【西山・谷研究室】「京都大学建築構法学講座のいま」

 安全に、安心して暮らしたいという人々の気持ちと、愛されるものをつくりたいという設計者の気持ち、双方を包み込んだ建築を成り立たせるために、建築構造の研究は大きな役割を果たしています。建築構造系の研究者として、また建築構造を学ぶ学生の教育者として、当研究室の西山峰広教授、谷昌典准教授にこれまでの歩みを伺いました。先生方の思いと共に、当研究室で現在進行中のプロジェクトを知っていただければ幸いです。

西山峰広教授 インタビュー

聞き手=三田沙也乃、吉田遥夏
2021.6.29 京都大学西山・谷研究室にて

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ーー先生はなぜ建築を選ばれたのでしょうか。

 私の家は、祖父が大工の棟梁で、引き継いだ父親は工務店の社長という建築一家でした。生まれたころからまわりに弟子である大工さんがいっぱいいて、彼らのうち何人かは住み込みだったのでご飯を食べるときも一緒でした。正月やお盆には全員が集まり、酒宴や博打でみんな大暴れしていました。そういう環境で育ってきたので、建築に進むのはスムーズというかそのままという感じでした。

ーーなぜコンクリート系の研究室を志望されたのでしょうか。

 今の研究室を選んだのはプレストレストコンクリート(PC)をやりたかったから。Harry Seidlerという、シドニーを中心にプレキャストプレストレストコンクリートでいろいろな建物を設計している建築家がいて、すごいな、こういうのがやりたいなと思って六車煕先生の所に来ました。卒論も修論もアンボンドPCで書きました。今でも鉄筋コンクリート構造の講義でHarry Seidlerの作品を紹介しています。

ーー研究テーマはどのように選ばれるのでしょうか。

 自分の好きなことをやってきました。今でもそうですけど、研究のモチベーションは自分の興味。それと分からないことを分かるようにしたいというのはありますね。コンクリートっていうのは分からないことがいっぱいあるのでそれを知りたいという。地震で亡くなる人を無くしたいという願いはもちろんあります。

 最近のテーマだと洋上風車はPCも絡んでくるし、今後は環境で流行るかもしれないのでいいかなとは思っています。ここは代々コンクリート系の研究室ではあるけれども、鋼構造もやっています。ニッチな鋼構造ですが。どうしても縄張りのようなものがありますが、気にする必要はありません。よいアイデアを思いついたらやってみることです。計測システムではありますが、光ファイバーもやっています。それも自分の興味ですね。面白いことができたらいいなと思ってやっています。元々新しいもの好きですね。先走って変なものを買って、結局使えずに捨ててしまうということもたびたびあります。

ーープレストレストコンクリートについてお話しを聞かせて下さい。

 建築分野においてPCはあまり普及していません。建築でPCというと一般の建築関係者は、プレキャストコンクリートのことだと思っています。プレストレストコンクリートはPSと略されることが多いようです。プレストレストコンクリートを生業にしている我々は、プレキャストコンクリートはPCaと書き、プレストレストコンクリートはPCと記しています。したがって、PCaPCはプレキャストプレストレストコンクリート(プレキャスト部材をPC鋼材を用いて組み立てる構造)となります。

 いろいろな催し物をしたりしてPCの啓発というか普及活動をしてきました。PCはスパン飛ばせますとか、柱細くできますとか、優れた構造なんだけどなかなか使ってもらえない。PCを流行らせるためにはデザイナーを取り込まないといけない。デザイナーにPCだとこんなデザインも可能になりますよ、こんな面白いこともできますよということを知ってもらわないといけない。だからシンポジウムや講習会を開催して、デザイナーにも話をしてもらい、そこで、彼らも巻き込んでPC論議を行い、結果としてPCを売り込むという活動もしていました。

 以前、京大でもPCに関するシンポジウムをやったことがありました。まず最初に私がスクリーンの前をうろうろしながらPCの概論を面白おかしく、あるいは、こんな面白いことができますよという話をしました。すると、次に登壇される竹山聖先生が、「Steve Jobsみたいですね。では、私はActors Studioのようにやってみます。」と、竹山先生と建築家の團紀彦さんがNHKで放映されていたActors Studioのように、ソファー(はなかったので、椅子ですが)に座って、竹山先生がインタビューする形式で対談しながら、團さんがPCを使ったご自身の作品を紹介されました。

