建築家・木村吉成+松本尚子|受容される「欠落」−多義性を包容する大らかな構え

― 木村松本から見た京都

— 京都らしさということをどのように考えていらっしゃいますか。京都で事務所を構え、建築の設計をしている木村さんと松本さんにぜひ伺ってみたいなと思いました。

木村 ― 京都らしさというのは聞かれることはありますね。建築の質はどこで建築をやっているかで決まると考えています。日頃僕らは京都で仕事をやっていて、京都という街の環境の中で考えているため設計にそれが反映されています。例えば大正時代の築100年ほどの町家を扱うことがありますが、探していくと築100年以上の古い町家の多くが都市型の住居として残っています。このような古い町家を都市の資産、ストックとみなし、現代においても活用していくことを考えていくことはすごく京都的だと思います。大阪の長屋もそうですが、古い町家が今でも残されて活用されていることを間近で見ているので、質の良いものさえつくればそれが100年後も使われていくことができることを私たち京都の建築家は認識していると思います。そういうことを知っている建築家は、形としての京都らしさを受け継いでいるというよりは、地域性を反映した考え方を持っています。仮に京都以外の地で設計することになったとしても、自分たちの地域で養われた考え方が良い建築をつくるときの力強い論拠になると思います。

 — 京都は将来どのような都市として変化を遂げていくのでしょうか。そして、木村さんと松本さんは建築家として将来の京都のまちにどのような貢献がしたいとお考えでしょうか。

松本 ― 乾久美子さんなどが進められている京都市立芸術大学について雑誌やお話を通して見ていて、中層建築は京都ではあまり考えられたことがないものだなと思いました。町家や高層ビルとは異なり、3階から7階ほどの規模の建築についてはあまり深い議論がなされてきていない、またはしにくい状況であり、このプロジェクトが実際の景観を変えていくことはこれからの京都のまちづくりに大きく影響していくだろうと思っています。同時に大きな資本的な力の流れもあり、このような背景では私たちができることを考えていくことは非常に難しいと思います。形やその大きさ問わず京都に貢献できることを考えるのはすごく難しいですよね。

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京都の街並みの中に建つHouse A / Shop B (Photo Credit: 大竹央祐)

木村 ― これまでのような建築と街の使われ方をされていないために形骸化し、京都らしさを失ってきていることに危機感を覚えています。京都に来て面白いと思ったのは、例えば準工業地域において住宅と軽工業が混ざり合っているように、街としての統一感がなく、街全体に軽工業がまばらに分布している状態です。そのような所では人の営みやものづくりの様子も見られて、町全体の賑わいや人の活気が感じられます。今では、例えば町家に職人がいなくなって、代わりに民泊などが入り、そこに誰がいるのかがわからなくなっています。それはフォルムとしての町家であって、使われ方としての町家では決してないと思います。

 このように、これまでの混在していた街の多様な魅力が単一化してしまうかもしれない状況を避けたいです。そして設計をするときに、街、または京都の面白さを十分に心得て木村松本として街に還元していきたいと考えるようにしています。

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