【ワークショップ】タテカンに見る地域景観

アドバイザー:池田 剛介(アーティスト)、

    大庭 哲治(京都大学大学院工学研究科都市社会工学専攻・准教授)、
    椿 昇(京都造形芸術大学教授)、

    富家 大器(四天王寺大学・短期大学部生活ナビゲーション学科ライフデザイン専攻・准教授)
    藤井 聡(京都大学大学院工学研究科都市社会工学専攻・教授)、

    藤本 英子(京都市立芸術大学美術学部美術研究科教授)

参加学生:京都のタテカン文化を守る会、京都大学大学院工学研究科都市社会工学専攻修士1回生、

     traverse19学生編集委員

2018.7.30 京都大学吉田キャンパス デザインファブリケーション拠点にて


京都大学の立看板(タテカン)は京大の文化ともいわれ、様々なものが大学キャンパス周辺に設置されてきました。しかし今、タテカンは存続の危機に立たされています。学生、大学、地域、行政が対立するのではなく、互いに調和し、タテカンが真の意味で京都大学の「顔」となるために、どんなデザイン、どんな制度を考えることができるでしょうか。

― 問題提起

 京都市の景観条例違反であるという指摘に対し2018年5月、大学当局は京都大学吉田キャンパス周辺のタテカンを強制撤去する対応をとった。

 この強制撤去を契機として、法令や表現の自由といった観点からタテカンをめぐるさまざまな議論がなされている。ただし、法令に違反するのか否か、表現の自由を侵害するのか否かといったYes/Noの二択で語ることができるほど、このタテカン問題は単純なものではない。

 法律や条例の根拠となっているものは何か、それらが重視している価値とは何かを踏まえたうえで、制度の内外でのタテカンの位置づけを考える必要がある。でなければ、たとえタテカンが法令を遵守していたとしても、そこに価値を見出すことはできないだろう。

 言論・表現の自由の侵害を唱える前に、タテカンが本当に「自由」を主張するに足る価値を持つものなのか、どこにその価値を見出せるかを考える必要がある。タテカンを出すことに無条件に価値を与えることはできないだろう。

 Yes/Noの二択を超えた新たな視点、議論がこれからのタテカンを考えていくうえで必要とされているのである。

 また、この「タテカン問題」にはさまざまな要素が複雑に絡まりあっている。それを整理せぬままに議論を進めることは問題解決の糸口を見えなくするばかりである。

 このワークショップでは、論点を整理し問題の諸要素を紐解いていくなかで、タテカン単体の議論では答えることのできない問いに対し、タテカンの総体としての在り方を考え、議論を深めていく。

― 事前準備・ワークショップ当日

 ワークショップを開催するにあたり、traverse19学生編集委員で事前リサーチを進めると同時に6名のアドバイザーの先生方との勉強会を通して、問題の整理、論点の洗い出しを行った。

 ワークショップ当日には、リサーチや勉強会から得られた知見や現状のタテカンの問題点を参加者で共有し、先生方も交え、2グループに分かれてのグループディスカッションを行った。その後には、タテカンが存続していくための提案を各グループで考え、プレゼンテーションを行った。

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― 1.絡み合う諸問題

 そもそもの問題の発端は、これまで、京都市による行政指導に対して大学当局がはっきりとした対応をとってこなかったにもかかわらず、突如としてタテカン規約の厳格化および強制撤去に乗り出したことであると報じられている。すなわち、これは条例そのものと大学当局の対応という二つの問題に分けて考えるべきものである。

 また、タテカンそのものについても、その文化的背景や言論・表現の自由の問題、条例・法律に対する適反といった制度上の問題、見た目の美しさや安全性といった技術面の問題のそれぞれについて、しっかりと区別し整理したうえで議論するべきではないだろうか。

 さらに、タテカンが大学周辺に設置され公共の目に触れるものである限り、地域住民や観光客といった人びとの視点も無視することはできない。そこには、京都らしさとは何か、景観とは何かという問いや、まちのにぎわい、公共性とは何かという問いを見出すことができる。

― 2.「雑多な」京都と「景観」

 昭和に撮影された京都の街並みは、アジアの一都市らしく雑多であり、国内外から多くの観光客が訪れるようになった現在でも、その雑多さを残している。一方で、京都は寺社仏閣を始め文化や伝統が保存される歴史都市でもあり、「景観」が叫ばれることに不思議はない。

 「雑多さ」と「景観」は対立するのだろうか。都市の「景観」が統一感のある美しさだとすると、京都に「景観」が存在するのかは疑問である。しかし、「景観」を、伝統や文化の表出として捉えると、「雑多さ」を景観とすることは可能だ。いつから、なぜ、雑多な京都において「景観」が伝統的な街並みや風景のみと結びついたのだろうか。

 転換期は、東京への事実上の遷都から始まる明治時代であり、このとき京都は首都としてのアイデンティティを喪失した。しかし、宮中文化と皇室儀礼は京都において保存され、岡崎万博をきっかけに歴史と伝統が京都のアイデンティティとしてある種のコンセンサスを得たのである。

 ところで、伝統や文化は時代によって不変なのだろうか。織物などの町人文化は時代ごとに新たな解釈や技法を付与され変更されてきた。つまり、伝統や文化は常に変化していくものである。「景観」を伝統や文化の表出だとすると、それは保護される対象ではなく、変化し続け、その都度評価されるものだということになる。

