【学生座談会】京都に巣づく ―「そこに住まうこと」を考える―
京都でよく訪れる場所
——京都で好きな場所などはありますか。
尾崎――木屋町のクラブハウスみたいなところが好きでよく行ってます。地元だと世間が狭すぎて、そういうところに行ってもいる人はほぼ全員知り合いだけど、京都は新しい人も知っている人もいてその塩梅が良かった。地元の人にとっては言わばサードプレイス的な場所で、めっちゃ好きでした(笑)。
——観光名所は今でも行きますか。
尾上――地元から友達が泊まりに来ていた二回生くらいまではよく行っていましたが、三回生になると設計演習や部活で急に時間がなくなって行かなくなりました。
奥村――僕もただ単に時間がなくなって行かなくなったということもあるし、部活休みなどのまとまった時間ができたら他の地域に行ってみたくなったということもあります。
長澤――逆に僕は今まではあまり外出しなかったんですが、京都での生活が残り半年になった今は、京都のまだ行っていないところにせかされるように向かっています(笑)。
中村――僕は部活もやってないし時間があるから今でもいろいろな場所に行っています。特に、留学から帰ってきて京都の風景がすごく新鮮に思えます(笑)。いわゆる観光名所は、友達が遊びに来たときに一緒に行くことが多く、そこまで人は来ないけど綺麗なお寺などを一人で開拓しています。
奥村――桜とか紅葉の季節になると一気に行きたい場所が増えるというイメージですね。
中村――それをきっかけに行ったりするよね。
齊藤――僕は寺院より、コンスタントに行ってるのは美術館ですかね。先日開館した京都市京セラ美術館のような大きいものや、一方で街中の少し怪しそうなギャラリーなど、美術館の数や種類の多さも京都の特徴の一つなのかなと思います。
三宅――私は、中学校の修学旅行で強制的に京都の観光地に行かされたのが結構、トラウマになっていて……(笑)。
一同――(笑)
三宅――だから、大学で京都に来てから自発的に行こうと思えなかったんです。でも最近コロナであまり遠出できなくなったので、気分転換に一人で鴨川沿いを歩いたり、ちょっと足を伸ばして銀閣や南禅寺水楼閣に行ったりすると面白いなと感じています。
故郷を離れて暮らすこと
——病院や美容院など、日常的に使うところで、京都に行きつけの場所はできましたか。
齊藤――僕は髪を切るのも、病院も大体、余程緊急じゃないかぎり実家ですね。そういった場所に行くことを、地元に帰るきっかけの一つにしているかもしれません。
奥村――僕は実家にすぐ帰れるような距離ではないので、引越しと同時くらいに行きつけが切り替わりました。
尾上――岡山は近くもあり遠くもあるので少しずつ移行していきました。二回生に上がるくらいには、90%くらいは京都で済ませるようになりましたね。先ほど言われたお二人の中間くらいの位置付けかなと思います。
齊藤――中村さんは留学先のスイスで美容院に行っていたんですか。
中村――スイスで1回髪を切ったら、不自然に短くなったから、そのあとは自分で頑張って切ってました。
齊藤――そうなんですね(笑)。
中村――あっちでは基本刈り上げるからね。昔の自分の髪の写真を見せて切ってもらったけど、それに近づけようとして、結局ほとんど坊主に近くなった(笑)。
——髪を切るタイミングで実家に帰るというお話がありましたが、実家が遠い方は、帰省する頻度や滞在期間はどれくらいですか。
長澤――お盆とお正月の大体年に2回で、滞在期間はそれぞれ1週間くらいですね。田舎の方なので親戚の寄り合いがあって、実家に帰る前に親戚何家族分かのお土産をしっかりと買って、その集まりに顔を出すみたいなことをやってました。かなり、典型的な田舎の生活だと思います。
三宅――私は結構、帰省するタイプで、東京は新幹線でも2時間くらいなので一回生の時は月1で帰っていました。
奥村――僕は移動で半日以上潰れるので1週間くらい休みが取れるときじゃないと帰らないし、部活もしていたので、年に2回帰れたらいいかなというくらい。
尾上――僕も部活をしていたので、帰省するのは1年に2、3回。簡単に帰れるんですけど、部活と設計が忙しくて、あまり一回生のころから帰っていなかったですね。
——京都と実家に対して「帰る」という言葉の使い分けを意識することはありますか。
中村――「実家に帰る」と「京都に戻る」という感じが個人的にはしっくりきます。京都は思い入れのある場所だけど、あくまで人生の中の学生時代の時に過ごす仮初の場所という認識がどこか自分にあって、だから戻るという表現がしっくりくると思いました。
奥村――実家に帰る、京都に戻る。その使い分けを最初はしていて、でも明確な区別はだんだんなくなってきている気がします。
齊藤――実家には帰ると言っているような気がしますね。いつか実家で「じゃあ明日京都帰るわ」って言ったときに「いや、帰るのはこっちやろ」と理不尽に家族に怒られたことがあって、それ以降言葉遣いは気にしています(笑)。どちらかというと中村さんと一緒で「実家に帰る、京都に戻る」。京都は仮暮らし的なイメージですかね。やっぱり、頻度に影響しているのかもしれないけど、あくまで拠点は実家というイメージです。
長澤――僕は拠点を移すというよりは拠点が増える感覚の方が近いです。将来、他のところに住むとしても実家も拠点としていますし、住むところをどんどん増やしていくという感覚なのかなと思いました。
学生として京都に「巣づく」とは
——京都に移り住む前後で京都に対する評価が変わりましたか。また、将来は京都に住みたいと思いますか。
