都市の相貌/建築の顔|竹山 聖

― 権威

 ヴェネチアでもパラッツォが都市の顔を形成することはすでに触れた。これはヴェネチアのみならず、ヨーロッパの財力権力誇示の常套手段であって、人間はこうした権威にえてして弱い。近代社会でも銀行などの金融機関は権威的なファサードを纏う伝統を引き継ぎ、GHQはお堀端でもっとも見事なファサードを持つ第一生命館を日本統治の拠点として選んだ。

 ヨーロッパと日本だけを比較対照するのは片手落ちというものだが、近代文明における普遍と局所の代表としては、意味がなくもない。とはいえ、さらに視野を広く取って、ヨーロッパ文明の前に普遍に近い影響力を有したイスラム、そして東アジアの歴史の基軸である中国に目を向けてみても明らかなように、やはりファサードは都市建築の中心課題であった。イスラムの広場とモスクのきらびやかさは論を待たず、中国のシンメトリーと正面性好みは一目瞭然だ。巨大権力は決まってファサードに関心を持つ。

 この点、近代建築がファサードを捨て、シンメトリーを捨てたのも、よくわかる。近代建築は基本的に広い意味での社会主義者により展開され、つまり、平等で自由な一般庶民のことを念頭に置く建築家たちが発達させた様式であったから、権威主義的な様式とは意図的に一線を画そうとした。そもそも様式という考え方そのものが権威主義に通底すると考えたから、「様式からの脱却」がそのシュプレヒコールでもあった。

 とはいえ、理念はえてして政治や資本と結ばれて変容せざるを得ず、ロシア・コンストラクティヴィズムはやがてスターリンによって権威主義的に改変され、ついて来られないものは消えた。レオニドフに思いを馳せると良い。イタリアのファシズムはモダニズムのもっとも良質な部分を権威主義的な様式と化すことに成功した。テラーニやリベラを見るとよい。ナチスはシュペーアを持ったが、ヒトラーの好みによって様式的古典主義建築の表現を巨大化、純化する方向に進んだ。同じく全体主義国家としての日本はといえば、たとえば先にあげた第一生命館を設計した渡辺仁は、他に、前川國男のコンペ批判でも有名な上野の国立博物館、そして銀座の服部時計店をも手がけた才能豊かなデザイナーで、ル・コルビュジエと同い年の建築家であったのだが、ファサードという概念を持たない日本にあって、西洋を参照し、また「日本趣味」というわけのわからない概念を強要されながらも、その時代なりの存在感ある建築物を実現した。もしヨーロッパに生まれていたら、どのような建築を設計しただろうか。政治は理念を変形する。

― 資本

 政治のみならず、資本もまたファサードへの関心が強い。権威ではない形で注目を集め、正であるか負であるかは問わずに絶対値の高い表現を求める。たとえばヴェンチューリが分析し評価したラスベガスのように。ヴェネチアの場合ももちろん、政治というより資本の表現という趣が強い。「豊かさの消費形態」は歴史に繰り返し現れる。ファサードの祝福は、そのもっともわかりやすい表れだ。

 もっとも資本の場合は、表層のファサードのみでなく、立体的な空間そのものをターゲットとする面もあり、これは歴史上も並行して進んで来た。たとえばアトリウムやテーマパークのように。人間の身体を外部に置くのではなく内部に取り込んで体験を売る。空間体験もまた、消費の対象となり、人を集める有力な手段となる。

近代建築の精神は空間の表現であったから、資本もまたこの側面に注目もした。ホテルや商業施設はガレリアやパサージュやアトリウムを取り込み、モールやプロムナードを形成した。しかしそれらが巨大化すると、また内部にファサードが現れてくる。そのとき選ばれるのはモダニズムの意匠ではなかった。

 なぜなら、花がないからだ。モダニズムの装飾を排した抽象的、高踏的かつ禁欲的な姿勢はわかりやすさに難があり、やはり外から見ても一目瞭然のファサードに戻ってくるのも無理はない。ポストモダンへの移行も、この流れで理解すればよくわかる。

― ポストモダン

 モダニズムがポストモダンに転換する契機の一つがファサードだ。モダニズムは原則的にファサードという概念を否定した。ポストモダンはここを突いた。意味性や物語性がないのは不毛ではないか、というわけだ。

