住経験論ノート(1)— 住まいの経験を対象化するということ|柳沢 究
― 住経験を扱う先行研究と2つの困難
住経験を対象化するにあたっては、経験という漠然とした個人の内的な事象を、いかに手にとり扱える形で把握できるかという手法論が、まずは研究上の課題となる。誰の住経験をどのように把握するかという視点から、以下に住経験にまつわる先行研究や関連書籍を概覧する。
個人的な住経験を俎上にあげた研究の嚆矢は、西山夘三(1978)の「住み方の記」である。著者自身の数十年にわたる住居の構成とそこでの生活の実態と変遷が、詳細かつ豊富な図版と記述により記録され、その住経験の描写を通じて、住居の生活への影響や居住者の主体的な住みこなし等、住居と居住者の相互作用が鮮やかに示されている(図2)。現在にあっては、1920〜60年代という日本社会の劇的な変動期の住環境をとりまく状況を伺う貴重な資料でもある。また、本書の日本エッセイストクラブ賞受賞は、個人的な住経験への社会的関心の高さを示したものといえよう。
西山(1978)が著者の非凡な筆致に依拠した自伝的要素が強いものであるのに対し、鈴木(2002)は十数人の建築学者の住経験を対象に、より学術的な視点から時代的特性にフォーカスした考察を行う。個人的住経験から得られる間取りと生活の関係の変化に注目し、戦前〜高度経済成長期にかけて日本の住居の「型」が変容していく様子とその要因を、具体的に明らかにしている。多数の対象者間の住経験の比較を可能とするために、西山に比して簡易で汎用的な住経験の記述・表現手法が確立されている(図3)。
仙田(1990)は、建築家50人へのインタビューにより、幼少時の住居や遊び場の空間体験がその後の建築観に与えた影響を探るものである。住経験の分析は限定的ではあるが、インタビューという手法および空間や場所の体験がその後の価値観形成へ及ぼした影響を視点とする点は、筆者の関心と共通する。女性建築技術者の会(2006)は、33名の女性建築士が10歳時に住んでいた家の平面図を描き、そこでの生活の様子を思い出とともに活き活きと再現する。1940〜60年代の住宅事情を語る貴重な資料であり、現代の同年代の子どもが住む環境と比較すると、家の広さや遊び場、プライバシーや家族関係などについて考えさせられることが多い。
一般書では、週刊文春に1994年から20年以上にわたり連載される「『家』の履歴書」(現タイトルは「新・家の履歴書」)がある。毎回一人の著名人が幼少期や下積み時代に暮らした家について語りながら、半生を振り返るというスタイルである(図4)。出身地や年代・経済階層はバラエティに富み、建築雑誌や教科書には登場しない、良くも悪くも様々な住まいや暮らし方があることがよくわかる。また、住まいの話を呼び水として、しばしば生々しい家族の話や文化的・時代的背景が語られることも興味深い。この連載企画をこれほどまで長期間継続させているのは、読者の「人の家」に対する興味・関心の高さではないだろうか。
この他に、筆者と近い問題意識から、主にアンケートによって住経験に関する情報を工学的なリソースとして捉えようとする、宮田(2005)・刀根(2007)・冨田(2009)などの研究がある。
これらの研究で扱われる住経験の対象と内容に注目すると、住経験の把握と収集には二つの困難があることがわかる。第一に、住経験の詳細な描出には空間把握や作図など一定の建築学的素養が必要であること。第二には、プライバシーに深く関わる住経験は他人に開示されにくいことである。それゆえ、西山をはじめ仙田・鈴木・女性建築技術者の会など、住居の具体的な空間構成や生活との関係に踏み込むものは、いずれも対象が建築専門家の住経験に限定されている。その一方で、より多数の不特定の対象者を扱う宮田・刀根・冨田などの研究では、把握できる住経験の内容が、立地や周辺環境・戸建/集住の別・図式的な室構成などの外形的な情報に留まりがちである。このように既往の手法では、把握可能な住経験の具体性とその対象者の範囲(サンプル数)はトレードオフの関係にある。しかし、住経験を建築計画学的分析の俎上に上げるため、また住経験の把握手法の妥当性を評価するためには、一定数の具体的なサンプルの収集が必要である。
― 間接的ヒアリングによる住経験へのアプローチ
以上の検討をふまえ、筆者がいまのところ住経験の把握手法として採用しているのは、一定の建築学的素養を備えた建築学生を主体として、その親の住経験をヒアリングしレポートとしてまとめるという間接的アプローチである。空間や生活の描写の具体性を保ちつつ、(サンプルとしての大小の偏りを含むものの)非専門家を含むより幅の広い対象者の住経験へアクセスすることが当初の狙いであった。建築学生による親の住経験ヒアリングは、大学院授業におけるレポート課題として実施した。以下にこれまでの実施概要を示す4)。