中村――僕は、将来は別の場所で働く気がしています。学生時代の限られた中でのはかない魅力は感じているけど、将来京都に住んでいる姿はあまり想像できない。今も住みこなしていると言っていいのかもわからなくて。京都は人生の一時の、大切な場所だなと思いました。
齊藤――その感覚はわかりますね。個人的には地元よりもすごく住みやすいけど、将来、京都で仕事をしているのかとか、実際定住してるのかというイメージが意外とつかないなというのはありますね。
中村――そうだね、定住する場所というよりも、お店とかも、特に大学のまわりは学生が入れ替わることを前提でやっていたりするじゃない。だから、根付くというよりも、渡り鳥が巣をつくってまた出て行くみたいな感覚をもっている人が多いかもしれない。
奥村――東京は、働く場所として定住することが想像できるんですけど、京都は歴史ある場所とか観光名所というイメージがあるから、定住するというのが、想像できないのかなと思いました。
中村――うん。京都という場所が強くて「住まわせてもらっています」みたいな気持ちになる。
奥村――わかります。
尾上――僕の描く将来像と京都で働くことが一致しないので、最終的に他の都市に出ることになるのかなと思っています。けど、建築を生業にして働けるなら、僕は京都に住み続けることも想像できます。
齊藤――京都は新陳代謝が激しい街という印象で、行き来する分にはいいけど、僕には定住するイメージはあんまりなくて。これからもしコロナが、地方都市が活性化するきっかけになるとすれば拠点意識みたいなものは重要になってきそうですね。
尾上――僕は田舎の地域のコミュニティを感じながら成長してきましたが、アフターコロナで場所に意味がなくなっていくと考えたとき、地域のつながりがないと、災害時に脆いんじゃないかと危惧しています。
中村――田舎に昔住んでいたことがある人は、またそこで住むのはイメージしやすいと思うけど、例えば東京出身の三宅さんが老後は岡山で暮らそうとはならない気がします。昔からあるコミュニティに飛び込むのはすごく勇気がいることだから。東京とか大阪とか、大きい街の役割って、いろいろな人を受け入れる余地があるところなのかなと最近思って。そう見たときに京都って大きい街とも田舎とも括れない、難しい立ち位置かなって。
三宅――東京に駅ごとの広がりがあるのに比べれば、確かに京都は大きい街ではないですね。
尾崎――東京は京都よりさらに新陳代謝が激しいからかな。田舎の狭さに比べたら、京都も全然広い方で、僕はいい塩梅だと思うけど。
——京都の学生の新陳代謝は、伸びては切って入れ替わる、爪の先みたいなところがありますよね。一方で、三代以上住んでいないと京都人とはなかなか言えない。
齊藤――そうやってベースがしっかりしているからこそ、新陳代謝が目立っていると思う。大阪は常に動き回っているから、その新陳代謝的なところを感じないっていうか。なおかつ僕らは、爪の先で遊んでいることしかできないから(笑)、深く京都で過ごしているイメージが湧いていないのかもしれない。
中村――確かに京都の底知れなさみたいなのを感じているから、「お邪魔しました」って言って出ていく感じがあるような気がします。
——何がきっかけで住みこなしてると思えるようになるのでしょうか。
三宅――目的地の選択肢が増えることは、住み慣れたと感じる点の一つで。例えば観光地で人気(ひとけ)のないところに行きたいと思っても、人が集まるようなところしか調べられない。でも住んでいると、意外な場所とか、ちょっと気持ちよさそうな場所とか、いろいろな場所を発見して、選択肢が増えてくる。それは住みこなしに近いのかなと思います。
齊藤――さっきの手と爪の先みたいな話があるとすれば、手の方にある強靭なコミュニティの一端に触れることができたときに、自信や住みこなしている感覚が生まれるんじゃないかと思っていて。例えばバイト先の設計事務所の所長は大阪出身なんですが、彼には京都を住みこなしているという自負がある気がする。京都で何十年と仕事をして、いろいろなコミュニティに自分が属していく中で芽生えた感覚なんじゃないかと思います。尾崎は結構ディープな場所を知っていて、そういう意味では一番京都を住みこなしていたのかなと思うけど。
尾崎――自分では住みこなせているって一生言えない気がします。木屋町のクラブは京都人でない人がほとんどだから本当の京都の人たちは木屋町には行かないイメージがあるし、祇園のお茶屋さんでバイトしていた時に知り合ったお客さんとは話していて差別意識のようなものを感じました。周りが百年くらいの単位で暮らしている人たちのコミュニティに属しても、逆に住みこなせていると思えなさそう。
中村――ここでは、僕たちが京都で学生として住みこなせているかという話になるのかな。
僕はさすがに学生としては住みこなせている気がします。京都の良さを分かってきたような気がする。でもたぶん一回生のときは分かっていなかった。
奥村――僕も、学生としての住みこなしはもう出来ていると思っています。とはいえ、そもそも最初から住みこなそうとはしてなかったと思います。地元のことは何でも説明できるようになりたいと思うけど、京都はある程度知らない場所も残しながら住んでいかないと、魅力が半減しちゃうかなって。
長澤――僕自身はインドア派なのでまだまだ学生としても住みこなせたとは言い切れないですが、異なる住経験を経た皆さんの学生生活を重ね合わせる中でそのどれとも違う京都の深遠さのようなものを垣間見た感覚です。現役学生だけでなく、例えば先生方の学生生活なんかも聞いてみたくなりました。今日の座談会は、学生という立場から京都に「住まわせていただく」という何年間かの価値を共有できた気がしました。