 ファサードは意味生成装置だ。いかめしいか、沈黙するか、誘いかけるか、語りかけるか、ほほえんでいるか。意味の豊かさや、曖昧さ、複雑さ、両義性、対立性など、ポストモダンの提起した概念はすべてモダニズムが捨象してきたものだ。モダニズムの姿勢をことごとく覆そうとした。意図的に、かなり戦略的なやり方で。

 ポストモダンの先駆けとなったロバート・ヴェンチューリのComplexity and Contradiction in ArchitectureやLearning from Las Vegasはまさに、ファサード復権の書である。ギルドハウスも母の家も、モダニズムが否定したファサードを前面に押し出して、新鮮な印象を与えることに成功した。

 資本はいち早くこの傾向に飛びつき、ポストモダンは20世紀後半の「豊かさの消費形態」を代表する様式となった。権威を表出したり目立ったりするには、やはりファサードが一番てっとり早い。空間でそれを行うには、手間も暇もかかる。ヴェンチューリはこれにヨーロッパの伝統の、さらにいうならイタリアの伝統の知の衣を着せたから、てっとり早い結果を求める資本や、あるは政治の側にも受け入れられた。一般大衆に寄り添っている、と感じられたからだ。いまや大衆を引き入れるのが政治と資本の目標である。

 ポストモダンはそもそも、技術や工業社会の祝福に向かいがちなモダニズムへの、歴史や文化からの根源的批判だったが、やがて政治と資本の大衆路線や、貴族的懐古趣味(プリンス・チャールズの復古趣味を想起されたい)などと融合し、わかりやすい歴史的な形態モチーフをちりばめるようになって、ポストモダン・ヒストリシズムへとシフトしていった。創造性の枯渇とその進行は同時的だ。

 とはいうものの、モダニズムが捨て去ったファサードの復権は大きな事件だった。タブーが破られ、建築の歴史の王道の一つがよみがえった。ファサードの歴史こそが建築の歴史である、という、秘めやかだが厳然としてある思想の復権である。ファサードに様式を読む。世界建築史はこの線に沿って書かれている。だから日本建築は世界建築史の流れには乗らない。記述できない。ファサードを持たないからだ。

― ヴェンチューリ

 ヴェンチューリの議論をLearning from Las Vegasにそって、少し振り返っておこう。ヴェンチューリは建物を大きく二つに分ける。ダック(あひる)とデコレイティドシェッド(飾られた小屋)の二つだ。ダックは形そのものに重きを置き、デコレイティドシェッドの場合、本体はともかくとして自らをアピールする正面を持つ。つまりファサードを持っている。彼によれば、例えばシャルトル大聖堂はダックだ。パラッツォ・ファルネーゼはデコレイティドシェッドだ。シャルトル大聖堂はその空間構造といい内部空間の象徴性といい、すばらしい建築的達成を示すゴシック建築の白眉だが、あえてダックだ、と言い切る。デコレイティドシェッドの側面も持つが、と言いそえてはいるけれど。

 もちろんヴェンチューリの意図は、デコレイティドシェッドの優位を確認することにある。一見かっこ悪い、と本人が言う自作のギルドハウスは、「シンメトリカルでパラッツォ風のコンポジション」を持つ。パラッツォは歴史と文化の象徴だ。つまりファサードを持っている。

 ギルドハウスと比較対照されるポール・ルドルフ設計のクロフォード・メナーはかっこよく「全体としてプリティー」であり、ギルドハウスはかっこ悪いけど「正面がプリティー」だ。クロフォード・メナーは全体は見事なコンポジションかもしれないが、ファサードを持っていない。いわば歴史の王道から外れている。王道を行っているのは自分の作品であり、どんなにキッチュでプアーでも、アグリーでオーディナリーでも、歴史の正当性は自身の作品の側にある。

 結局のところ、モダニズム建築は全体が大きな装飾と化したダックとなってしまった、とヴェンチューリは嘆く。プログラムや構造にシニカルで高価な変形行為を加えてダックをせっせと作り出す。ダックはなにより街並みにそぐわない。都市にとって、建築にとって、ファサードの復権、意味の復権こそが、愛想も愛嬌もないモダニズム建築を救うための喫緊の課題なのである、と。

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