 建物にPCを使うという決断をするのはどの時点かというと、やはりデザインの段階だと思います。構造設計者が知っていてもなかなか使えなくて、デザイナーが最初にPCでしかできないような建築を考えてくれたら自動的にPCとなる。だからデザイナーにもっと知ってもらわないといけないですね。その意味で、三回生後期では鉄筋コンクリート構造IIを特に、計画系に進む学生に履修してほしいのですが、難しいでしょうね。

ーー海外にはよく出張されるのでしょうか。

 コロナの前は年にひと月以上は出張で海外にいました。どこにも行けない今のこの状況はとてもさびしいですね。

 助手に採用されてすぐに1年くらいニュージーランドのカンタベリー大学に留学しました。正確にいうと留学ではなく、研究者としての滞在になります。学会での発表とか、研究の話を英語でするのはできましたが、日常会話は大変でした。学会のディナーに行くとだいたい丸テーブルに10人くらいで座るんですが、外国人ばかりのなかに日本人ひとりが入っていくのは難しい。それでも意を決して突入します。ここでは、仕事の話は厳禁で、外国の先生方は週末に別荘に行って一日中釣りしたとか、山に登ってスキーしたとか、川でボートを漕ぐとかいろいろな趣味があるわけです。でも日本の先生はずっと仕事ばっかりしているから話題が無くて大変です。でも若いころはそういう場に無理矢理でも出ていかないといけません。日頃、いろいろな話題を英語でどう伝えるか考えておいて、日本に興味がありそうな人をうまく見つけて日本のことを紹介して盛り上げるということをしていました。これ面白いんちゃうかとか、うけそうだとか、ネタをためておくというのは昔からずっとやっています。今でも、講義のときに学生に話したらうけるかなとか思う話題をためこんでいます。同じように研究のネタを思いついたら、とっておくこともありますね。こちらはついでにですが。

 それと、昔から海外の学会に行くと教科書とか論文で名前しか見たことないような偉い先生に話を聞きにいって、迷惑がられながらもいろいろ教えてもらったりしていました。しんどい思いをしないと英語も上手にならないし、そういう先生とも知り合いになれないので、恥をかいてもいいという思いでした。今はもうだめですね。日本人ばかりのテーブルに加わり、楽しています。

ーー昔と今とで研究スタイルは変化したのでしょうか。

 昔と今では、学生も研究する環境もかなり変わりました。昔は研究室で一緒に暮らしていたみたいなものでした。昼ご飯も晩ご飯もみんなで食べて、風呂屋に一緒に行ってそのあと遊んで酒飲んで寝るというパターンでしたね。研究も今よりのんびりやっていました。例えば、実験なんかでも、当時は計測用の変位計もそんなにたくさん無いし、データロガー(計測装置)の性能も低く、少ない計測点でゆっくりとしか測定できないし、のんびりしていました。実験対象自体も簡単な部材、例えば、梁、柱という単体がほとんどでした。ところが、今はいっぱいデータがとれるし、処理は速いけど扱うデータが山のようにあって大変です。昔と今を比べると研究のスピードが全然違っていて今はすごく速い。その代わり今すごく思うのは、昔は梁の試験でも梁がどうやって壊れるかずっとじっと試験体を見ていましたが、今は試験体を見なくても実験できるようになってしまった。それはいいのか悪いのかわからないところです。

 今は昔より厳しくなってしまいましたが、もっとじっくり考えられたり、自由な研究があったりしてもいいかなと思います。別に失敗してもいい。一生懸命やったんですけどだめでした、というものもあってもいいんじゃないかと思います。

ーー人に教えるということにこだわりをおもちだと伺ったのですが。

 私は結構長いこと建築専門学校で構造力学を教えていました。昼間働いて夜学校へ来るから眠たい、しんどい、という子たちに構造力学を教えるというのは訓練になりましたね。講義のプリントも3種類作って、よく分かっている子と中くらいの子と分かっていない子とそれぞれに合わせてやらせていました。できる子は勝手にやるから分かっていない子を教えてやらないといけない。だけれども、そいつらに勉強しろと言ったってなかなか勉強しないので興味を持たせて分かりやすく教えないといけない。加減乗除の計算が危うい子に不静定梁の解法を教えることには無理があります。それでも彼らが少しでも分かってくれたらいいなと思いながら教えていました。