◯実施時期:2013〜2016年度各後期、2017年度前期
◯レポート制作者:建築学を専攻する大学院生 計42人4)
◯ヒアリング対象者:レポート制作者の親の1人5)
◯レポート制作手順
①居住履歴年表の作成:対象者の住んできた住居とその改変の履歴をライフステージとあわせ時系列に整理する。
②各住居の概要整理:①に登場する全ての住居について、居住時期・所在地(町/大字等)・立地と周辺状況・転居の経緯・築年数・構造・戸建/集住・賃借/所有・居住者構成と生活概要等を確認・整理する。
③各住居の間取りの復原:縮尺1/150〜200程度。敷地内配置・室用途(食事・接客・個室等)・各員の就寝場所・等を可能な限り示しつつ間取りを描写する。
④「思い出の住居」の詳細と評価の把握:対象者にとって最も印象深い住居(現在の家を除く)を1つ選び、選定理由、家具配置等を含む詳細な間取り(縮尺1/100程度)、生活行為と空間の対応(季節・状況による各部屋・場所の具体的な使われ方、時期的な変化、生活に関する家庭内のルール等)を把握するとともに、印象に残っている出来事・場所にまつわるエピソード、およびその理由や感想を聞き出す。
⑤対象者の住居観の仮抽出:得られた住経験を場所や行為ごとに分類、対象者の評価と共に整理する。
⑥現在の住居との比較:⑤と現在の住宅を比較し、一致点や相違点・類似点・矛盾等について考察する。
⑦自己評価と感想の記述:ヒアリングや間取り復原時の工夫、困難な点、有意義な点、発見、自身や対象者の感想等。
4)名城大学大学院20人(2013〜16年度)、京都大学大学院22人(2017年度)。対象学生のほとんどは計画系研究室に所属する。
5)事情により親を対象とできない場合は別途対象を設定するとしたが、ここで取り上げた中ではそのようなケースはなかった。
ヒアリングによる住経験の把握は手順①〜④に該当する。①②では対象者の住経験の全体像を個人史に紐付けながらつかみ、③により各住居の空間構成と生活が簡易ではあるが具体的に描写される。④では思い入れの深い一住居を対象に、より詳細な空間と行為の対応関係を見る。あわせて住居観への影響を探るために、それらに対する対象者の評価判断を確認する。手順⑤⑥は、以上に基づく住経験の住居観への影響の分析・考察の演習であり、⑦はレポート制作者による本手法の評価である。
住経験には必然的に様々な個人情報が含まれるため、記述・表現の匿名性確保や教育・研究上の使用に関する事前の同意確認、レポート制作自体を望まない場合は代替課題を課すなど、間接的手法をとることに伴い配慮すべき点は多い。しかしながら、この数年の試行から得られた数十名分のデータは、住経験を対象化する研究の可能性を確信へと変えるに充分なものであった。本稿で論じた住経験が住居観と住環境に与える影響という視点にとどまらず、住経験探索を通じた個人的・通時的な住み方の特性理解、異文化理解のツールとしての有効性、現代住居の多様性を描くオーラル・ヒストリーとしての意義など、様々な視点から検討する価値があることが分かってきた。とりわけ間接的な住経験ヒアリングより得られる建築学生への教育上の効果については、大きな意義を有するものである。これらの成果の詳細については、また稿を改め論じたい。
<参考文献>
1.今田純雄・長谷川智子・坂井信之(1999):「人はなぜ食べるのか (2):子どもの食行動の発達 (Birch and Fisher,1996より)」広島修大論集 人文編、39(2)、pp.453-489
2.真部真里子・梅田奈穂子・磯部由香・久保加織(2012):「食経験と情報がふなずしの嗜好性に及ぼす影響」日本家政学会誌、63(11)、pp.737-744
3. 西山夘三(1978):「住み方の記」筑摩書房(初版1965)
4. 鈴木成文(2002):「住まいを語る:体験記述による日本住居現代史」建築資料研究社
5. 仙田満(1990):「こどもと住まい(上・下)」住まいの図書館出版局
6. 女性建築技術者の会(2006):「アルバムの家」三省堂
7.宮田智大・宇杉和夫・稲葉修(2005):「幼少時の住宅居住体験評価と自己の将来の住宅空間の方向性に関する研究:建築学科学生のプライバシーとコミュニケーション意識を通して」日本建築学会計画系論文集、No.595、pp.1-7
8.刀根令子・浅見泰司(2007):「居住者の価値観と住環境履歴が将来の住環境選好傾向に及ぼす効果」日本建築学会計画系論文集、No.616、pp.23-30
9.冨田雄也・青木潤之助・丁志映・小林秀樹(2009):「住意識の変容プロセスに関する研究 : 大学生の取得してきた住情報・住経験に着目して」日本建築学会学術講演梗概集E-2, pp.79-80