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住経験論ノート(1)— 住まいの経験を対象化するということ|柳沢 究

― なぜ住経験か

 数年ほど前から「住経験論」と称する研究に取り組んでいる。住経験とは、ある人がどのような家にどのように暮らしてきたかという、住まいとそこでの生活にまつわる経験のことである。根本的な関心は、ある人の過去における住経験が、その人の未来の住環境の選好にどのような影響を与えているか、という点にある。

住まいに限らず、人は人生において得た様々な経験を元に、帰納的に価値の判断基準(価値観、嗜好)を形成していくと考えられる。その基準は固定的なものではなく、状況に応じて揺れ動くものであろうことに注意はいるが、さしあたり人は時々に直面する事象について、その判断基準に依拠して演繹的に決断を行うものであると考えよう。住まいに関して言えば、住経験に基づく住居観(住環境や住生活に関する価値体系)の形成、それに基づく住環境の実現、そして住環境と住生活の相互作用およびそれに対する評価の経験的フィードバック、という図式が想定できる(図1)。

図1 [住経験−住居観−住環境]の関係

図1 [住経験−住居観−住環境]の関係

  豊かな住環境は、設計者を含む供給者が知恵を絞り考案するだけでなく、それが住み手の住居観とうまく合致した時に実現する。住居観については、アンケートなどにより直接アプローチする方法もあるが、価値観というものは本人でさえ必ずしも自覚的・明示的に把握しているわけではない。あなたの住居観は何ですか?と尋ねられて、スラスラと微に入り細にわたり語れる人は少ないであろう。具体的な嗜好や価値観はふつう、具体的な対象を前にしてはじめて前景化する。住環境の実現プロセスにおいてモデルハウス体験が大きく影響するのは、そのためである。しかし我々は誰しも、休日の数時間を費やし訪れただけの住宅展示場よりも、格段に詳しく知ったモデルハウスを過去の住経験の中に有しているはずである。

 住居観は大まかには、生理的・心理的快感や充足感の程度といった評価と、それをもたらしたもの(住環境やそこでの生活様式)から得られる感覚や情報とが紐づけられた、体験的経験の記憶の集積として育まれていくと考えられる。親や友人など他者の価値観の影響や、雑誌・ウェブ等の情報への接触といった知識的・認知的経験もまた、重要な経験の一部である。それは言葉や視覚情報を介した擬似的ないしは間接的体験であり、しばしば断定的な評価とあわせてインプットされるため、価値観形成に与える影響は大きい。両者の影響の弁別やその大小を論じることは容易ではないが、住空間の物的構成を主題とする筆者の立場としては、まず注目したいのは、前者の体験的経験の方である。

― 食の嗜好と経験

 価値観形成と経験の関係を考える時、食における嗜好(食に関する価値観の一部)と経験の関係は、類推的な理解の助けとなる。例えば、多くの日本人が他の食文化に比してとりわけ日本食を好むとした時、もしそこに生物学的な機構がなければ、その嗜好の由来は詰まるところ各人が長年蓄えた食経験に帰するだろう。もちろんその経験を培う自然的・文化的・社会的条件は大きな前提である。

 食の経験が食の嗜好に及ぼす影響については様々に論じられているが、一つの大きな傾向は、嗜好は摂取経験の多寡に影響されるということである。幼い子どもは、一般に見慣れない食べ物を容易に摂取しない「新奇恐怖(neophobia)」の傾向を強く示すが、当初拒否された食べ物も摂取を繰り返すと嗜好性が獲得されるという1)。その影響は特に幼少期に大きいとされるが、成人後も無関係ではない。滋賀の郷土食・鮒寿司(ふなずし)は嫌いな人の多い食品であるが、摂食経験を増すことで嗜好性が向上するという、20代女性を対象とした研究もある2)。このような傾向は、接触の反復が好意度や印象評定にポジティブな効果をもたらすという「単純接触効果」によりある程度説明されるかもしれない。また動物実験ではあるが、多種類の食物の摂取経験をもつ動物は、単一の食物を摂取した経験しかもたない動物と比較して、より新奇な食物を受容する傾向があるという3)。人間であれば、多様な食文化を経験した人は未知の食品に対しても挑戦的あるいは寛容である、といったところだろうか。幼児期の偏食が青年期以降の多様な食経験によって克服されるとともに、見慣れない食品への抵抗感も薄れたという人は多いだろう。新奇なものを開拓した経験が新奇恐怖の減弱をもたらし、以後の新奇なものに対する受容性を増すという現象は、食に限らずとも思い当たることが多い。

1)今田(1996)、p.477

2)真部(2012)

3)今田(1996)、p.480

― 住経験を振り返ることの意味

 同様のことが建築、とりわけ住まいについても当てはまるのではないか、という疑問が住経験に取り組むことになったきっかけである。戸建てと集合住宅、日本と海外、大家族と一人暮らし、広い家と狭い家、古い家と新しい家…多様な住居で暮らした経験を持つ人は、自身の新たな住環境の実現にあたり、定型にとらわれない幅の広い判断が可能となるのではないか? その逆に、ジャンクフードに偏った食習慣が味覚障害を引き起こすように、乏しい住経験は厚みの無い住居観を形成し、その人が住環境を実現する局面における選択の多様性を狭めることに(あるいは住環境に対する関心を大きく減じることに)はならないだろうか? ひいては貧しい住経験しか提供できない国では住文化はどんどん痩せ細っていくのではないか? しかしそれ以前に、そもそも人は自身の住経験を対象化できているのだろうか?

 経験至上主義を掲げるつもりはないが、よりよい住環境の実現にむけて住経験を、住環境を規定する重要な条件として位置づけ考察の対象とすることが、住経験論の基本的な問題意識である。

 学生が就職を考える時、誰もが自身のそれまでの人生での経験と照らして仕事に対する適性を判断しようと試みる。それと同じように、新たな住環境の検討時においても、住経験の振り返りがなされるべきではないだろうか。例えば、食事や就寝、家事にまつわる生活習慣は、住生活の中に強く作用する一種の慣性力であり、意識的に改変するにせよ環境側を適応させるにせよ、それを適切に把握し対処することは建築計画上の重要な課題である。住経験へのアクセスは、このような生活習慣の系統的な把握を可能とするだろう。また、「自分らしい住まいと暮らし」といったコピーをしばしば住宅業界の広告などにおいて耳にする。それには基本的に賛同するところであるが、それを真に実現するためには、短期的な情報(現時点での好みや合理性、流行など)だけではなく、より長期にわたる自分と住まいとの関係の実績であるところの住経験を、重要な判断材料として採用することが有効であろう。

 「住」は「食」と同様に、意識する・しないに関わらず対象との接触が日常的に反復されるという点で、経験による学習効果や単純接触効果が現れやすい局面であろう。もちろん、前述したような「食」にまつわる議論を、「住」に対して単純に付会することには充分な注意がいる。「食」から得られる鮮やかな刺激や感覚に比べれば、「住」から得られるそれは多分に微弱であり曖昧である。また物的刺激にもまして、情報的刺激(「健康によい」「最新の」「伝統的な」等の付加情報)や、誰と暮らし・そこでの時間が楽しいものであったかどうか、といった人的・心理的側面の刺激が与える影響はより大きなものとなるであろう。

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