建築家・五十嵐淳|理性を超える空間

集密の住居  小さな部屋が連続する

集密の住居 平面図

― プログラムを超越した「何か」

五十嵐 最近、社会性やコミュニティを主題にして建築を つくっている人たちが多いことに、辟易しています。特に 若い世代で増えているように感じます。例えば、パンテオンはもともとはローマ神を奉る万神殿だったわけですが、訪れるときにその社会性を気にする人はいませんよね。 

山口 パンテオンに関しては、プログラムすら重要ではないように思います。 

五十嵐 そうですよね。プログラムをはるかに超えている 「何か」があるし、皆そう感じてしまう。建築の空間が目指すのはそういった「何か」であるべきだと思います。歴史的な背景やコンテクスト、社会状況にも対応して設計しなければならないのはもちろんですが、さらにパンテオン のような「何か」が欲しいと思います。
 

― 自分を見つめる

小林 竹山研究室の本年度の設計課題が歴史的な背景やコンテクストを捨てて、それを超越した「何か」を考えることを主題としたものでした。地名や建物が排除され、ただ道路と水涯線と等高線のみが残された敷地が各学生に与えられ、そこに「脱色する空間」を設計しなさいという課題です。空間を設計する手がかりがとても少なく、難しく感じました。もし背景やコンテクストが全く存在しない敷地が与えられたら、五十嵐先生はどういったことを手がかりに設計をされますか。 

五十嵐 コンテクストが無い場所における設計は考えにくいですよね。実施の経験からすると、原野のような場所よりも狭小地の方がコンテクストだらけで設計しやすいです。狭小地の都市住宅のプロジェクトとして、『集密の住居』 という小さな部屋がたくさんある建築をつくりました。小さな空間と言えば、漫画喫茶の部屋の中はなんだか落ち着きますし、子どもにとっての押し入れはとても魅力的な空間ですよね。現代のワンルームマンションも実に快適極まりないスケール感だと思います。だからそういう小さな部屋が連続する空間は面白いし、相互の関係もすごく不思議な感じになるのではないか。自分が大きくなったのか小さくなったのか分からなくなるような身体感覚も生まれると 思います。そう考えて、「小さな空間の集積」という都市のコンテクストを取り入れた結果、『集密の住居』が完成しました。
 反対に『風の輪』や『原野の回廊』のような茫漠とした原野みたいなところに立つ建築物は、どういうコンテクストを前提に考えていくのか迷いますよね。そういうときはわがままになった方が良いと思っています。自分が設計したいものに合わせて、都合よくコンテクストを使えば良いのです。その意味では、竹山研究室のその課題は自分の好みを把握できる良い機会だと思います。学生には、器用だけれど自分のデザインを見つけられない人も多いですよね。デザインに共通性が無くまとまりも無い。器用なこと はもちろん良いことですが、建築家としてはそれだけではダメなのだと思います。「自分を発見しろ」ということがその課題の趣旨なのではないでしょうか。

小林 なるほど。確かにこの課題に取り組んでいるときは 自分の奥底を覗いているような感覚でした。

五十嵐 同じ曲でも歌う人によって曲の雰囲気が変わりますよね。それはその人から出てくる声によるものです。声は脳から出ている気がしませんか。それがオリジナリティだと思います。建築も歌と同じです。オリジナリティが無いと、コンテクストを奪われたときに何もできなくなってしまいますよね。課題ごとに作品が全く異なるのではなく、その人なりの「くせ」が作品のどこかに共通してあってほしいと思います。

― 学生に向けて

山口 最後に、学生に対するコメントをお願いできますか。
 
五十嵐 僕は北海道の専門学校出身です。設計課題に取り組んでいたとき、「もしこれが札幌で実現したら、今の札 幌の建築家よりも良い建築ができる」と思っていました。 課題だからつくらせてもらえないだけだ、という感覚で、 施工するチャンスがあればいくらでも勝負できるなと思っていました。そういった意識が必要ではないでしょうか。 

山口 確かにハングリー精神が足りていないかもしれないですね。 

五十嵐 最近の学生の作品は格好つけてばかりで美しくもなければ、醜くもない。設計課題や卒業設計展で評価されようという理由ではなく、本当に建てたいものを考えてほしいと思います。そうすれば、空間として、居場所としてのリアリティを獲得できるでしょう。それはディテールや構造が成立しているという話ではありません。また、計画だけをしてそのプロセスばかりを説明する学生も多いです。しかしその説明を聞いても、その計画のどこに良い場所があるのかと疑問に思ってしまいます。どこにオリジナリティがあるのか、どこがどうすごいのかと。本気でこれが良いんだと思うものを見せてくれないと伝わってこない。それが強すぎると当然風当たりも強くなることもありますが、フランク・ゲーリーとかザハ・ハディッドのように貫き通せば、そんな風はいつか吹き飛ばせます。だから恥ずかしがらずに、自分の個性をさらけ出すような設計を見たいです。コンテクストを解いた上でどうしたらすごい建築になるのか。それにはオリジナリティが不可欠です。

小林 オリジナリティを出そうと思って設計することが難しいと感じています。どうすれば見えてくるのでしょうか。
 
五十嵐 オリジナリティを見つけるということは、違和感 を消すことだと僕はよく言っています。設計をしているとき、 「これが良い」と感じるのはなかなか難しいけど、「何か違うなあ」くらいは気がつきますよね。それを可能な限り減らしていく努力を淡々とすることが大事だと思います。設計は膨大な判断の連続です。ただ、その選択が言葉やプロセスに残せる場合と、残せない場合がありますよね。例えば、ぼーっとしているときの判断。無意識的な判断は記述できませんが、脳は常に動き続けていますから、どこかで自分に嘘をつくと道を反れてどんどん進んでいってしまう。しかもこのプロセスは後戻りが利きません。それが危険で、オリジナリティを逃す最大の原因だと思っています。違和感があったらすぐにちゃんと向き合って、自分なりに判断していくことが大事です。それがリアリティにもつながる。そういう判断を積み重ねていける人が建築家や設計者に向いていると思います。

小林 地道な判断が大事なのですね。 

五十嵐 どこに就職したいかにもよりますが、良い成績のとれる設計が良い設計だという考え方はダメだと思います。課題に対して、「俺はこれを作りたかったんだ。いいよ0点でも。何か文句あるか」くらいの考え方で良いと思いますね。徹底的にやらないと。もっと言えば、自分が学生だと思っている時点でダメですね。建築設計をするにあたって建築家との違いは、経験と情報のストックが多いか少ないかということだけです。それが良い建築をつくれるかどうかとは、別段関係ないと思うのです。オリジナリティにあふれた人が出てきてほしいですね。自分のくせを見つけてください。

山口 本日は貴重なお話ありがとうございました。 

五十嵐 ありがとうございました。

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