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昭和11年7月の新京極通り1)

― 3.アカデミズムとレジスタンス

 法令違反だと撤去されながら、さまざまな議論を起こしているのは、タテカンの文化的な意義を多くの人が認識しているからだろう。それは、京都大学におけるアカデミズムとレジスタンスの姿勢である。

 タテカンが最も色濃く文化的な意味を帯びていたのは1950年代に始まる学生運動の時代である。タテカンは学生たちの意思の表出の場であり、社会体制と教養のぶつかる場であった。現在、学生運動は下火となっているが、一部のタテカンには当時使用されていたフォントが見られたり、政治的なメッセージが見て取れるなど、学生運動の記憶を映したものもなかにはある。一方で、そうした文化や反抗精神とは無関係に、サークル活動等の宣伝や勧誘のために楽しんで制作している学生も多く、それらを無視して一概にはまとめられない。しかし、タテカンを制作し並べることは一つの文化に参加することでもある。タテカンについて論じるならば、個人の意思だけでなく、そこに全体としての意味も見出していかなければならない。

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タテカンが設置されていた頃の百万遍交差点2)


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学生運動全盛期の京都大学3)

― 4.法律・条例とタテカン

 京都市は条例で屋外広告物の位置や面積、色彩等を制限している。その目的は屋外広告物のデザインに一定の規制をかけ京都のイメージにそぐわないものを極力減らし、一定のクオリティを保つことで都市景観の維持・向上を図るとともに公衆の安全を守ることである。

 京都市の京都大学に対する行政指導の根拠として、京都市屋外広告物に関する条例4条、5条や道路法32条への違反が考えられる。条例4条は、景観に著しい悪影響を及ぼしたり、公衆に危害を加えるおそれのある屋外広告物の設置を禁止している。また、5条は屋外広告物の設置を禁止する物件について規定しており、タテカンの設置場所である擁壁が指定されている。道路法32条は道路の占有に関する規定を定めた法律であり、工作物や物件、施設を設け、継続して道路を使用しようとする場合には道路管理者の許可を得ることが義務付けられている。これらの条項は設置場所や看板の安全性に関する禁止事項であり、タテカンのデザインや内容以前の問題である。

 また、屋外広告物の設置には市長の許可が必要であり、現況のままではタテカンの設置は難しいかもしれない。ただし、条例には例外規定もありタテカンがそこに当てはまるのかについては議論の余地がある。

― 5.京都景観賞とカルテ

 屋外広告物に関して京都市は「京都景観賞」と「カルテ」という 2 つの独自の取り組みを行っている。

 京都景観賞は町並みに調和した優れたデザインや京都の景観に配慮した独自のデザインの屋外広告物を表彰し、屋外広告物のデザイン指標を示すとともに、優れた広告物の設置を促す取り組みである。その審査基準は以下の3つである5)。

 ・広告物自体の形態、意匠、材料等が優れているもの

 ・広告物が定着する建築物等と調和しているもの

 ・独自の工夫や景観への配慮等がなされているもの

 また、京都市は屋外広告物に関する相談窓口を設け、届出が必要な屋外広告物ほぼすべてに対してカルテを制作し、条例の基準を満たすための指導を行った。こうした取り組みのために市は約100人の職員を配置している。これは、全国的に見てもかなり多く、京都市が景観政策に相当な力を入れていることが伺える。

― 6.地域景観づくり協議会制度

 京都市の規制だけではうまく扱えない景観作りを当事者が主体となって行うことを市が支援する、地域景観づくり協議会制度がある。地域住民が思いや方向性を共有し、新たにそこで建築行為等をしようとする人とも一緒に地域の景観づくりを進めていくことを目的としている。

 先斗町では、「先斗町まちづくり協議会」と「先斗町のれん会」の2つの団体が先斗町の景観を守り将来につなげていくための自主的な活動を行っている。

 「先斗町まちづくり協議会」は立誠自治連合会により2009年に「先斗町の将来を考える集い」として結成され、2012年に市の認定を取得した団体である。協議会は派手な看板を撤去し、京町家建築の意匠を保護するなど、先斗町の景観を守るためのルールを自主的に定め、現在は防災計画の一環として電線の埋設工事を進めている。

 「先斗町のれん会」は市の認定団体ではないが、京料理店を中心に先斗町の全84店舗が加盟し、「先斗町らしさ」を次世代へ継承するための活動を行っている。

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2012年3月、看板撤去前の先斗町4)


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2012年10月、看板撤去後の先斗町4) 上下の写真は同一の地点である

<参考文献>
1)黒川翠山:新京極,昭和11年7月撮影,京都府立京都学・歴彩館

2)京都大学:京都大学ホームページ 写真・動画で見る京都大学吉田キャンパス 本部構内,http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/campus/photo/list/honbu.html

3)京都大学百年史編集委員会:【写真集】第5章:京都大学の再編,京都大学百年史,pp.110-128,1997

4)都市環境デザイン会議(JUDI):屋外広告物による都市ブランド形成を考える—京都市中心市街地を対象として,2014

5)京都市:平成27年度「京都景観賞屋外広告物部門」パンフレット,2015

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