³及びモデル化⁴に基づいた定量的な検討は重要であるが、その一方で、数値シミュレーションによって予測された建築空間内の音場を、まるで聴取者がその場にいるかのような聴覚的体験を実験室において仮想的に呈示する可聴化を利用した音響設計へのフィードバックも有用であると考えられる。上述のように実際の建築空間では反射音が様々な時間遅延をもって様々な方向から到来するため、仮想的な呈示においても反射音の時空間構造が物理的に厳密に再現されなければならない。我々の研究室では、音場を物理的に再現するための理論の1つである高次アンビソニックス(HOA: Higher-Order Ambisonics)⁵を発展させて高精度化した手法を開発⁶⁷すると共に、半無響室内に構築したスピーカアレイ(写真2)を用いた高精度な可聴化システムの構築を目指して研究に取り組んでいる。

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写真1  京都大学百周年記念ホールにおける音響測定の様子。ステージに正十二面体無指向性スピーカ、客席にダミーヘッドマイクロホンや球状マイクロホンアレイを設置して測定した。


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図1  ​ 桂キャンパスC2棟の某会議室で測定した反射音の到来方向分布(モルワイデ図法で表示)。 時刻が進んでも、反射音のエネルギーが水平方向0°, 90°, −90°, 180°に集中している。この要因は大会議室の壁三面(ガラス張り)で強い反射音が生じていることにあると考えられ、この部屋での音声の明瞭性の低さの要因の一つとなっていると推測される。


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写真2 ​桂キャンパスC2棟地下半無響室に構築した64個のスピーカで構成されるスピーカアレイ。

【参考文献】

  1. B. Fazenda et al. Cave acoustics in prehistory: Exploring the association of Palaeolithic visual motifs and acoustic response, J. Acoust. Soc. Am. 142(3), 1332-1349, 2017.

  2. W.C. Sabine. Collected Papers on Acoustics. (Harvard University Press, Cambridge, MA, 1922)

  3. Y. Izumi and M. Otani. Relation between direction-of-arrival distribution of reflected sounds in late reverberation and room characteristics: Geometrical acoustics investigation, Applied Acoustics 176, 107805, 2021.

  4. T. Tanaka and M. Otani. Approximating an isotropic sound field as a composition of plane waves, Acoustical Science and Technology  42(5), 2021 (in press)

  5. M.A. Poletti. Three-dimensional surround sound systems based on spherical harmonics, J. Audio Eng. Soc. 53:1004-1025, 2005.

  6. 松田遼, 大谷 真. 両耳を中心としたマルチゾーンHOAによる音場再現の検討, 日本音響学会講演論文集 673-676, 2019.

  7. 川﨑悠季, 大谷 真. 両耳を中心としたマルチゾーンHOA再生に基づくバイノーラル合成の性能評価, 日本音響学会講演論文集 183-186, 2021.

 

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