 学生に教えているといろいろな質問がきて、それに答えるために自分が考えるということがよくあります。例えば、コンクリートはなぜ引張に弱くて圧縮に強いのですかという質問は毎年きます。自分が研究しているとまあそういうもんかとあまり疑問に思わない。でも質問に答えないといけないので改めて一生懸命考えます。それもコンクリートに初めて触れる学生に理解してもらわないといけない。授業で質問票(講義の最後に、一人2つほど質問を記入した質問票を全学生が提出する。これを一つのシートにまとめ、全質問に回答を記載し、翌週の講義で配布する。)を始めて十数年になりますが、それまであまり考えなかったことを考えるようになりました。人に分かってもらうためにはまず自分が理解しないといけない。これが大事です。研究室ゼミでM1の皆さんにB4に向けた鉄筋コンクリート構造の講義をしてもらうのもそのためです。理解していないと人に説明できません。説明する人の理解があやふやだと、説明を受けている方もすぐに分かります。

 ついでにいうと、B4には鉄筋コンクリートに関する英語の教科書のゼミ後、英文和訳を提出してもらい、これをM1が添削しています。これは英語の勉強のためではなく、日本語を書く訓練をしています。何もないところからでは、たとえ日本語でも作文するのは大変です。しかし、英語を和訳するとなると元となる題材はあるので、これをいかに日本語らしく、読む人にとって分かりやすく書けるか、その訓練をしてもらっています。

 よく分かったので質問が無いという学生が毎年います。しかし、それは私の話を聞いていない証拠です。今年の三回生に初めて質問票の本当の意味を理解してくれた学生がいます。つまり、質問を考えながら人の話を聞くと、集中して聞けるということです。先生はあんなことを言っているが本当なのだろうか、ここはなぜそうなるのだろうか、そういう疑問をもちながら人の話を聞くと、眠りに落ちることはありません。

ーー授業の準備やレポート採点、質問票回答作成など、それだけの授業をするのは大変ではないですか? 

 学部の授業の準備は大変ですね。わりともう定型化されてしまったから楽にはなりましたけど、質問票の回答とか演習課題(これも毎講義)の採点は大変です。でも次回の講義に配布する、返却するというのは一回も遅れたことはありません。

 講義の前は今でもいろいろ考えるし緊張します。ここでこういう説明をしたら学生は理解できないかもしれない、こんな質問が出たらうまく答えられないな、調べておかないと、ああでもないこうでもないと。時間が余ったらどうしよう、足りなくなったらどうしようとかも考えます。オンラインの講義ではiPadを使っていますけど、黒板代わりの授業用ノートと別にLecture Planというノートも作っています。講義の組み立てを書いたり、図を使って説明しようというときはまずそこに自分で図を描いてみたりします。講義ではそれを横目に眺めながら話をしています。先生側は同じことを話しても、学生は毎年異なるので反応は違うし進め方も変わってきます。学生たちの顔を見て分かっていないな、と思ったらもう少し説明の仕方を変える必要があるし、分かっているようならさっと流せるし。

 あといつも思っているのが、講義って舞台で演技しているのと同じだということ。観客がのってくれたらいい講義できるし、逆に観客が冷めていたらいい講義ができない。だから逆に言えば、学生が先生をのせるようにしたらいい講義をしてもらえます。先生にとっても学生にとってもいい。観客がどういう反応しているかというのを私はよく見ています。やっぱり観客のノリが悪いと私も嫌になります。いい講義ができない。その点、オンライン授業はなかなか難しいけれど、学生が見えないから寝てようがスマホやってようが何していようが分からないので自分の話にだけに集中できるというのはありますね。でもやっぱり学生がいた方が、学生の反応を見て、学生に答えさせて間をとったり、そうしながら学生の理解度を把握できます。学生がどんな状態でも平気で講義できる、話し続けられる先生がいますが、尊敬します。私にはそんなことは無理です。

インタビュー時の写真。西山・谷研究室にて。(撮影時のみマスクを外しています)

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